第10話 憎悪を抱く青年2
「ようドン。こいつの弾はできてるか?」
エルビスに連れられ、ハーディはコンツェルトにあるドンの工房を訪れていた。
レクイエムの名工、ドン・ドドンパに注文していたデイトナとハロルド用の弾丸を受け取るためである。
工房は狭い一軒家にあり、それでも製鉄に使うであろう機材が丁寧に配置されていて、煌々と燃え盛る釜の劫火により、汗をかくほど暑かった。
ハーディに手渡されたデイトナとハロルドは通常よりも口径が大きく、レクイエムに鍛冶屋は星の数ほど居れど、それだけでも入手は困難であり、加えて言えば、火薬の量も増やした特殊な弾を扱うのはドンだけであった。
「当然じゃエルビス。ほれ、持っていけ」
ドンは机の引き出しから麻袋を取り出し両手で抱えると、ハーディはそれを受け取り中身を確認した。
紐解き、中を確認すると弾丸がジャラジャラと音を上げる。
表面に引っかき傷一つないピカピカの弾丸は、触ると冷ややかでツルツルとした滑らかさを伝える。
ハーディがエルビスに連れられ、レクイエムに入ってから早くも一年が経とうとしていた。
ハーディは常にエルビスと行動を共にし、レクイエムで起きるあらゆる常時と、加えて実戦での指摘を叩き込まれた。
訓練とは違って、常に自分の命を危険にさらす実戦での経験は、数をこなすと同時に比例し、ハーディの腕を飛躍的に伸ばしていった。
すでにデイトナとハロルドを手に馴染ませていたハーディは、その特徴的な黒いコートと金の長髪から、陰では金髪の死神と呼ばれ、今やレクイエムの受刑者たちに恐れられるようになっていた。
取引相手を選ぶドンですらハーディの腕を認めるようになっている。
だが、それでもエルビスの呼び方は一向に変わっていなかった。
「おい、小僧」
「なんだ? じじい」
ハーディはエルビスの一番近くで学ぶうち、小僧と呼ばれることに抵抗が無くなっていった。
エルビスの仕事ぶりを、誰よりも近いところで散々見せつけられていたからである。
いつしか、ハーディにとってエルビスとは最も尊敬する人物であり、目標になっていた。
「ドンにはちゃんと礼を言っておけ。これほどの腕の職人は他にいねえぞ」
「別にそんなのいらないわい。お前さんも偉そうに言っておるが、昔はこのガキにそっくりじゃっただろう」
ドンにそう言われ、エルビスは頭をガシガシ掻きながら苦笑いをした。
「敵わねえな、あんたには。ガキの頃の俺を知られてるんだから。まあぶっきらぼうなやつだが、これからも小僧をよろしく頼むぜ、ドン」
「いきなり改まってどうしたんじゃ。お前さんらしくもない」
「いやあ……、実はそろそろ、次の官長をこいつに任せようと思ってよ」
「!?」
両者は、エルビスがさらりと言い放ったその言葉を聞いて驚きを隠せなかった。
「何言ってやがんだじじい。あんたまだ――」
「まぁ聞けよ。小僧」
エルビスは慌てるハーディをなだめた。
一人で刑殺官すら務めていなかったハーディが官長になるなど異例中の異例である。
予想すらしていなかったエルビスの内心に、ハーディはまだなにか言いたそうだったが、それでも一旦エルビスの話を聞くことにした。
「別に引退するってんじゃねえんだ。だがな、人はいずれ必ず死ぬ。俺はな、今のうちに若手の育成に力を入れようと思ってんだよ」
エルビスは現職刑殺官でありながら、管轄するオラトリオをほとんど見習いに任せっきりにしていた。
それは見習いに経験を積ませる目的があっただけではなく、養成所に赴き、新人の育成に力を入れようとしたためだ。
一年前、ハーディに可能性を見つけたエルビスは、それから付きっ切りでハーディに教えられる事を全て教えてきたつもりだった。
だが、一人の人間が手を尽くしたところで、治安が延々と維持されるほど、レクイエムは狭くなく、エルビスはそれを肌身にもって感じていた。
養成所に赴き、見習いたちの実力不足にエルビスは不安を抱いていた。
世界中から寄せられてくる無数の犯罪者たちを管理するには、あまりにも心細いと。
街を管理を維持するため、ハーディ、レイラの天才二人、そしてせめて、後二人を選別し、そして育成を、今の刑殺官が現役のうちにエルビスは務めあげようと考えていたのである。
「すでに政府には小僧を推薦しておいた。恐らく数年後にはレイラも刑殺官への昇進が決定するだろう。これからは、お前らの時代さ」
「じじい、俺はまだあんたに教わりたい事が山ほどある。それに――」
「もう俺が教えることはないさ。小僧には、刑殺官として大切な事を全てを叩き込んできた」
エルビスはただハーディの言葉を遮る。
「なんじゃ、お前さんの弟子はずいぶん意気地が無いようじゃのう」
ハーディはドンに言われて眉を曲げるが、ハーディにしてみれば自分が刑殺官を務める不安より、エルビスと離れることの方が辛かった。
ハーディがまだ色々と教わりたいと思っていたのは事実だったが、エルビスと過ごしたこの一年は、人生の中で一番と言ってもいいくらい、心地の良い時間だったからである。
「勘弁してやってくれドン。別にただ一年遊ばせてたわけじゃねえ。腕は間違いなく俺が保証する」
ハーディがエルビスに褒められたのは初対面の時以来であった。
エルビスのセリフに多少の照れを感じるが、それを悟られないように務めた。
「別に会えなくなるわけじゃねえさ。小僧」
ハーディは俯き、しばらく黙るとゆっくりと答えた。
*** *** ***
後日、エルビスから離れたハーディは刑殺官養成所に戻ってきていた。
ハーディが一人で養成所を出歩くのは久しぶりの事である。
いつもは常にエルビスと行動を共にしそれが当たり前となっていた為だ。
養成所は午前の講習や訓練を終えた見習いたちが、自由に歩き回き、人でごった返していた。
「ん? ハーディじゃないか、今日はエルビスさんはいないのか?」
一人で養成所をふらついていると、偶然鉢合わせたコレシャにハーディは話しかけられる。
コレシャはエルビスが隣にいない事に違和感を感じていた。
「ああ。じじいなら今頃レクイエムにいるぜ」
「ハーディ、現職の官長に向かってじじいは無いだろう。親しき中にも礼儀と言う。普段世話になっているんだから少しは敬ったらどうだ」
「わかったわかった。まったく、相変わらず小うるさいやつだぜ」
コレシャは手に持っていた鞭をピシッと張った。
「なんだハーディ、叩かれたいのか?」
「あ! コレシャとハーディだ。二人でなにしてるの?」
割って入ってきたのはエウロアだった。
真面目なコレシャと純真なエウロアは、年が近かったこともあり、いつの間にかこの一年でかなり親密な仲になっていた。
「エウロアか。なに、たまたまこの男を見かけたのでな」
「へえ、珍しい。ハーディ、今日は一人なんだ?」
ハーディは、刑殺官になるまで、エルビスが手続きを終わらす為の準備期間を養成所で過ごすことになったと二人に伝えた。
官長になるなどと言えば、間違いなくコレシャに小言を言われることが分かっていたハーディは、そこだけは秘密にした。
「まさか今まで訓練に顔を出さなかった男の方が先に刑殺官になるとはな」
「さすがだね! ハーディってば実戦の時ずば抜けてたからなあ。実力が認められたんだよ!」
悔しがるコレシャとは対照的に、エウロアは嬉しそうにハーディを祝福する。
「エウロア、甘やかすな。確かに腕はあるが。それでもこの男は性格に難がありすぎる。とても部下を束ねられるとは思えない」
「そんなことないよ。ハーディ、ほんとは優しいんだから!」
「まあそういうわけだ」
ハーディは一言残し、背を向け立ち去ろうとしたが、逃がすまいとエウロアはハーディの腕をがっしりと掴んだ。
「ハーディ! 一年前の約束、覚えてる?」
もちろんハーディはなんの事だか思い出せなかった。
「もう! 一緒にご飯行くって約束したでしょ!?」
今までエウロアが養成所でハーディに話しかけることはあっても、いつだってエルビスと忙しそうに去っていくハーディを誘えないでいた。
エルビスから離れた今は、エウロアにとっては千載一遇のチャンスであった。
「約束なんかしてたか?」
エウロアはコレシャに目配せをして、コレシャはコホンと咳払いをした。
「あ、あー。確かにしていたぞ。私が証人だ」
「ほらー! まだご飯食べてないんでしょう? 一緒に食べようよ」
結局ハーディはそんな事を思い出せずにいたが、言われてみれば何も食べていないし、特に断る理由もなかった。
そのまま三人は食堂へと向かったのである。
*** *** ***
「コレシャ、なににする?」
「うーん」と悩んだ後、コレシャは忙しそうに働く調理師のおばちゃんにカウンター越しに話しかけた。
丁度お昼時な事もあって、食堂は見習いがごった返し、それと同時に厨房も忙しなく回っていた。
「私は、日替わりを頼む」
「じゃあうちもそれにしよーっと」
カウンター越しに「あいよ、二つね!」と威勢のいい返事が聞こえてきた。
「俺もそれでいい。あと、タバスコをくれ」
ハーディはそう言って右腕を突き出した。
「はいはい三つね」と言いかけたおばちゃんはなにしてるんだ? とでも言いたげな顔でハーディを見つめている。
「?」
ハーディは一向に清算を済ませないことに困惑し、コレシャとエウロアを見た。
二人共財布を手に持ち、腕時計を突き出したままのハーディに不思議そうな顔を向けていた。
そこでハーディは気づいた。
一年間、ほぼレクイエムで過ごしたハーディにとって、金の清算は腕途刑によって行われるのが普通であったが、ここでは通貨が違うことに。
「ハーディ……。おまえ、なにをやっているんだ?」
「もしかしてハーディ……、お金持って無いの?」
ハーディの顔は赤くなった。
慌てて右腕を引っ込める。
長年不必要だった財布は、自分のロッカーに入れっぱなしになっていた。
「……財布を、取ってくる……」
そう言って駆けだそうとしたハーディをエウロアが笑いながら止めた。
「いいよハーディ、とりあえずうちが出しておくから」
エウロアは財布の中からハーディの分の料金も支払った。
「アハハッ。ハーディって案外可愛いとこあるよね!」
笑うエウロアをハーディは悔しそうに睨み付けた。
「ハーディ、その右腕につけているものは何だ? どうやらなにも表示されていないみたいだが」
コレシャはハーディの腕途刑に興味を持った。
レクイエムから出た今、ハーディの腕途刑には何も表示はされていなかったが、先ほどの光景を見て、コレシャはこの機械で何をしようとしていたのか気になったのだった。
レクイエムの仕組みを知るのは中にいる人間と、政府でもレクイエム関連の仕事をしている重役だけである。
実際に入る直前まで、見習いにも内情は伝えられていなかったのだ。
ハーディはその情報を漏らしていいのかどうかわからなかったので、遠回しに答えた。
「まあ、中での財布代わりみたいなもんだ。それ以上は言えねぇ」
「なるほどな。レクイエムは犯罪者の巣窟だ。金なんて持たせたら奪い合い、争いが絶えないだろう。言えないというのなら深くは聞かないが、まあそんなところだろうな」
コレシャは一人で憶測をたて、妙に納得していた。
確かにその意見は概ね的中しているが、まさか受刑者同士が中で刑期の奪い合いをしてるなんて夢にも思わないだろう。
トレーに乗った定食を受け取ると、三人は唯一三つ続けて空いてる席を見つけ、食事を始めた。
「どうハーディ? シャバのご飯はおいしいでしょう」
冗談ながらそう言うエウロアだったが、実際刑期を奮発すればレクイエムでもいいものはいくらでも食べれた。
その刑務所では受刑者達が自立し、農業や酪農に勤しむ者もいれば、料理屋を開店する者もいるのである。
世界中から犯罪者を寄せ集めたレクイエムは、ある意味では、多種多様な民族がひしめき合う、巨大な市の様な賑わいをみせる。
しかし内情を離す事を口止めされているハーディは、後々詳しく聞かれる事を危惧してぶっきらぼうに返した。
「別に、変わらねえさ」
「それにしても実際羨ましいものだ。現職の官長に付きっ切りでご教授頂いたなんてな」
コレシャの意見にはハーディも心底同意する。
確かに、こんな貴重な体験など本来出来はせず、ハーディはその幸運に感謝した事も少なくない。
「エルビスさんはハーディのどこを気に入ったというのだろうか。まったくもってわからん」
「まぁ、変わりモンのじじいだからな」
再びエルビスの事をじじいと呼び、コレシャは口にモノを詰め込みながらハーディを睨んだ。
空気を察したエウロアは慌てて話題を変える。
「ハ、ハーディはなんで刑殺官になろうと思ったの!?」
ハーディは別に刑殺官になりたかったわけではなかった。
ただ、自分が食っていくための手段として、他に選択肢がなかっただけである。
だが、エルビスについていくうち、ハーディの考えは変わっていった。
受刑者をねじ伏せ、レクイエムの秩序を生成し、街に平穏を作る刑殺官に、自分からなりたいとさえ思うようになっていた。
今まで生きてきた中で一番尊敬する人物がしている職業だから。
頭の中でそう思い、ハーディは答える。
「別に理由なんかないだろ。てめぇらにはあるのかよ」
本心を隠すハーディに対して、コレシャは張り切って答えた。
「無論、正義のためだ。この世界に悪を蔓延らせてはならない。刑殺官はレクイエムを運営する中で最も重要な管理者だ。彼らを監督するために我々訓練生は日々努力を惜しまず――」
長々と話すコレシャの話をハーディはすでに聞いていなかった。
食事を食べながら適当に相槌を打つ。
「ハーディ、うちはね――」
コレシャの話を聞いていないのはエウロアも同じだった。
「お父さんとお母さん、殺されちゃったんだ」
食事中にする話題じゃないだろうと思いながらも、ハーディは黙ってエウロアの話を聞いた。
「その犯人の人が捕まってね、レクイエムに入れられたんだけど、中の事ってわからないじゃない? だからちゃんと反省してるのかなって。私みたいな人をもう出さないために中ではなにをしてるのかなって気になったんだ」
エウロアは金のために志願したわけではなかった。
それは訓練生の間ではとても珍しい事である。
といっても、隣にいるコレシャもそういった人間だが。
「だからどうしてもレクイエムに行ってみたかったんだけど。やっぱダメみたい」
エウロアの訓練の成績はどれも落第ギリギリのところであった。
子供の頃から厳しい訓練を受けている人間の群れに急に入り込んだのだから、それは仕方のない事である。
ましてやエウロアは体力のない女だ。
養成所に入るのは難しい事ではない。
希望をすれば、ある一定の年齢以下であるならば、ほぼだれでも入ることができる。
だがしかし、無能な人間をレクイエムに入れるわけには行かなかった。
人数を大量に入れれば、犯罪者たちに舐められる。
少数精鋭で管理させた方が良いと指図をしたのは、他ならぬエルビスである。
エウロアが刑殺官になることはできないというのは、訓練を見れば火を見るより明らかだった。
見習いを担当する上官に、エウロアには刑殺官は務まらないと見切りを付けられることになるのは、もはや時間の問題だったのは言うまでもない。
「別に刑殺官にこだわる必要もないだろ。中に入りたいだけなら他の仕事をすればいいじゃねえか」
エウロアはハーディの一言を聞いて固まった。
「おい! ハーディ、聞いてるのか?」
二人が自分の話を全く聞いてないことに気づいたコレシャはハーディに尋ねたが、その答えを聞くより早く、コレシャはエウロアに尋ねられた。
「ねえ、コレシャ? レクイエムって刑殺官じゃないと入れないんだよねえ?」
「決まりだと一人で入れるのは刑殺官だけだな。それがどうした」
「ひと……り……?」
「刑殺官と一緒なら、他の職も入れるぞ」
「えええええええええええええええ!!???」
エウロアは急に大声を上げた。
「レ、レクイエムって刑殺官以外にも職員がいるの!?」
エウロアは知らなかったのだ。
刑殺官募集と言う張り紙を見て、レクイエムの運営は刑殺官だけが行っていると、思い込んできた。
『一年間』ずっとだ。
政府は飯屋、宿屋、仲介屋、葬儀屋、仕入屋など、多種に渡る募集については、見習いの中で刑殺官にはなれないと見切りを付けたものに紹介をしていた。
もちろん訓練生である内も、希望をすればそちらの講習に移る事は可能だった。
だがしかし、養成所にいる人間にとって、一番の人気は刑殺官だった。他と比べて報酬が桁違いだからである。
逆に刑殺官以外になるならば、その報酬から言って、わざわざ危険なレクイエムに入る者など、ほとんどいなかった。
安定して働くことはでき、食べ物には困らない。
だが、はっきり言って見つけるのは苦労するが、外の世界で仕事を探した方が安全に稼げるのだ。
さらに言うと、管理者は自由にレクイエムに出入り出来ない。
それを知っていた訓練生たちには、まるで魅力のない仕事だったのである。
要は、刑殺官以外は全然人気が無かった。
そのせいでエウロアは刑殺官以外の職を知らなかった。
『1年間』ずっとだ。
「あ、ああ、それがどうしたと言うんだ?」
「私の一年ってなんだったの……」
エウロアはがっくりと全身の力が抜けて机に突っ伏した。
心配するコレシャと、何が起きたのかわからないハーディにエウロアは自分が一年間不毛な努力を重ねていた事を告げた。
ハーディは目の前の余りにも阿呆すぎる女にこらえきれず、吹き出してしまった。
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