第5話 鞭刑

「ん? なんや、死んだんか?」


 場所はレクイエム。

 ビルの陰からスッと現れた人物に、安堵感からメロウは腰を抜かしてしまった。

 メロウの目に入ったのは、投獄された犯罪者、すなわち待ち伏せ組では無かったからである。

 美しい銀髪、腰には幾人もの無法者を屠ってきた細剣。

 かつてのハーディの片腕であり、メロウのライバル。

 古くからよく知る女刑殺官だった。


「もう! 人が悪いですわよレイラさん! 驚かさないでくださいまし!」

「チッ。生きとるやないか」


 レイラは足音も立てぬままメロウに歩み寄り、手を差し伸べる。

 恥ずかしそうに、それでもしっかりその手をメロウは掴み、目に涙を溜めたまま腰を上げた。


「久しぶりやなあ。めろうはん」

「え……ええ。お久しぶりですわね。でも、なんでレイラさんがここにいるんですの?」


 今や出世を遂げ、レイラはオラトリオを管轄する刑殺官の官長である。

 レクイエムの入口に最も近い街とは言え、用事も無しに街を出る事は少ない。

 特例があるとすれば、政府の呼び出しか、要人の護衛の際くらいだ。

 ましてや、今のレクイエムはビズキット、ガストロ、そしてエルビスの三つ巴の均衡が崩れ、不安定な状態にある。

 いつ暴動が起こり得てもおかしくない状況にあるのだ。

 安堵感で少し平静さを取り戻したメロウは、ビズキットとガストロの戦死を知っている事もあり、レイラがなぜここにいるのかに疑問を持った。

 管轄する街を離れても良いものかと。


「んー。さあ……。なーんでやったかなあ?」

「……レイラさん。あなたまさか、私を助けに来てくれたんですの?」

「ふん。たまたまや」


 今現在より二日前の事である。

 レイラは腕途刑越しに、セルゲイから直々に、レクイエムにメロウを投獄すると報告を受けていた。

 レクイエム計画を次の段階へと進めるには、すでにセレナーデ財閥は横やりをいれる邪魔な存在に過ぎない。

 レクイエムの運営、維持。

 そして第三世代の研究に過大な援助、献金と言う貢献をしてきたセレナーデ財閥は、ある意味ではセルゲイ以上の発言力を持つ。

 既にセレナーデ財閥の援助を必要としていなかったセルゲイは、切れるうちに関係を断ち切りたいと以前より思惑していた。

 そんな折り、手に入ったのが脱獄の手引きをしたメロウと言う駒である。

 セレナーデ財閥との縁を断ち切る為、なんとしてもヴァンドと対立する必要があったセルゲイは、ただそれだけの為にメロウをレクイエムに投獄したのである。

 盗聴により、事前にメロウの計画を知っていたセルゲイであったが、その決行日時までは知り得ることが出来なかった。

 だが、偶然にも訪れたそのタイミングはセルゲイにとって千載一遇であり、また、効果もセルゲイの予想していた以上であった。

 まさかあの冷徹なヴァンドが、ここまで娘を取り返したがるとは。

 しかし、ヴァンドがそれを望めば望むほど、皮肉にもセルゲイは反発せざるを得なくなる。

 メロウがレクイエムに送られたのは、ヴァンドの親心が深く関係していたのであった。


 とは言え、脱獄には加担したとは言え、議員である自身と同じく、上流階級にいるメロウに、セルゲイは近しいものを感じていた。

 嘘と嫉妬、権利と裏切りでまみれたその世界で孤立する少女を、いつしかセルゲイは憐れむようになっていた。

 セルゲイは、己の描いた筋書きの為に、立場上こそメロウをレクイエムに入れざるを得なかったが、その裏でメロウを守りたかった気持ちがあったのも事実。

 レクイエム内に送りさえすれば、その安否の情報をヴァンドが知り得る事がない。

 故に、レクイエム内で絶対的な力を持つ、刑殺官官長レイラにセルゲイは一任した。


――二日後にレクイエムに投獄される事になるメロウを、戦闘禁止区域のオラトリオまで無事に送り届けろと。


「こないな所いつまでいてもしゃあないわ。うちはそろそろおらとりおに帰ります。ついてくるなら好きにせえ」

「あ、レイラさん。待ってくださいまし!」


 レイラは待ち伏せ組を追い払い、レクイエム入口前でメロウが来るのを待っていた。

 だが、かつての旧友に額面通りに迎えに来たと告げるのも少々照れくさい。

 人間関係が不得手なレイラは、偶然を装って現れるついでに、少しメロウをからかってやろうと考えたのだ。

 だが、レイラのそんな工作は、メロウに通用しなかった。

 レイラの性格を良く知るメロウは唯、一言だけを口にする。


「レイラさん。ありがとう」




*** *** ***




 レクイエム入口からオラトリオを目指す二人は、廃ビルの間を歩き続ける。

 レイラ一人であるならば、休まず走りきる事が出来る距離だとしても、恒常的に馬車での移動を繰り返していたメロウを連れてとなると、やはりそうもいかない。

 気付けば夕日は落ちかけ、空には星が瞬き始めていた。

 そろそろ肌寒い風が流れる時分である。


「めろうはん。今日はここまでにしとこか。続きはまた明日や」

「そ……、そう、ですわね……」


 極めて少ないメロウの体力を懸念し、レイラはなるべくペースを抑えて歩幅を合わせたが、それでもメロウはレイラの背中から離されない様にするのがやっとだった。

 たった数時間を歩いただけだと言うのに、メロウの足は既に棒の様に成り果て、喉はカラカラに乾いている。

 例えまだ日が昇っていたとしても、メロウにはこれ以上歩くのは無理そうだ。


 レイラは辺りを見渡すと廃ビルの一つに入り、速足でメロウはその後に続く。

 廃ビルの中に、静かに二人の足音だけが響いた。

 メロウはいつ受刑者が出てくるかもしれない恐怖心から、レイラに離されないよう必死に追いかける。

 ビルの二階に上がり、外が見渡せる壁面にスッと腰を下ろすと、レイラは腰に掲げていた革製のカバンからパンを取り出し、疲れ果てているメロウへ差し出した。


「ほら、めろうはん。食い。どうせなんも食べとらんのやろ?」


 差し出されたパンが視界に入ると、堪らずメロウの腹から『グゥー……』っと、催促の音が鳴らされる。

 歩き疲れ、喉が乾いて水分を欲していたメロウであったが、空腹には勝てなかったようだ。

 「ありがとうございますわ」と、レイラからパンを受け取ると、すぐさまそれにカプリとかじりついた。

 レイラが手渡したのは、バターすらも塗られていない唯のパンである。

 乾いた口内にいきなりそんな物を入れたものだから、メロウの口はますます水分を欲し、思わず咳き込んだ。


「なんや。慌てへんでゆっくり食いや。しょうもない」


 喉に手を当てメロウは呆れるレイラに答える。


「レ、レイラさん……。厚かましいようですが、お水は、お持ちでなくて?」

「あ、ああー。水な。水ならありますわ」


 レイラはカバンから鉄製の水筒を取り出した。

 決して大きくはない水筒であったが、レイラがそれを振って見せるとチャプチャプと音がする。

 その音から察するに、どうやら中には十分水が入っている様だった。

 手に持った水筒をレイラはメロウに差し出す。

 受け取ろうとメロウが手を伸ばした時、レイラは水筒を引っ込めた。


「レ、レイラさん?」

「甘ったれんなめろうはん。水はあるゆうたが、只でやるとは一言もゆうてへん」

「そ、そんな。意地悪をしないでくださいまし!」


 メロウは自身の左腕に付けられた腕途刑に目を落とす。

 当然ながら、刑期は一年たりとも減ってはいない。

 外では大財閥の娘だったとしても、今迄真面目に仕入屋を営んでいたとしても、今のメロウは、一銭も持ち合わせていない素寒貧だったのである。


「阿保。刑期なんかいらんわ」

「刑期じゃなければ……。一体何をお支払いしろと言うのですか? レイラさん」


 レイラは水筒を投げ、落としそうになりながらもメロウはそれを受け取った。

 立ち上がり、外に目を向けたレイラは、静かにメロウに対価を要求する。


「めろうはん。はーでぃはんは、……どうなったんや?」


 レイラは、オラトリオの一件以来、ハーディがどうなったかを正確には知り得なかった。

 ただ、政府に脱獄したと伝えられたのみである。

 水筒の蓋を開け、こくこくと喉を潤したメロウは、水筒を置いてはレイラに答える。


「ハーディ様は……、エルビス様と一緒にレクイエムの外へ行かれましたわ。恐らく二人は外で、戦火のグレゴリオと接触なさっているでしょう」

「戦火のぐれごり……? なんやて?」

「戦火のグレゴリオですわ。反レクイエム団体。外に生きる犯罪者達の寄せ集め、ですわ」

「なんでそないな連中と……?」


 刑殺官の長であるレイラ。

 そのレイラを以てしても、前刑殺官官長のハーディ同様、レクイエム計画については微塵も知らされていなかった。

 職務に必要な事以外、なにも通達されない。

 伝達されない。

 刑殺官とて、政府の駒の一つに過ぎないのだった。

 メロウは、セルゲイの計画しているレクイエム計画の全貌を。

 エルビスの指示で、内外を自由に行き来できる自分が戦火のグレゴリオを立ち上げたことを。

 ハーディがセルゲイへの復讐を目的として、レクイエムを去った事を告げた。


「はーでぃはんが……、せるげいを狙ってる? はーでぃはんは、その為に脱獄をしたっちゅうんか!?」

「ええ。ハーディ様はああ見えてお優しゅうございますわ。きっと、今でも……、エウロアさんの事を……」

「待て待て。話が見えてこん。なんでそこでえうろあはんが出てくるんや?」


 メロウはレイラが何も知らされていない事に気が付くと、突然立ち上がり、驚きを隠せない表情をレイラに向けた。


「な、なんや急に。どうしたん?」

「レイラさん! あなた、何もご存じないのですか!?」

「落ち着きい。なんや急に? 何の話や?」

「エウロアさんの話ですわよ! エウロアさんを殺害したのは、――セルゲイ・オペラですわ!」


――ドクン、と心臓がひとなみ打った音が聞こえた気がした。

 エウロアが……セルゲイに殺された? 

 レイラは未だ、頭の中の整理が追い付かない。


「嘘やろ……?」


 メロウは答えない。

 この状況で、メロウが嘘をつく事などないとレイラはわかっていた。

 わかってはいたが――


「なんでなん!? えうろあはん、せるげいになんかしたんか!? 嘘やろ? 嘘って言い!」


――レイラは無意識にメロウの胸倉を掴んでいた。

 嘘だと言ってほしかった。

 悪い冗談だと言ってほしかった。

 だが、メロウは答えない。


 エウロアの葬儀には、メロウも、レイラも参列していた。

 だが、なぜかハーディだけは来なかった。

 ハーディは、その日から、姿を消した。

 再び出会った時には、受刑者へと身分を変えていた。


 レイラはハーディに憤った。

 なぜ、何も言わずに自分の前から姿を消したのかと。

 なぜ、犯罪者として自分と敵対しているのかと。

 なぜ、エウロアを、危険な戦闘禁止区域外に一人で行かせ、あまつさえ葬儀にすら参列しなかったのかと。


 エウロアの死は、レイラを含める管理者達には、受刑者による、強盗の末の結末であったと伝えられていたのである。

 一方で、メロウは真実をエルビスより聞かされていた。

 エルビスが知っているのだから、より近しい人間のレイラも知らされていると、メロウはそう認識していた。

 だが、エルビスはあえて、レイラにだけはその事を話さないままでいた。


「なんでや。なんであの男はいつも話してくれないねん。……えるびすはんもそうや。いつも、いつもうちだけ独りぼっちや……」

「レイラさん……。エルビス様はきっと……、きっとレイラさんに余計な心配をかけたくなかったんですわ。知らない方がいい事もありますもの……」


 「ハハ……」と苦笑し、レイラは答える。


「知らない方が……、何がええねん。知らない方が都合がええんか? 知らない方が気分がええんか? 阿保か。おかげ様で、うちは、なんも知らんとあの男に、言いように使われっぱなしやないか」


 ハーディが抜ければ、必然的にレイラが次期官長に就任する事をエルビスは知っていた。

 刑殺官の長たるレイラが、総司令のセルゲイに不信感を抱く状況は、レクイエムの秩序の崩壊を招きかねない。

 それ故に、エルビスはレイラに何も告げなかった。

 ライバルを、旧友を殺されたレイラは、何も知らないまま、犯人の言うままにその命に従っていたのである。


 知らない方がいい事もある。

 確かに。知りさえしなければ、レイラはこんな憎悪を抱くことが無かっただろう。

 レイラは目を閉じる。

 懐かしき顔が、瞼の裏に浮かんだ。

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