第2話 迷宮

「艦長! まもなく正午になります!」

「ああ! 言われなくてもわかってるよ」


 深海に静止するビクトリア号艦内。

 一台のモニターの前にビクトリアがドカッと腰かけている。

 その後ろには、艦内の乗組員達が運命の時を緊張した面持ちで待っていた。


「ララ、お前もこっちへ来な! 気になるんだろう!?」


 ビクトリアの呼び声を聞くと、集まった乗組員たちをかき分け、背の低い一人の少女、ララがビクトリアの隣まで歩いてくる。

 ビクトリアはララを自分の隣に座らせると、頭にポンと手を置いた。


「なにも心配いらねえ。あいつらはきっとうまくやるさ」


 不安げな表情を見せるララに、ビクトリアはそう気遣ったが、ララの手は小刻みに震えたままだった。

 作戦開始である正午まで、すでに一分を切っている。

 乗組員達も不安げに作戦の成功を祈っていた。


『正午になりました。午後のニュースをお届けします』

「来たぞおまえら! 静かにしな!」


 ビクトリアの命令に艦内が静寂に包まれる。


『先週、レクイエムより初の脱獄者が出たと政府が発表しました。

 脱獄した受刑者は、計三名です。

 ハーディ・ロック 殺人罪

 キリシマ・エンカ 殺人罪

 キャリー・ポップ 名誉毀損罪 信用毀損罪

 警察は以上三名を国際指名手配し、行方を追っています。

 凶悪犯につき、大変危険ですので、見かけましたら最寄りの警察官まで御一報ください』

「ハッハ。あいつら! 超一級のお尋ね者だねえ。でも変だね。なんでシシーだけは公表しないのか……」


 脱獄犯と言うならばシシーも同じ事。

 なぜ彼女だけが報道されないのか。ビクトリアは一つの疑問を抱いたが、それよりも今は作戦の成否を見届ける方が先決だ。


『政府は、脱獄された経緯について調査し、現在、警備体制の強化を急いでいます。このことに対し、レクイエム最高顧問のセルゲイ・オペラ氏は、「誠に遺憾であり、許しがたい。再発防止に務める」とコメントしています』


 淡々とアナウンサーがそこまで話したところで、モニターに映る画面は乱れだした。

 重要なのはここから先である。

 より一層食い入るようにビクトリアは画面に近づく。

 次に画面に映し出されたのは予定通り、キャリー、キリシマ、そしてハーディの三人だった。

 キャリーは腕途刑を手に、セルゲイの陰謀を語る。

 おおむね作戦は成功かと思われた。

 その時。

 ハーディが無線機に叫び続けている。

 映像はその直後に再び乱れ、画面には先程のアナウンサーが戻った。


「か……艦長……?」

「おまえら! 急いで準備しな! あたいたちもグラミーに向かうよ!」




*** *** ***




「皆さん聞いてください! この機械は腕途刑と言います! レクイエム内で受刑者を管理するのに使われている機械です! レクイエム最高顧問のセルゲイ・オペラ氏はこの機械を使い、レクイエム外の人々までも支配しようと企てています!」


 キャリーはシシーから預かった腕途刑を手に、カメラを通して全世界に訴える。

 おおむね、作戦は成功。

 キリシマもハーディも、キャリーの熱弁にそう確信した。

 その時だった。


『嘘……そんな……。逃げなさい! これは、罠よ!』


 ハーディの持っていた無線機からシシーの悲痛な叫び声が聞こえてきた。

 その声に気付き、キャリーが無線機を持つハーディに振り向く。


「おいシシー! 何があった!? おい! 答えろ!」

『作戦は中止よ! 今すぐに引き返して!』

「おい! 行くぞ!」


 無線機から聞こえるのはシシー以外の男達の声。

 発せられた単語は

 罠、

 作戦中止。

 その言葉にハーディとキリシマは最悪の事態を想像した。


「逃げるぞ! ボサッとしてんなキャリー!」

「は……はい!」


 三人はスタジオを後にし、下の階へと走り出す。

 唯一の脱出経路、下水道に向けて。




*** *** ***




「作戦は中止よ! すぐに引き返して!」


 一人電波塔に向かったシシーは、既に無数の警備兵に取り押さえられていた。

 無線機からハーディの呼ぶ声が聞こえ、シシーは必死にその呼び声に答えた。


「おい、無駄な抵抗をするな!」

「くっ! ……その、離しなさい!」


 抵抗するシシーであったが、相手は屈強な兵士。

 シシーの腕は微塵も動かせない。

 単独で電波塔に向かったシシーは、作戦通り電波の切り替えに成功した。

 発信されている中継がキャリーに映り変わると、安堵し、その一瞬の隙を付かれて隠れていた兵士達に取り押さえられていたのである。


「おまえがシシーか?」


 一人の兵士が床に伏せられているシシーに名を尋ねてきた。

 それに答えず、シシーは全身に力を入れてもがき続ける。


「答えろ! お前がシシー・ゴシックか!?」

「あなた達に名乗る必要は――ギャッ!」


 名を聞いた兵士はシシーの頭を蹴り飛ばした。

 容赦のないその蹴りに、シシーは悲鳴を上げ、血が床を赤く染めた。


「もう一度だけ問おう。お前がシシーか?」

「……だったらどうするの? その……、またレクイエムにでも入れる?」


 シシーは兵士を睨み付けたままそう答えた。

 兵士はシシーから目を逸らすことなく見下ろし続け、一人の警備兵に合図を出した。


「お前に電話だ。出ろ」


 シシーは組み伏せられたまま耳元に通話機を当てられる。

 そこから流れた声を、シシーは良く知っていた。


『久しぶりだね、シシー君。やはり君は有智高才だな。いやいや。一人で電波を切り替えるとは』

「その声! セルゲイッ!」


 通話機の先にいた相手はセルゲイオペラ。

 セルゲイの声を聞いたことにより、より一層シシーの目つきは怒りに染まった。


『やはりお前が例の腕途刑を持っていたのだな。まあいい。直に回収できる』

「……どうかしら? その、あの子たちはあんたに捕まるような玉じゃなさそうだけど?」


 組み伏せられてなお、シシーの反抗心は消えていなかった。

 ハーディ、そしてキリシマ。

 レクイエムを生き抜いてきたあの二人ならば、三人の脱出はまだ叶う。

 シシーは自身の破滅こそ免れぬとは感じても、残る三人に、世界の未来をたくし、シシーは希望までは失っていなかった。


『ふむ。では教えてもらおうシシー君。入り江まで着いてから奴らはどうやって逃げると言うのかね? 潜水艇もなければ、まさか泳いで逃げるとでも?』

「なっ!?」


 事態は最悪。

 だが、それ以上の悪転をシシーはセルゲイの一言から想像した。

 侵入経路がばれている。

 それは、同時に脱出経路を失っている事を意味する。


『それとも母船を迎えによこすか? 政府から巻き上げた艦体。確か……ビクトリア号と呼んでいるらしいじゃないか』

「なんで……、あんたが知っている……?」

『ビクトリア……、やつは義理人情の海賊。来るもの拒まず、去る者は留める。簡単に招き入れて貰ったよ。私の同胞をね……』

「貴様ああああああああ!!」


 ビクトリア海賊団は世界を股にかけた、生活のできない貧民を寄せ集めた集団である。

 反政府団体として活動していたビクトリアは、以前より政府側から監視され続けてきた。

 あえて逮捕に踏み出さなかったのは、ここ一番の切り札として残す為である。

 結果、セルゲイの切り札は、最高のタイミングで切られていた。


『どうやら私の勝ちの様だ。君と脱獄囚。おまけにビクトリア海賊団。一斉に検挙できるとは、今日は祝杯を挙げねばね。いや、それよりも君の優秀さに感謝せねばな。まさかここまでうまく手の内で踊ってくれるとはな』


 顔はみえない。

 しかしそれでも、シシーにはセルゲイがにやりと笑う様を想像できた。

 完全に嵌められた。

 ハーディ、キリシマ、キャリー。

 彼らは逃げようがない。

 脱出手段がないのだから、いずれ捕まるのは時間の問題に思われた。

 放送を見ていたビクトリアも、恐らく察して入り江に近づく事になるだろう。

 いや、もしかしたらもうすでに、ビクトリア号は敵の包囲網に囲まれているかもしれない。

 そして――


『それでは近いうちにまた会おう。ララと一緒に、またレクイエムでな……』

「お願い……。皆……逃げて……」


 同様にララの安否も絶望的だった。




*** *** ***




「いたぞ! こっちだ! 別の部隊にも至急伝えろ!」


 放送局から地下道へと抜け出た三人であったが、すでにそこには無数の武装兵が包囲網を敷いていた。

 立ちふさがる敵をキリシマが斬り伏せながら、後方から追ってくる敵をハーディが打ち抜き、三人は強行突破を続けていた。


「キャリーちゃん! 次はどっちだ!?」

「ええっと! 二つ先を右です! キリシマさん!」


 キャリーはシシーに教わった地図を手にキリシマを誘導し続ける。

 複雑に入り組んだ地下道である。

 道を覚えきれなかった三人にとって、そのメモは命綱であった。


「あとどれくらいだ!? キャリー!」


 倒しても倒しても、至る経路から押し寄せる無数の敵にハーディはいら立ちを見せていた。

 自分一人なら容易く抜けられる包囲網かもしれない。

 だが、先陣する二人を守る為、銃を持った、キリシマの刀の届かない敵までも撃ち狙わなければならない状況は、この暗闇の中でハーディの集中力を想像以上に奪っていった。


「次の角を抜ければもうすぐです!」


 キャリーの指示通りに角を抜けると、整地されていた地面から入り江へと続く道に出た。

 意味する事は潜水艇まであと少しだという事。

 微かに波の音が聞こえ、潮の香りが鼻に入る。

 どれだけの敵を斬っただろうか。

 どれだけの敵を撃ち抜いただろうか。

 遂に潜水艇が三人の目に入る。

 しかし、そこで急に足を止めるキリシマ。

 目的の地に辿り着いた三人は思わぬ光景を目にした。

 そこには、重装備で身を固めた警備兵達が潜水艇前に待ち構えていたのである。


 岩場に隠れ、遠くから様子を窺う三人。

 そこでハーディはある事に気が付いた。


「どうする? ここも無理やり突破するか? ハーディ」

「いや……、キリシマ、あいつらの腕をよく見ろ」


 潜水艇の前。

 武装した男たちの右腕にはよく見慣れた物が付けられていた。


「あれは! 腕途刑……!?」

「ああ、やつらは恐らく刑殺官見習い。それも……、第三世代のな……」

「なるほどねえ。どうやら、今迄と違って、簡単には通れなさそうだな」


 戦闘を開始し、時間が長引けば更に仲間を呼ばれる。

 百戦錬磨の二人とて、多数の第三世代を相手にしていては余裕はない。

 第一、ここまでの布陣を敷くという事は、相手に潜水艇の存在を知られていた可能性が高い。

 海中にまで待機されていた場合、不慣れな潜水艇の操縦での脱出は不可能に近いと予測できた。


「おい、引き返すぞ。地上への脱出経路を探す」

「引き返すって言ってもよ。キャリーちゃんの地図じゃ来た道以外はわからねえんだぜ? 第一、地上にも包囲網は張られてるだろう。だから地下から逃げるって話だったじゃねえか」

「どの道、潜水艇を使って逃げるのは不可能だ。あいつらを倒したところで逃げ道なんかねぇ。それともキリシマ、ここで見つかるまでおとなしくしてろってのかよ」


 八方塞がり。

 まさに現状を表すにはその言葉が的確だった。

 前に進めば第三世代との戦闘は必至。

 勝つも負けるもその先は無い。

 当ても無く引き返せば再び警備兵に囲まれる。

 運良く地上に出ても逃げ場は無い。


「……ごめんなさい。あの……、私が全部の道をメモしてくれば……」

「なあに。キャリーちゃんのせいじゃねえ。大丈――」


 キリシマはそこで話を止め、キャリーの前に立ち塞がり暗がりへと刀を構えた。

 続けてハーディも勘付いたのか、キリシマと同じく暗がりへと銃口を向ける。


「おい、キリシマ……」

「ああ、誰かいる……。それも今まで相手にしてきた雑魚じゃねえ。この距離まで気配を感じなかった。かなりやるぜ?」


 第三世代に回り込まれた。

 二人はそう直感した。

 暗がりから近づいてくる影。

 光が差し込みその姿が明らかになると、予想外の人物がそこにはいた。

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