第3話 旧友

「名を、名乗れ」


 狭く、長く、薄暗い通路の終点。

 一人の女性がその扉の前に立たされている。

 手には錠が施され、自由が利かない。

 レクイエムには何度も出入りした。

 だが、この扉を潜るのは初めての事だった。

 女はぼそりと名を呟く。


「メロウ・セレナーデ」

「被告人メロウ・セレナーデ。グラミー最高裁判所の判決により、脱獄犯の手引きをした罪によりレクエムでの懲役70年の刑に処す」


 罪状と懲役年数が読み上げられると、不快音を立てながら、ゆっくりと扉は開いていく。

 扉が開ききると、刑務官の一人が扉の外に錠の鍵を放った。

 その鍵を目指し、メロウはふらふらと外へ向かう。


 メロウにはこうなる事がわかっていたのかもしれない。

 エルビスと手を組み、外の世界と掛け合い、戦火のグレゴリオを結成した。

 レクイエム計画だけは阻止しなくてはならない。

 その為には、エルビスとハーディの力が必要不可欠。

 彼らを脱獄させる為の極小さな犠牲。

 自身の状況を、存在を、メロウはそう認識していた。

 もしかしたら父、ヴァンドが自分を救うかもしれない。

 そうも思わなかったわけではない。

 だが、抱いていた淡い期待は、あっさりと裏切られた。


 メロウが外に出ると、再び不快音を立てながらゆっくりと扉が閉じていく。

 今迄とは違い、もう二度とここから出る事は許されない。

 メロウはそう直感した。

 投げ捨てられた鍵の前に呆然と立ち尽くすメロウ。

 生きる気力を失くしたメロウは待ち伏せ組に命を捧げた。

 空を仰ぐと漆黒の鴉が宙を飛び交っている。

 やがて自分はここで狙撃され、自由に羽ばたく彼らに食われる運命だと、メロウは覚悟し目を瞑った。


 思い浮かぶのは一昔前、コンツェルトでの一時。

 ハーディの唇を無理やりとは言え、一時とは言え、奪ったメロウは、その人生で最も幸せだった数秒間を思い出し、閉じていた瞳から一筋の涙を溢れさせた。

 自分のした事に間違いは無かった。

 自分の結末に悔いは無い。

 自分の運命には、もったいないほどの幸福であった。

 ハーディの事を思い出すと、断ち切れない未練が、死への恐怖へと変わっていく気がして息が乱れる。


「欲を言えば、出来れば最後に……、もう一目だけお会いしたかったですわ……」


 自身に向かって飛んでくる弾丸を、今か今かと待つメロウであったが、その時はなかなか訪れなかった。

 不思議に思い目を開けると、変わらず空には鴉が飛び交っている。

 周りを見渡し、メロウは大きく息を吐くと、ぺたんとその場に座り込んでしまった。

 握っていた手を解くと汗でびっしょりと濡れている。

 再び立ち上がろうとするも、足に力が入らなかった。

 どうやら、腰が抜けてしまったようだ。

 座り込んだまま再び廃ビルを見渡すメロウ。

 いつまで経っても撃たれぬ現状に、安堵感と、それでもやはりどこかから狙われているのではといった恐怖心が入り混じれる。


「なんなんですのよ! もう! 撃つなら早く撃ってくださいまし!」


 メロウがそう叫ぶと、ビルの陰から「クックック」と小さく笑い声が聞こえてきた。

 どこかで聞いたことがあるようなその声にメロウは尋ねる。


「誰ですの!? こちらはもう覚悟は決まってましてよ!」


 ビルの陰からゆっくりと現れたその姿を見ると、メロウは全身から力が抜けて、背中から地面へとぱったり倒れてこんでしまった。




*** *** ***




「あの、キリシマさん。この人は?」


 ハーディ、キリシマ、そしてキャリーの三人は、暗がりから現れた男の背を追い、地下道を走り続けていた。

 男の腰には珍しい刃物が装着され、走るたびにジャラジャラと鎖が音を立てている。


「ああ、まあ、一言で言えば商売敵ってとこかな?」

「商売敵って言えばそうなるかな。しかし驚いたぜーキリシマ。酒場で飲んでたらいきなりお前の姿が放送されてるんだもんなー。せっかくレクイエムに入ったと思えばもう出てきちまったのかよー? まあ、地下道は俺の庭みたいなもんだからよー。とりあえず俺の家でゆっくりしていけよー」


 暗がりから現れた男はイカルガ・マキナ。

 キリシマと故郷を同じくする裏社会の人間だった。

 イカルガはキリシマの姿を見るとスタジオから逃走する事を予想し、地下道へと姿を見に来ていたのだった。


「キリシマ。こいつは本当に信用出来る奴なのか?」

「あ、失礼だなー金髪ぅ。別に嫌ならついてこなくたっていいんだぜー?」


 暗がりから現れた男と親身に話し始めたキリシマ。

 どちらにせよ選択肢はなかった。

 今はこの男に案内されるがままついていくしかない。


「着いたぜー。ここだ」


 角を曲がり、四人が辿り着いたのは行き止まりだった。

 壁には土管が設置されており、そこからポタポタと、静かに水が用水路へと流れ込んでいる。

 やはり罠か。

 ハーディはそう直感したが、イカルガと名乗るその男は軽い身のこなしで壁に埋め込まれた土管へと入って行った。


「ほら、キャリーちゃん」


 続いて土管に潜り込んだキリシマの手を借りてキャリーが土管の中へと入っていく。

 深いため息をついてハーディもその後を追った。


 四人が土管を四つん這いで抜けると、そこには狭い空洞があった。

 四方をコンクリートで囲まれ、裸電球に照らされたそこには、どうやって持ち込んだかわからない簡易な椅子や机、布団とそして小さなテレビが置かれ、微かな音量と共に映像が流れている。

 途切れた土管の先には小さなパイプからちょろちょろと水が流れ、土管を伝って先程通り抜けた行き止まりまで続いているようだった。


「なんだイカルガ。おまえ、ここに住んでんのか?」

「おめーよー。裏社会の人間が部屋なんか借りれねーだろー? この街で人目に付かない場所っていやあ地下が一番だぜー? 呑気に寝てて、いきなり寝首をかかれたらどうすんだよー?」


 キリシマも裏の住人としてこのグラミーに滞在していたが、今までそんな事は気にした事がなかった。

 キリシマは堂々と地上に居を構え、そこに滞在する。

 むしろ、襲われる方がキリシマにとって都合がよかったからだ。


「そりゃあ襲われたら……、普通起きるだろ?」

「俺はぐっすり眠る派なんだよー。しっかり睡眠をとりてーから人目に付かねーアジトが必要なんだな」

「……とてもシノビの台詞とは思えねーな」

「あ、あの! 助けてくれてありがとうございました!!」


 深々と頭を下げたキャリーにイカルガはにっこり微笑み返す。


「いいってことよーお嬢ちゃん。お代は後でキリシマから頂戴するからよー」

「俺からかよ!? でもまあ、助かったぜ。一応礼は言っておく、イカルガ」

「あの、私はキャリー、キャリー・ポップって言います」

「ご丁寧にどーも。俺の名前はイカルガ・マキナ。よろしくなー。昔のキリシマと同じでこの街で護衛と暗殺をしてる。仕事があったら言いなー。安くしてやるぜ?」


 その名を聞いて反応を示したのはハーディだった。

 マキナ。

 この国では珍しい名前。

 久しく聞いていない名前だった。


「そっちの金髪も一緒に脱獄したんだろー? 確かハーディ――」

「その前に、てめぇに一つ聞きたい事がある」

「おいおい。助けてやったのにその態度はねーんじゃねーの?」

「悪いなイカルガ。こいつは少々気むつかしい奴なんだよ。多めに見てやってくれ」


 不服の意を示したイカルガであったが、キリシマにそうなだめられやれやれと肩を落とす。


「んで、何が聞きたいってんだよ金髪ぅー?」

「てめぇ、『エウロア・マキナ』と言う名前に心当たりはないか?」


 イカルガがその名を聞いて、場が凍り付いていくのをキャリーは感じた。

 常に全身から力が抜けた、ふざけた態度をとっていたイカルガの目つきが変わっていく。


「金髪。おめー……。エウロアを知ってんのか?」

「今質問しているのは俺の方だぜ。てめぇとエウロア。その様子を見るに、どうやらなにか繋がりがあるみてえだな」

「あの、キリシマさん。……エウロアさんって誰ですか?」

「ああ、キャリーちゃんは知らなかったな。ハーディの嫁さんだよ」

「えええ!?」


 初めて聞かされた事実にキャリーは驚きを隠せない。

 ハーディに向き直り、叫ぶように問いただした。


「ハ、ハーディさん! あの、結婚してたんですか!?」

「大分……、昔の話だ」


 キリシマのその発言に驚いたのはイカルガも同様であった。

 探し続けていたエウロアの存在。

 それを知る者が突然目の前に現れたのだから。


「嘘だろー!? この金髪とエウロアが夫婦だと!?」

「イカルガ、俺の質問に答えろ。てめぇはエウロアとどういった繋がりなんだ?」


 夫婦と聞き、多少警戒を解いたのか、ハーディの問いにイカルガは答える。


「エウロアは俺のいとこだ。それより、エウロアは今どこにいる!? なんせ俺はあいつを探しにグラミーまで来たんだからよー」

「イカルガ、エウロアは――」


 キリシマはハーディを気遣い、代わりに説明しようとしたが、それをハーディは止めた。

 エウロアの死を、今迄自分の責任と思ってきたハーディは、せめて自分の口から語る事を選んだ。


「エウロアは……、殺された」

「……殺された? 一体誰に……。そんな情報は残っていなかったぜ?」

「てめぇが知らねぇのも無理はねえ。エウロアが死んだのはレクイエムの中だ。あいつは管理者としてレクイエムで生活をしていた。……変わった奴だったよ」

「そうか……。レクイエムの中にいたのか。俺も短い間だったがレクイエムにいたんだがよー。まさかあそこにいたとはなー」


 イカルガはキリシマと同じ、東の島国出身である。

 マキナ家はそこで武を極めんと血筋を継いできた。

 しかし、争いを嫌ったエウロアの父、イカルガの父の弟に当たる人物は、その家系から逃れるようにグラミーに移住する。

 だが、皮肉にも、争いを嫌ったその男の生涯は、争いによって閉じられることになった。

 イカルガの父は、残された一人娘、エウロアを見つけだす為、イカルガをグラミーへと送った。

 だが、正攻法で探しても見つかるはずもない。

 なぜならエウロアは、既にレクイエムへと身を移していたのだから。

 エウロアからはイカルガの存在など知る由もなく、イカルガからすれば、エウロアの顔など知る由もない。

 二人がレクイエムですれ違っていたかは謎のままである。


「イカルガ、すまなかった……」


 頭を下げたハーディに一番驚いたのはキリシマだった。

 今までハーディと長年を共にしてきたが、ここまで誠情なハーディを見るのが初めてだったからだ。

 その姿から、嫌でもハーディが、未だエウロアの事を悔いていると、容易に想像できてしまった。


「いや、俺にとっちゃこれは任務みてーなもんでよー。死んじまってるなら仕方ねー。国に戻ってそう報告するだけさな。まあ、一応血が繋がってる者としては一目会ってみたかったがよ。別に情があったわけでもねー」


 ハーディとて、好きでエウロアを失ったわけではない。

 どうしても守り切れなかったのだろうと、レクイエムの内情を知るイカルガは察した。

 頭を下げ続けるハーディを気遣い、話題を変える為キャリーに話を振る。


「それにしても地下道は初めてだったんだろー? ここの地下道はかなり入り組んでるのによく迷わないで戻ってこれたよなー。何か目印でも付けてたのか?」

「ああ、あの、それはこれのおかげです」


 キャリーはポケットに詰めていた地図のメモを取り出す。

 その際、メモに引っかかった一つの金属が床に落ちた。


――キーーーン


 音を立てたその金属を一目見たハーディは、目を見開き、すぐさま駆け寄っては拾いあげる。

 間違いなかった。

 それはハーディが良く知る物であり、同時に久しく見ていなかった物。

 そこにある事が、信じられない物であった。

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