犯罪者達の鎮魂曲

第18話 キャリー・ポップ

「すいません！　あの、寝坊しました！！」

　大きな声で会社に入ってきたのは、数か月前に入った新人記者、キャリー・ポップである。

　新入社員だというのに、早速遅刻をしてくるとはいい度胸である。

　キャリーの上司はその姿を見て話しかけた。

「入社してすぐに遅刻かぁ？　おまえの代わりなんていくらでもいるんだぞ？」

「あのあのあのあの！　えっと……、すいませええええん！！」

　大型都市、グラミー。

　キャリーはそこにある小さな出版社に入った。

　仕事の無い人が多いこの街で、就職できたのは幸運ともいえる。

　だがそれには理由がある。

　偶然、キャリーの面接官は、彼女の母親に昔世話になっていた記者だったのである。

　その縁あって、キャリーは無事入社できたのだが……、少々抜けているキャリーは仕事でミスを連発し、早くも職場では厄介者扱いされていた。

「すいません。あの、もう寝坊しないように気を付けるんで！」

「おまえなあ……。これで何度目だと思っているんだ！！」

　謝り続けるキャリーを上司はじろじろ見まわしている。

　こりゃあ長くなるぞと思った時、一人の中年がキャリーに助け舟を出した。

「まあまあいいじゃないですか。それよりキャリー、早く準備しろ。取材行くぞ」

　中年の名はオレンジ・ガバ。

　彼こそ、キャリーを面接した当人である。

　オレンジは新人教育係としてキャリーをそのまま担当していた。

　それは、かつてキャリーの母親に新人研修をしてもらったオレンジが、会社に頼み出た提案である。

「オレンジさん！　あの、すいませんでした！」

　上司に頭を下げ続けていたキャリーが、今度はそれをオレンジに向けると、オレンジは笑って顔を上げさせた。

「ね？　僕達、時間押してるんでもう出ちゃいますよ？」

　オレンジがそう言うと、上司はううむ、と不満そうな顔をしながらも承諾した。

　オレンジは敏腕記者である。

　部署を取り仕切る男にとっても、会社の稼ぎ頭相手に強くは出られなかったのだ。

「さ、行くよ。キャリー」

「あの……、はい！！」

　キャリーはオレンジに続いて会社を後にした。

＊＊＊　＊＊＊　＊＊＊

「あの、オレンジさん。今日も政府に向かうんですか？」

「そうだねー。多分また、相手になんかされないと思うけど」

　オレンジとキャリーが取材しているのは世界最大にして唯一の刑務所、レクイエムについてである。

　レクイエムが設立してから以降三十年、調べる記者は多かったが、その全容はかけらもわからないままであった。

　内部はどのようになっているか、出所後の元受刑者はなにをしているか。

　不明な点は多かったが、大衆はそれを気にも留めなかった。

　なぜならレクイエムが設営されてからと言う物、明らかに犯罪件数が減り、世界が平和になっていると実感していたからだ。

　しかし、誰もが挑戦し、敗れていくレクイエムの調査は、やはり記者にとっては夢のある取材でもあった。

　もし内部の一部でも知る事が出来たら大金星である。

　前代未聞の超スクープを公表すれば、さすがの大衆も興味を持ち、とてつもない額の金が動くことは想像するに容易かった。

　オレンジは以前レクイエムを取材していたキャリーの母親が十年前に逮捕されてからというもの、それを引き継ぎ、現在に至るまで他の小さな事件と並行しつつ調査を続けてきたのである。

　オレンジの場合は、特ダネのためというより、不明な逮捕をくらった恩人を調査していた、というのが正しいのだろうが。

　二人は地下鉄に乗り、政府の議員宿舎まで移動した。

　地道な聞き込みこそ自分の武器だと語るオレンジは、ここに何度も何度も足を運んでいる。

　見習いとしてオレンジについて行くキャリーも、もうこの光景には慣れたものである。

「オレンジさんは、あの、怖くないんですか？」

「怖いってなにが？」

　キャリーの問いにオレンジがすっとぼけた返事をした。

「あの、私のお母さんはレクイエムについて調べてて捕まったんですよねえ？」

　キャリーの母親は十年前に仕事に出てから、それっきり戻る事は無かった。

　当時、子供だったキャリーはなぜ戻らなかったのかを父親に尋ねたが、その疑問ははぐらかされるだけに終わった。

　キャリーが事実を知ったのは、この会社に入社し、面接時にオレンジと会話した時である。

　レクイエムを深く知るのは危険だと、キャリーよりも、むしろオレンジの方が知っているはずだろう。

「大丈夫だよ、キャリー。目立たなきゃ捕まりはしないさ。それより、あれ見ろよ」

　オレンジは天にそびえる宿舎を指さした。

　その根元、丁度入口辺りにいたのは、レクイエム最高顧問のセルゲイ・オペラである。

「ほら！　行くよキャリー」

　オレンジはその姿を見ると勢いよく走り出す。

　慌ててキャリーもオレンジの背中を追った。

「オペラ氏！　雑誌の取材なのですが、レクイエムについて少し聞かせてください！」

　オレンジがそう言って近づくと、気付いたセルゲイは足早に車へと乗りこむ。

　車は直ぐに発信し、二人だけがその場へと取り残された。

「あちゃあ、また逃げられた！」

「無理ですよ。あの、オペラ氏は絶対に喋らないと思いますよ」

「でもなあ……。間違いなくあの人なら全部知ってるからなあ」

　セルゲイ・オペラはレクイエム創設から携わる権力者だ。

　確かにレクイエムについては、彼の知らない事はないだろう。

　だがそれは同時に、彼がレクイエムについて話せない事を表す。

「あの、オペラ氏は私のお母さんのことも知ってるんでしょうか？」

「ああ。間違いないと思うよキャリー。あの人は……。きっと取材の最中、オペラの秘密を知ったんだろう……」

　母親がレクイエムに落とされた理由を聞かされても、怒りも絶望も憎しみも感じられないほど情報が足りていなかった。

　キャリーはただ一言「なんで？」と疑問に思っただけある。

　ただそのちっぽけな探求心、好奇心は、キャリーを記者でいさせる事には十分すぎる動力だった。

　しばらく待ってみても、宿舎からは誰も出てこない。

　もしかしたら先ほどのやり取りが見られて、残る議員は裏口から出たのかもしれなかった。

　何より最近はここに来すぎている。

　いつもより多い警備員から、政府側が警戒を強めているのもわかる。

「しかたねえ、もう一個の方行くかー」

　キャリーはオレンジに続いて再度電車に乗った。

　不毛な取材を続けるだけの日々であったが、キャリーは母親に携わっている気がして、オレンジとの取材が嫌いではなかった。

＊＊＊　＊＊＊　＊＊＊

　続いて二人が向かったのはグラミーにあるスラム街である。

　雑居ビルや古い建物が立ち並び、そこにはかなりの住人が密集して暮らしている。

　なぜこんな所にきたかといえば、ここにはある暴力団体がアジトとしているビルがあるからだ。

　傍から見たらただのビルで、中にはなにかの会社の事務所があるようにしか見えない。

　しかしオレンジは、その暴力団体とセルゲイが繋がっていると読んでいた。

　ビルの入り口を遠くから見張っていると、いかにも怪しい風貌の男たちがそこに出入りする。

「さぁーってと。どうするかなあ」

「オペラ氏がここに来れば決定的なんですけどね」

　キャリーが言った事が現実になれば、写真を撮って終わる話である。

　あとはそれでセルゲイをゆすってレクイエムの情報を聞き出せばいい。

　だが、まず間違いなくここに注意深いセルゲイが来ることはないだろう。

　二人がビルを見張っていると、後ろから一人の男に急に声をかけられた。

　ビルに集中するあまり、背後からの接近に気が付かなかったのである。

「よお、おめえらこんなとこでなにしてんだ？」

　スーツからは鍛えているだろう胸板が見え隠れし、顔には深い傷跡を残す。

　見るからに怖そうな風貌の男に、キャリーは完全に委縮した。

「あの、あの、私たちは別に……」

「よお！　あんた達あのビルの事務所に行くのかい？」

　対してオレンジは異様に親近感を持って話しかけていた。

　怖そうな男が手を上げると、事務所内から見ていたのか、大勢の男たちがビルから出てきた。

「キャリー……。隙見つけて逃げな」

　オレンジは男に聞かれない様に小さい声でキャリーに耳打ちする。

　キャリーはその言葉を聞いてグッと奥歯を噛みしめた。

「なんだあ？　にいちゃん。うちに何か用かよ？」

「ああ、俺は探偵でね。オペラさんに頼まれたんだ。この辺で嗅ぎまわってる記者がいるから、張り込んで調べてくれってな！」

　ビルから出てきた男たちは一様に顔を見合わせた。

「お前、そんな話聞いたか？」

「いや聞いてねえ。おい、ちょっと確認してみろ」

「へい、上に電話してみます」

　男達の一人が電話をかける。

　その様子を見ながら、オレンジは涼しい顔で待っていた。

　やがて電話が切れると、男は口を開く。

「今朝記者に寄られたのは本当らしいが、張り込み？　そんなものは依頼してないそうですぜ」

　男達の目つきが、流れている空気が変わっていく。

　それと同時に、あることに気付き男たちの一人はオレンジに問いかけた。

「おいお前、女の方はどうした？」

「ああ、あんたが電話してるうちに帰っていったぜ？」

　オレンジはなるべく自分に注意を払わせ、キャリーを気付かれずに逃がしていたのだ。

「ふざけんな！　なにもんだ！　おめえ！」

「はっ！　今オペラに電話して聞いただろ？　今朝、オペラの所に行った記者だよ！」

　男たちは激昂し、オレンジに襲い掛かってきた。

「はっは！　やっべえええええ！！」

　オレンジは狭い通路を走り出した。

　追ってくる男達は血相を変えている。

　なかには刃物を持っているものまでいた。

　だが、男達よりオレンジの足の方が早かった。

　僅かづつ差は開くものの、それでも男たちはどこまでも追ってくる。

「ハァッハァッ、これはっ、さすがにまずいかもっ！」

　疲れ切ったオレンジがそう言った時、路地を開けて大通りに出る。

　すると、目の前にドアの空いたタクシーが停まった。

「乗ってください！　オレンジさん！！」

　オレンジがそのタクシーに乗るとドアはすぐに閉まり、タクシーは走り出す。

　先に逃げたキャリーが先回りし手配していたのである。

「ハァッハァッ……。サンキューキャリー、死ぬかと思ったぜ」

「無茶しないでくださいよ！　……もうあの辺行けませんね」

　タクシーの中で息を荒げるオレンジはニッコリ笑った。

「いやあ、もう行く必要ないから問題ないよ」

　そう言ってオレンジは、ポケットからそれを取り出し操作した。

『「ああ、オペラさんに頼まれたんだ。この辺で嗅ぎまわってる記者がいるから、張り込んで調べてくれってな」「お前、そんな話聞いたか？」「いや聞いてねえ。おい、ちょっと確認してみろ」「へい、上に電話してみます」』

　オレンジは話しかけられた瞬間、これはチャンスと、男達との会話を持っていたレコーダーに録音していたのだ。

「へっへ。これで証拠は捕まえたな！」

　キャリーは呆れて肩を落とす。

「こんな危険な取材、オレンジさんにしかできませんよ……」

「何言ってんだ？　俺だって、お前の母ちゃんから教わったんだぞ？」

　笑いながらそう言ったオレンジにキャリーは呆気にとられた。

　タクシーは二人を乗せて道路を進み続ける。

　ミラーを覗くと、男達の姿はもう見えなくなっていた。