第13話 キリシマ・エンカ
「おい、ほんとにこいつで大丈夫なのか? 万が一があったら、当然お前の命で責任を取らせるが……それでもいいんだな?」
グラミー裏社会を牛耳る大御所『ジョン・ザディコ』が、自室に連れられてきた男を初めて見た第一声は、落胆を含んだその一言だった。
対抗組織、そして警察、はては下剋上を狙う部下ども。四方八方から常に命を狙われ続けるジョンは襲われるたび、用心棒を変えねばならなかった。
ジョンが首にしたからではない。彼らがそのたった一つの命を守るため、死んでいったからだ。
ジョンは腕利きの用心棒を世界中から集めた。それでも今まで、満足に彼を守り続けた者はいない。片っ端から雇った有象無象の腕利きたちは、一度襲われる度に、役目を果たしたかの様に死んでしまう。
決して雇った用心棒の腕は悪くはない。ただ、ジョンの命を狙う連中が、それに勝る刺客を用意する。結果的に、命を伴ういたちごっこになってしまうのだった。
警戒深いジョンは、警備を常に二重にさせていた。
腕の立つものを側近に置いて、新人はさらに前線へと、矢面に立たせる二段構えである。新入りは先に言った通り、大半は役目を果たすことなく、使い捨てられたかのように簡単に死んでいく。その尻拭いをする様に、万が一ジョンの首に届きそうなものは側近が始末した。グラミー裏社会の大御所、その存命が為されてきたのは、結論から言えば、この側近の力が大きかったからだ。
ジョンの不安に、その側近を務め続ける男『ファン・ファンク』は答える。
「心配ありませんボス。こいつはぁ見た目はこんなだが……、俺よりも腕が立つ」
男をジョンの前へと連れてきたのは他でもないファンである。
用心棒の世界は狭い。
新人を入れてもすぐに代わりが必要となるこの状況に、いよいよ嫌気が差して、ファンは自分の知る限り、最高の用心棒を連れてくる事で打開を図ろうとした。
「――ふん。しかし……どうも信用ならんな」
ジョンが世界で一番信頼を寄せるファン。しかし、その側近から告げられた気休めもまた、彼を安堵させるには至らなかった。
ぱっと見ではあれど、どうも、力があるようにも見えない。さすがに一般人を隣に並べれば、いくらか体が出来てはいそうだが、それでもどうしても、今まで雇ってきた大男たちと比べてしまうと遥かに見劣りするのが否めない。
なにより、ジョンは男に殺気、あるいは覇気と言うものか。修羅場を潜り抜けてきた者特有の、目光の鈍みを見出せなかった。さらには、使う武器は腰に提げた、古ぼけた時代遅れの刀一本だというじゃないか。一振りで折れてしまっても納得できる。実に馬鹿馬鹿しい話である。
総評的に、金よりも大切なもの。命を託すには、とてもではあるが、値しそうになかったのである。
「――おいおっさん。さっきから黙って聞いてりゃ偉そうに……。別に、信用できねぇってんなら、無理に雇ってくれなくったって構わないんだぜ? 俺ぁなにも、仕事には困ってないんでね」
スカウトだと聞いてきたのにも関わらず、この部屋に通されてからと言うもの、散々ジョンに言われ放題だった男は、辛抱抑えられなくなり、いよいよ口を開いた。
へらへらと、しまらない顔をしている男の名はキリシマ・エンカ。小さい島国出身である彼は、用心棒となり世界を渡り歩いていた。表ではその名を知る者は少ないが、裏の世界では頭角を現してきた、顔の知れてきた有名人である。
キリシマがついたのなら、契約期間が終了するまでは手を出すな。最近では、実力を危惧し、彼を間近で拝んだ人間からは、そうとまで言われるようになっていた。
しかし、ジョンはキリシマを知らなかった。なぜならば、彼は自分の警護を、長年側近のファンに任せっきりにしていたからである。それ故に、いつもは屈強な男や、明らかに目つきの悪いものを連れてくるファンがこんな優男を連れて来て、どうやら、そろそろ人手の当ても付かなくなってきたのかと、僅かながら失望していたのも事実だった。
「まあいい。ファン、こいつが死んだら直ぐに代わりを雇うからな。今のうちに次を探しておけ。契約中に死ねば、護衛代も払う必要もない。もしともなれば、またいつも通り、お前が止めろ」
ジョンはファンに目を配らせる。通例通り、ノーと言わせない眼光だった。
黙ったまま深々と頭を下げ、粗相のないようファンはこれに答える。
「なんだなんだ? 好き勝手言っておいてよ。結局契約成立でいいのか? なあ、おっさんよ」
キリシマはあっけらかんとジョンに尋ねた。
ファンは長年ジョンの側で過ごしてきたが、今までにただ一人だって、彼に向かってこんな口の利き方をしたものはいなかった。
裏社会の魑魅魍魎を力でねじ伏せてきたジョン。その怒りを買ったなら、子供であれ、警察であれ、無慈悲に、呆気なく殺されるのは、グラミーに住まうものなら、馬鹿にだってわかる当然の規則である。
周りでこのやり取りを見守っていた部下たちの目には、キリシマは命知らずな、と言うよりも、世間知らずな田舎者にしか映らなかった。
目を瞑り、横になったと同時に枕元を狙う小虫に対する様に、些細な出来事に不快感を感じたジョンは、口には出さずとも苛立ちを周囲に放つ。
ファンはピリリとしたその空気を肌で感じては、慌ててキリシマを黙らせると、そのまま部屋の外へと連れ出した。
「なあ、キリシマ。もう少し、態度を改めてくれないか? ボスの事を知らないわけじゃないだろう? 俺まで冷や汗をかいたぞ。それとも死にたいのか?」
「胡麻すりなんて契約書に書いてないはずだぜ? それは俺の仕事じゃねえ。俺の仕事はあくまで護衛だけだ。あのおっさんの機嫌がとりたいのなら、俺じゃなくて色っぽい姉ちゃんでも雇うんだな」
キリシマにとっては、雇い主に嫌われようが、幾分にも関係のないことだった。求めていたのは強者。ただそれだけだったからだ。
より地位の高い者の護衛につけば、その高さに比例して、対峙する敵は強くなっていく。護衛業を生業とする内、キリシマはそう気づいていった。
裏で幅を利かすジョンの護衛にキリシマが就くようになったのは、言ってしまえば時間の問題で、必然的なことだったのかもしれない。
ファンはため息をついた。キリシマには何を言ったとしても、ジョンへの態度を変えるに叶わないと、そう感じたからだ。
それならばいっそ、もうジョンの近くには寄せない方がいい。余計なとばっちりは避けるに限る。
「――わかった。それなら今日は、キリシマは外での警備を頼む」
ファンから命を受け、キリシマはジョンの滞在する豪邸の庭へと出る。空を見上げると、故郷の島国から見たそれと、寸分違わぬ満天の星が輝いていた。
武者修行のため旅に出たキリシマ。今まで眼鏡にかなう敵は一握り。
強くなりすぎた男は、己の行く先を見失っていた。
「ここが駄目だったら……、もうあそこしかねえよなあ」
キリシマはぼそりと呟いた。
『あそこ』とは、世界中の猛者が集う刑務所、レクイエムに他ならない。ありとあらゆる犯罪者が蔓延る刑務所に、キリシマは密かに期待を抱いていた。
辺りを見渡してみる。周囲に道路がないせいか、聞こえるのは噴水から流れる水の音くらいで、とてもだが敵なんか襲ってきそうにない夜だった。
「あーあ……。退屈だぜ……」
自分の刀に目を落とす。
残された問題は、どうやってこれをレクイエムに運び入れるかだった。
キリシマはレクイエムの内部をある程度知っていた。なぜならば、同じ島国出身の友人『イカルガ・マキナ』がレクイエムに収容後、一年もせずに出てきたからだ。
奴の話によると、レクイエム内部では相手を探すのには困らないが、逮捕時に武器を奪い取られるため、あらかじめ仕入れ屋と呼ばれる管理者に預ける必要があるとの事だった。
弘法筆を選ばずという。だがしかし、キリシマのそれは、今は亡き師匠から譲り受けた、いわば形見である。他人に預ける気など起きず、それだけが頭を悩ませていた。
〇
一晩中外に立たされ、薄っすらとだが、空が白味がかって見えるようになっていた。夜と朝の境目の中、屋敷中から誰かが歩いてくる気配がして、キリシマは刀に手を伸ばす。しかしその人物を確認すると、また、構えを解いた。
「よく聞いてくれキリシマ。今晩ボスは、グラミーのミュゼットファミリーとシマの取引をする。その際おまえにも警備にあたってもらう事になった。細かい話はまた後でする。わかったらお前も、もう休め」
ファンの話を聞くと、キリシマはジョンの部屋へと戻り、壁にもたれかかるように座り込んで、仮眠を取り始めた。キリシマが用意された自室ではなく、ここへ足を運んだのは、いつジョンが襲われても対応できるようにとの思惑だった。
対して、部屋に戻ってきたキリシマに一目もくれず、ジョンはひたすら、ひっきりなしに電話を繰り返し、ドスを利かせたり、時には怒鳴り散らかしながら、今晩の会談の準備に取り掛かっている様だった。
ファンが語ったミュゼットファミリーも、グラミーで幅を利かす一つの大型のマフィアであった。
ジョン・ザディコが率いるここ、ザディコファミリーがグラミー一であるのなら、次に名を挙げるのは間違いなく『アミュゼ・ミュゼット』率いるミュゼットファミリーになるだろう。あるいは、その力関係は拮抗しているのかもしれない。
商談の為とはいえ、彼らと顔を合わせねばならないジョンは、疲労も重なり、少々ノイローゼ気味にもなっていた。
「ボス、ミュゼットの野郎は予定通りに、今晩ここに来るそうです」
「――おう」
部屋に入ってきた部下からの報告に、ジョンはぶっきらぼうに答えた。
その部下は、決して気を持たせようとしたのではなく、体を気遣って声を続けた。
「あの……。ボスも少しお休みになってはいかかでしょうか? 昨晩から一睡もしていないようですが――」
「てめえ! 俺に指図すんじゃねえ!」
時によっては、ジョンは『ああ、心配ない』と穏便に済ませたかと思う。しかしどうやら、この場面には当てはまらなかったようだ。風船に針を立てた様に、ジョンの中で蓄積されていたなにかが弾けた。
今夜の商談では多額の金が動く。決して失敗は許されなかった。
ジョンの周りには、内には、緊迫した空気が流れ、溜まり、彼を閉じ込め、追いやっていたのである。
「てめえもっ! いつまでも呑気に寝てんじゃねえ!!」
ジョンは机に置かれていたガラス製の灰皿を手に取ると、力任せに寝ている木偶の坊へと投げつけた。
キリシマは目を瞑ったまま、今まさに頭部に当たろうとしたそれを掴んだ。
「――なにか用か? おっさん?」
キリシマは確かに寝ていたはずである。いや、起きていたにしても、確かに目を瞑っていたのをジョンも部下も目にしていた。偶然で片づけるには、あまりに神がかっている。
思わず絶句した部下をよそ目に、「いや、いい。そのまま休んでろ」と、ジョンは賛辞を贈った。
ジョンはいくらか冷静さを取り戻した。あのファンが認めるだけはありそうだと、心で思った。キリシマへの期待を高め、それと同時に体の力が抜けたような気がした。
「おい。ファンはどうした?」
ジョンは部下に尋ねた。
そう言えば、外で警備をしていたキリシマを呼びに行ってから姿を見ていない。代わりに庭で見回っているのだろうか。あるいは夜に向けて、仮眠をとっているのかもしれない。だが、ジョンの予想は外れた。
「ファンさんは、昼から外に出ています。中はキリシマに任せると。自分たちはそれだけを受けて、どこへ行ったかまでは……」
部下はそれだけ残すと、また八つ当たりを受けることを恐れて、部屋から逃げるように去って行った。
〇
日が落ちると、屋敷の大広間には、真白いテーブルクロスが敷かれた長い、長いテーブルが置かれ、その端の席へジョンが座った。その椅子の両脇には、ファンとキリシマがジョンを挟むように立っている。
丁度テーブルの真ん中から、ジョンが座っている側にだけコップと水が用意されている。
「失礼しますボス。今、ミュゼットが外に到着しました」
「――おう、通せ」
ジョンが命じると部下は走り出し、それから数分後、やがて大人数を広間に連れて帰ってきた。
「これはこれはジョンさん。お久しぶりですねえ」
「――座れ。アミュゼ」
ジョンがそう言うと、アミュゼは長いテーブルを挟み、ジョンの反対側の端に腰掛ける。両者は向き合う形となった。
続けて、テーブル半分にジョンの部下が、残り半分にアミュゼの部下が腰掛ける。丁度五分五分に分けられた人員は、互いの力関係を表している様にも見えた。
「……おい、用意しろ」
アミュゼが手を揚げると、彼の部下が、テーブルのアミュゼ側にグラスと水を配り始めた。
商談をするとは言え、互いは敵対し合う組織同士である。用意された食事や飲み水に毒が盛られている可能性は否めない。しかし、それを疑って、出された物に手を付けないでいるのも無礼にあたってしまう。よって、口に付けるものは、決まって自分の組織が用意すると言うのが、この世界での礼節であった。
ジョン同様に、アミュゼの両脇にも二人の男が立っている。
その内の一人をキリシマはよく知っていた。その男は、キリシマにレクイエムの内部を話し教えたイカルガ・マキナに間違いない。
キリシマとイカルガは目を合わせるが、二人は一言も発さず、寡黙に徹した。
「それでは、用意も出来ました事ですし、早速始めましょうか。ザディコさん」
「急に仕切ってんじゃねえよぉ、アミュゼ。いつからそんなに偉くなりやがった? あ?」
二人の挨拶を皮切りに、ザディコファミリーとミュゼットファミリーの商談が始まった。互いの部下は、それぞれのボスの会話をただ黙って聞き続けている。
「これはこれは。ジョンさん。大変失礼致しました」
「――ふん。例のシマの件だろ?」
「ええ、お陰様でうちも大分人員が増えてきて、少々手狭になってきたので……、新しいシマをお譲り頂きたいのです」
冷たく笑うアミュゼにジョンは睨みを利かせた。
表面上は親交的体裁を装って入るが、この男の容貌は何一つ信用ならなかった。
「アミュゼ、率直に言えば、あのシマは稼げる。治安の割に若い女が多いからな。決して安くはねえぞ?」
「ほう。でしたら、それはなおさら手に入れたいところですねえ」
「腹の探り合いをするつもりはない。結論から聞こう。いくら出す? 金額次第だ。わかりやすいだろう?」
「希望額ですか……。ジョンさん。では、無料でお渡し頂くと言うのは如何でしょう?」
アミュゼがニヤリと笑うと、部下たちが懐から拳銃を引き抜き、その銃口は一斉にジョンへと向けられた。
すかさずキリシマは刀に手をやり、ジョンの前のテーブルに飛び乗った。
反射的に、ジョンの部下たちも同様に拳銃を抜いては、アミュゼへと向ける。
「――てめえ、なんのつもりだ? 戦争でもしに来たのか? これだから運で成り上がった勘違いは困る。礼儀を知らないにも程があるな。アミュゼ」
「いえいえ、戦争だなんて、そんな物騒な事。私が望んでいるのは、いつだって血を流さない平和的解決だけですよ。ただ、こちらの分が悪い事は認めましょう。そこで今日は、一つ賭けをしていただこうかと……」
「賭けだと……? てめえ! ふざけた事言ってんじゃねえぞ!!」
「いいんですか? このままですと、ジョンさんも私も、蜂の巣になって死んでしまいますよ。それこそふざけた話でしょう? まあ、話だけでも」
アミュゼの頭は完全に狂っていたように見える。
だが、それくらいの異端者でなければ、とてもこの世界では這い上がれないものだ。自分の命を賭けてでも、ジョンが絶対に断れない状況を作りだし、アミュゼは対談に望もうとしているのだ。
「賭けのチップはわかる。さっきのシマだろう。だが……、ゲームがわからねえ。どんな内容だ?」
「いえ、簡単な話ですよ。ここにいる私の連れてきた二人の用心棒。そして、今ジョンさんの両脇に立つ二人の男。例のシマを賭けて、二対二で力比べをさせてみませんか?」
ジョンは小声で「いけるか?」と、隣に立つファンに尋ねる。
「問題ありませんボス。二人とも見ねえ顔だ」返された答えに、ジョンは熟考した。それでも、キリシマの実力こそまだ見ていないが、ファンがそう言うのなら間違いはないだろうとジョンは思いを巡らす。
「――そこの二人をぶち殺したら、言い値でシマを買い取ってもらう。それでもいいんだな?」
「ええ。では私が勝ちましたら、先ほども言った通り、無料でお譲りしてもらいましょう」
どちらにしても、負ければ組織に壊滅的な被害を与える手痛い損害である。
ジョンも言った通り、そのシマは若い女が多かった。そこにいる女を薬漬けにして売春宿に落とせば、それだけで多額の金を稼ぐことができる。長年に渡り売春街を築かせてきた看板は、グラミーの男に広く知れ渡るところだ。
対してアミュゼの画策は、土地の開発にあった。決して一等地とは言えないが、それでも世界経済の中枢、グラミーを名乗る銘柄である。商業施設でも、富裕層の住宅でも、使い道には困る事がない。
「いいだろう。場所を移すぞ」
一同は、ジョンの屋敷の中庭へと移動する。
両者のやりとりを聞いてなお、キリシマとイカルガは表情を変える事がない。たとえ友人であろうとも、依頼を完璧にこなすことは、二人の持った信念であったからだ。
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