犯罪者達の終焉曲(フィナーレ)

第1話 雷鳴

*プロローグ*




ある男は未来を夢見た


失われる事のない秩序を夢見た

失われる事のない平和を夢見た

失われる事のない世界を夢見た


故に男は世界と対立した

世界の為に男は対立した




ある男は過去を夢見た


戻る事のない幸福を夢見た

戻る事のない愛情を夢見た

戻る事のない世界を夢見た


故に男は世界と敵対した

世界の為に男は敵対した




二人の男が夢見た世界は

寸分違わず同じであった


だがその道程は

進むほどに遠ざかり

近づくほどに見えなくなり

世界を巻き込み色を分ける







*** *** ***








「ご報告致します。

 今ご覧になっている

*犯罪者達の終焉曲(フィナーレ)

 ですが、

*犯罪者達の前奏曲(プレリュード)

 の続編との事です。


 ネタバレの可能性がございますので、出来ればそちらからご覧下さった方がよろしいかと思われます。


 以上、報告終わります」





*** *** ***




「わかった。引き続き率先垂範を続けたまえ」


 その命令を耳にすると「ハッ」と一言放つと同時に敬礼し、寸分の無駄なく男は部屋から去って行った。

 場所はレクイエムにあるセルゲイ・オペラの自室。

 床にはガラスが散らばっていた。

 部屋のソファーには男が一人。

 セルゲイは客人を待っていた。

 古くからの知り合いであり、レクイエム建設、維持に多大なる貢献をしてきた男を待っていた。

 丁重に築き上げてきた信頼関係。

 いつの間にか亀裂の入ったそれは、セルゲイの表情を険しくするばかり。


――コンコン


 小さく、また必要最低限に。

 外側からドアをノックする音が部屋に響く。

 その合図に「入りたまえ」とセルゲイは答える。

 数秒後には静かにドアが開かれ、先程とは別の男が部屋の中へと入室した。


「セルゲイ様。お連れしました」


 ソファーに座っていたセルゲイは立ち上がり頷く。

 すると、部屋に入ってきた男に案内され、続くようにまた一人、老人が部屋に入ってくる。

 セルゲイが「どうぞそこへ」と手をやると、老人はソファーに腰を下ろした。

 老人の振る舞いを見守った後、続けてセルゲイが対面に座ると、ノックをした男は何も言わずに部屋から出、静かに戸が閉められた。


「いやはや、散らかっていて申し訳ありません。何分片づける暇がないもので――」


 セルゲイは床に散らばったそれらに目を配ると、申し訳なさそうに苦笑する。

 明らかに、いつもの丁重な態度よりも軽いセルゲイの面持ちに、老人は眉ひとつ動かさなかった。


「それで。……今日は一体どう言ったご用件でしょうか?」


 セルゲイはそう尋ねたものの、老人の答えはわかりきっていた。

 だが、それでもセルゲイから質問を投げかけねばならない。

 目下の人間が目上の人間の心中を察し、動く。

 この世界ではそれが最低限のルールであったからだ。


「セルゲイ。単刀直入に言う。娘を返してもらおうか」


 セルゲイの質問に答えた老人の名はヴァンド・セレナーデ。

 世界に名高いセレナーデ財閥の当主を務める男であり、古くからレクイエムに出資してきた男。

 そして、メロウ・セレナーデの父である男。

 予想通りの答えにセルゲイは深くため息をつき、ゆっくりと立ち上がる。


「ヴァンド卿、コーヒーと紅茶。どちらになさいますか? 私はコーヒーを。実はつい最近良い豆が入ったものでして……。差し支えなければ、同じものだと助かるのですが」


 ヴァンドは座ったまま、表情を微塵も変えることも無く、それでも視線はしっかりとセルゲイに向けられたままである。

 セレナーデの当主を務めるだけはあり、その威圧はひしひしと感じ取れるが、それでもセルゲイは目線を合わせる事無く、カップを二つテーブルに用意しては、コーヒーメーカーを手に取ると、その両方にコーヒーを注ぎ始めた。

 蒸気と共に、豆の香ばしい香りが部屋中に広がる。


「あいにく、砂糖は置いてないものでして……。ミルクはお好みでどうぞ」


 セルゲイはヴァンドの分と自分の分、二つのコーヒーを用意すると、机に置いてある小分けにされているミルクを、ヴァンドの手前に差し出し、再びゆっくりとソファーに腰かけた。


「いやいや、ヴァンド卿。突然ですが人の心とは、このコーヒーの様なものだとは思いませんかな?」

「心……? セルゲイ。なにが言いたい?」

「いやなに……。人の心が見えるとするならば、それは恐らくこのコーヒーの様な物かと……」


 セルゲイは置かれたミルクを一つ手に取り、ゆっくりと蓋を開ける。

 中には真っ白なコーヒーフレッシュが並々と注がれていた。


「人の心は涅色。それが人の本質。生まれながらに薄かろうと濃かろうと、焙煎を深めようと浅煎だろうと変わりはしない。本質はこのコーヒーの様に真っ黒。それが人の真意。万代不変の常」


 セルゲイは手に持ったミルクをヴァンドへと見せる。

 そしてゆっくりと自分のコーヒーへと注いでいった。


「そこに道徳、人論、モラルと呼ばれる物が注ぎ込まれていく。相反する白と黒。それらが混じり合い、カップの中で美しいグラデーションが生まれる」

「性悪説か。下らんな。セルゲイ、今日はそんな哲学を語る為に、わざわざこんな孤島まで足を運んだわけではない」


 苛立つヴァンドを気にもとめず、セルゲイはソーサーに添えられたティースプーンでコーヒーを混ぜ始めた。


「白と黒。分離している内はまだいい。……だが、一度混ぜると手に負えない。カップの中が白く染まる日は永遠に来ないからだ。悪とも、善とも呼べない不安定な存在。それが人間の心の本質。そう思いませんかな」


――バン!!


 ヴァンドが強く机を叩いた。

 置いてあったヴァンドのカップは、衝撃に耐えきれず中身をテーブルにぶちまける。

 湯気が立つほど熱いコーヒーとは対照的に、冷ややかな眼差しで溢れたコーヒーをセルゲイは一見する。


「いい加減にしろセルゲイ! 私の要望は唯一つだ! メロウを返してもらおうか!」


 それを聞いてセルゲイは「ククク」と小さく笑った。

 目の前のあまりに大きな存在。

 レクイエムの出資、その目的の為に今迄どれほど頭を下げてきた事だろう。

 だが、それが今や、セルゲイには転がる石ころの様にしか見えていなかった。

 他愛無い老人が吠えた所で、セルゲイの心が動揺する事は無かった。


「不思議なものですな。ヴァンド卿は以前、ご息女をレクイエムにご献上なさったはずだ。私はヴァンド卿にとって、あの娘は不必要な存在かと認識しておりましたが――」

「以前とは状況が違う。それはおまえにも重々分かっているはずだ。メロウを管理者としてでは無く、犯罪者としてレクイエムに入れられては、我がセレナーデの名に傷がつく。それに――」


 それに――

 その先はヴァンドの口からは言えなかった。

 なぜならば、それを言ってしまえばセルゲイに更に弱みを見せる事になるだけだからだ。

 確かに、メロウはエルビスに加担し脱獄の手配という大罪を犯した。

 それは既に起こった変わらぬ事実。

 一人娘を私情で助けたいと口にしたならば、ヴァンドの望むメロウの救出は更に叶わぬものになってしまう。


「……セルゲイ。おまえ、つい先程人の心はコーヒーの様な物。そう言ったな?」


 セルゲイはなにも言わず頷く。


「確かに私もそれには同意見だ。私の周りには、限りなく黒に近い連中が蠢いている。金、権威、欲望にまみれた下らぬ人間ばかりだ」

「ええ。ヴァンド卿。私の周りもさほど変わりはしませんよ。お互い愛別離苦を味わい、更にこんな世界では、嫌気が刺して仕方がありませんな」


 コーヒーを混ぜながら、セルゲイは心にもなくそう相槌を打つ。


「だがな、時としてコーヒーに生まれつかなかった者もいる。例えば紅茶、カップの底まで見える美しい透明度。確かに希少ではあるが、そんな人間もいたはずだ。おまえも確かに出会ったはずだ。例えば、あの娘の様にな」


 あの娘。

 それは今は亡き、セルゲイの嫁であったマリアに他ならない。


「……同じ事です」


 「同じ事?」眉をしかめ、ヴァンドはセルゲイに尋ねる。


「紅茶に生まれようと……。それこそ水に生まれようと同じ事。どこかで黒が混ざれば、問答無用で黒になる。そして世界は黒で溢れている。この世に犯罪者が存在する以上、誰でも容易に染まる可能性があるのです。故に――」

「おまえは犯罪を野放しにする事は出来ないというわけか」

「……ご理解頂ければ幸いです」


 ヴァンドは胸元から一本の葉巻を取り出した。

 それを見たセルゲイは「禁煙です」と一言口にしたが、ヴァンドは気にも留めずマッチを擦って火をつけた。


「セルゲイ。お前がそう言うのならば、当然こちらにも考えがある。今現在セレナーデが出資しているレクイエムへの援助金。その全てのパイプを絶つことになるが……、理解はしているか?」


 レクイエムの維持には税金。

 国の金が使われている。

 だが、それと別にセルゲイは独自の研究、実験を重ねてきた。

 国に申告できない必須金。

 それこそがヴァンドの最後にして唯一の手札だったが、今のセルゲイには既に効果の無い脅しだった。


「ええ、もちろん。ヴァンド卿がそうおっしゃるのなら。心苦しいですが、私としましては断ち切っていただいても構いません」

「なにっ!?」


 この三十年間、絶やすことなく援助を続けてきた。

 セレナーデ家がその投資を続けてきた理由は、投資額を上回る利益を生み出してきたという実績にもとずいての事ではあるが、一方、レクイエム側もこの助成金無くして維持管理は不可能であると。最高顧問たるセルゲイは、何としてもこのパイプだけは死守したがるだろうとヴァンドは予想を立てていた。

 故に、セルゲイの予想外の反応に、ヴァンドは驚嘆した。


「どうぞご自由に。メロウ様は脱獄の手引きをした犯罪者であり、確固たる証拠もこちらで握っている。そんな重罪人を野放しにしたとあれば、政府は市民からどう見られるかわかったものではありません。お気持ちはお察ししますが、私としましても、世論の前には致し方のない決断なのですよ」


 この男の言葉には、およそ本心など伴っていない。

 空っぽで、唯単語を並べているに過ぎない。

 誠意のない対応に、ヴァンドは手に持っていた葉巻をセルゲイへと投げつけ、立ち上がって怒鳴りつける。


「ふざけるなセルゲイ! 今までセレナーデがいくら投資してきたと思っている!? 返せ! メロウを今すぐにここへと連れてこないか!」

「投資。そう、あなた方は投資をなさったに過ぎないのです。事実、私はその分、充分に甘い汁を吸わせてきたつもりです。お言葉ですが、ヴァンド卿が私共に恩を売ったと勘違い為されるのは、少し筋違いに思われますが」


 セルゲイは右手に付けていた腕途刑を操作する。

 その直後、部屋の戸が開かれ、先程とは対照的に慌ただしく複数の男たちが室内へと入ってきた。

 男たちは事前に予定されていたかのように、何も語らず腰かけるヴァンドを取り囲む。


「そろそろお客人はお帰りの様だ。丁重に送って差し上げろ」

「ふざけるなセルゲイ! まだ話は終わっていない! 私に触るな! 離せ!」


 男たちはヴァンドを拘束すると、抵抗するその老人を力づくで部屋から引きずり出していった。


「セルゲイ! 貴様覚えてろよ! 必ず後悔させてやる!」


 部屋から連れ出されたヴァンドの雄たけびは、戸が閉ざされるとやがて聞こえなくなっていった。


「ふん。ヴァンドも齢だな。今更一人娘が惜しくなったか」


 メロウの逮捕。

 それはレクイエムを運営する政府側と、セレナーデ財閥の対立の狼煙としてセルゲイにはどうしても必要な筋書きだった。

 このままレクイエム計画を実行に移せば、必ずしやセレナーデ財閥からの圧力は重荷になる。

 必要な手駒が揃った以上、いっそのこと、全て断ち切ってしまった方が動きやすい。

 セルゲイはそう考えていたのだ。


 机の上には冷めたコーヒー。

 床にはガラスが散らばっている。

 セルゲイは新しくカップを用意し、今度はそこに紅茶を注ぎ込んだ。

 紅茶の香りが広がる。

 セルゲイはそれを見つめると、壁に向かってカップを投げ捨てる。

 音を立ててカップは四方八方に散らばった。


「今更……、惜しくなったか……」


 セルゲイはソファーに座る。

 続けて天井を仰ぐ。

 余りに多くの物を失った。

 差し出し続けた。

 そして今、長年の野望が果されようとする時、心に残ったものは思い描いていたものはセルゲイの想像とはかけ離れていた。


――コンコン


 戸がノックされる。

 セルゲイは客人を待っていた。

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