第8話 独往の母親、ララル・ポルカ
廃ビルの中の固い床では疲れはなかなか取れない。だが、それでも構わず日は昇る。気づけば廃ビルの外は少しづつ色づき、朝の到着を知らせていた。
「起きたか? 準備ができたら行くぞ。キャリーちゃん」
キャリーが目を覚ましたのを見て、キリシマが声をかけた。
目をこすりながら、気だるそうにキャリーは体を起こした。
「おふぁようございますキリシマさん。ララルさん起きてください。あの、朝ですよ?」
キャリーがララルを揺すると、彼女もまた不機嫌そうに眼を覚ました。
「え~、もう行くのぉ? はやくなーい?」
「ならお前はここに残れ。行くぞ、キャリーちゃん」
キリシマはそう言い、立ち上がった。
「まったまったあ! あんた昨日カッコつけてたくせに置いてく気かぁ!!」
「昨日? ……あの、何の話ですか?」
「どうやら目は覚めたみたいだな」
キリシマがニヤリと笑うとララルは観念して起き上がった。
廃ビルを後にした三人は昨日と同様にカンツォーネに向けて行進を始めた。
〇
「ヒャッハー。朝っぱらからいい女を二人も連れてどこいくんだ!? にーちゃん!!」
キリシマは斬った。
「おいおい、 こんな所で会うとははなぁ! 死ねキリシマぁ!!」
キリシマは 斬った。
「はっはぁ! 朝から三人も獲物が歩いてくるとはなぁ!」
キリシマは 斬った。
襲撃は幾度となく受け続ける。しかし、キリシマの刀はいとも簡単に絡んできた受刑者達を両断してみせる。当然の様に敵を切り伏せる姿に、すでにキャリーとララルは慣れてしまっていた。
「おまえほんっとつえーなぁ。そんだけ殺したらすぐに刑期満了できるんじゃねーの?」
「あの、キリシマさんは外に出たくないらしいんです」
「はぁ!? 変わってんなあ……。でも刑期なんてすぐ減っちまうだろ? 何に使ってんだよ」
キリシマは振り向き、とびきりのドヤ顔で言った。
「大体女だ」
「キリシマさん……」
「なあんだ。じゃああたしを買えよ」
「お前はだめだ」
「なんでだよ! 自分で言うのもなんだけどいい体してるほうだと思うぜ?」
ララルは自分の掌で自慢の肉体をなぞる。
「お前を買う気はないが、別に刑期を譲るのは構わねえぜ。いちいち使い切るのも結構面倒なんでな」
キリシマの発言にララルは食いついた。
「ホントかよ!? 絶対だからな!」
ララルはキリシマに自分の腕途刑を嬉しそうに見せた。
「あたしの刑期はあと八年だけなんだ。なんでもする! 八年分譲ってくれ」
キリシマはため息をついてララルの頭にポンと手を置いた。ララルの残り刑期はキリシマの貯金から見ればなんてことはない。
「ああ。構わないぜ」
「よっしゃああああ!! 私は代わりに何すればいい? 脱ぐか? 足なめるか? ×××か!? △△△か!? 何でも言えよ!」
「じゃあ俺の質問に答えろよ。なんでそこまでして外に出たいんだ?」
キリシマが聞くと、刑期を譲ってもらえると聞いて、興奮していたララルの顔が急にくもる。思い出したくない事を思い出させてしまったようだ。
「息子に……、会いてぇんだ……」
キャリーはその言葉にハッとする。
「あいつはまだ小さい。あたしは生活費を稼ぐためにくだらねえ犯罪に手出した」
「なるほどな。外に子供がいるのか……」
「一回あいつに会って謝るまでは、あたしは絶対に出る事を諦めねえ!!」
外の世界は増えるばかりの人口に、すでにパンク状態だ。貧困にあえぐ人間は、今だに餓死による死者が絶えなかった。ララルもその犠牲者の一人である。
幼くして森の集落に生まれたララルは、物心ついた時には森の中で生活していた。天涯孤独だったが、集落に一人、接点を持った男がいた。
ララルはその男と子を作ったが、子ができたと知った男は唐突に離れていった。森に戻り一人で出産し、この世に産み落とした我が子だったが、少ない栄養から未熟児が生まれた。
息子を救うために集落で体を売り、金を初めて稼いだが医療費には全然足りなかった。金を得るために町に出て非合法な仕事に手を出したが上手い儲け話などあるわけがない。ララルはまんまと利用され、レクイエムに落とされた。
「カンツォーネの仲介屋を見つけ次第お前に刑期を渡す。ララル、それで釈放だ」
ララルはキリシマの手に抱き着き、ニコッと笑った。
〇
キリシマと言う傘で受刑者と言う雨を凌ぎながら、夕暮れまで歩いた時である。密集していた廃ビルの密度が段々と減ってきた事にキャリーは気付いた。
「結構歩いたな。そろそろ抜けるぞ」
キリシマが指さした廃ビルの先には、一面木々が生い茂っていた。地形の変化はオラトリオとカンツォーネの狭間にまで来たことを意味する。
「森の中より廃ビルの方が安全だ。今日も早いけど、ここらで休もうぜ」
「あの、森の中だとどこから狙われるかわからないですもんね」
「そう言う事だキャリーちゃん」
「えー。私は森の中の方が落ち着くけどなー」
森育ちのララルから不満の声があがる。
「文句言うな、ララル。木が生い茂ってる森はここらよりよっぽど待ち伏せされやすい。なにより、雑音が多くて敵の接近に気付くのが遅れちまう」
キリシマが言ったことは正しかった。だが、それよりキャリーが予想以上に疲れていた事に気付いていたのである。無理に進むより、休憩をこまめに取り体調を崩させないようにキリシマは気遣った。
それを察したのか、ララルはしぶしぶ了承し三人は森沿いの廃ビルの階段を上った。
〇
「少し早いが飯にするか。食ったら寝て体力つけとけ」
ララルは配膳される三人の食事を見比べた。今日も相変わらずキリシマの分が少ない。
「私、今日いらない」
ララルは自分の分の食料をキリシマへと返した。
「いらねぇって……、食わないと持たないぞ。食っとけ」
キリシマはその食料をララルの方へ返した。
「別に何も食わねぇって言ってないだろ!」
ララルはさらにそれをキリシマに返し森を指さす。
「まだ外明るいし、私ちょっと食料調達してくる!」
ララルはそう言って森に向かって走り出した。
「おい、待てよララル!!」
キリシマは止めたが、戻ってこなかった。
ララルは助けられ、救われ、親切にされ、何もいらないとは言われたが、それでもキリシマに対して少しでも恩返しがしたかったのである。森は彼女の故郷だ。獣や山菜を取り、少しでもキリシマの腹を膨らませよう。そう考えたのだ。
「待ってろよキリシマ! うまいもん食わしてやるからなぁ!」
〇
「あの、ありがとうございます。キリシマさん」
キャリーはララルがビルを飛び出して行くのを見送りながらキリシマに呟いた。
「ん? いきなりどうしたキャリーちゃん?」
「ここまでの護衛の事、ララルさんの事。キリシマさんがいなかったら、あの! 私絶対ここまでこれませんでした!」
「礼なら早すぎるぜ、キャリーちゃん。まだ半分来たかどうかって感じなんだ。その話はカンツォーネに着いてから聞くよ。それにカンツォーネに行く事が目的じゃない。シシーに会う事が目的なんだろ?」
「いえ! あの! キリシマさ――」
「ギャアアアアアア!!」
キャリーが言い終わる前に下からララルの悲鳴が聞こえてきた。
悲痛な叫び声にただ事ではないと悟った二人は急いで悲鳴の元へと向かった。
廃ビルを出て外を見まわすとララルは男達に囲まれていた。その顔には見覚えがある。昨日ララルを捕えていた集団だ。キリシマから逃げのびた後、偶然にも同じ方角へと逃げてきたのだ。
「へえ、また会ったなお前ら。ララルを……、その女を返してもらおうか」
キリシマは刀を構えて要求した。
集団はキリシマの声に気付き振り向く。
その時男達の陰からキリシマの目に入った。
――細くて長い剣がララルの喉を突き破っているのを。
「ゲエ! キリシマだ!」
「待てよキリシマ! 昨日、この女を抱いた仲間が死んだんだよ!!」
「そうだ! この女病気かなんか移しやがった!! これは仇討ちだ!!」
「アアアアアアアアアアアアアア!!」
男たちは必死に弁解したが、キリシマにはもう何も聞こえてなかった。
刀を抜き、キリシマは男どもを無我夢中で斬った。
キャリーは見た。今までの舞うような剣技ではなく、ただ怒りをぶつけただけの荒々しい殺戮を。
激昂しながら一人残らず切り伏せ、息を荒げるキリシマにキャリーは話しかける。
「キリシマさん……」
キャリーの声を聴き、キリシマは大きく息を吸い込んだ。いくらかの冷静さを取り戻したようだった。
「ここを離れようキャリーちゃん。さっきの悲鳴を聞いたやつがいるかもしれねえ」
手を引き、その場を去ろうとするキリシマをキャリーは止めた。
「あの! でも、ララルさんが……」
「早く行くぞ……」
「そんな! ララルさんを置いては行けません!! だってあそこで……」
「もう死んだんだ!!」
キリシマが怒鳴るとキャリーは呆けた顔をして、それからすぐに泣き出した。頭の中では理解していたが、未だララルの死を、キャリーは受け止められないでいた。
「なんで……、ついさっきまで……、ララルさん……、あんなに笑ってたのに……」
キリシマは悲しみに沈むキャリーを胸に抱きよせた。
キャリーはその中で、涙が枯れるまで泣き続けた。
〇
二人はそこから南に移動した。
目についた廃ビルに入り、再び食事を用意したがキャリーは手を付けなかった。
「キリシマさん……」
「気持ちはわかるが、少しは食べたほうがいい」
「少し、そちらに行ってもいいですか?」
キリシマは頷くと、キャリーはキリシマの隣に座って寄りかかった。
「私……、怖いです」
「大丈夫だ。俺がそばにいるうちは、誰にも手出しはさせねえ」
「違うんです。あの……、私レクイエムに来て、人が死ぬのを今まで何度も見たのに、なんで今まで平気だったのかなって」
「キャリーちゃん……」
「目の前で見ていたのに悲しいとか、かわいそうとか、申し訳ないとか、そんな事全然思えなくて。人が死ぬって、そんな簡単な事じゃないのに……。私、人が死んでいく光景に慣れちゃってたんだって気付いたんです……」
「すぐに慣れる。俺も同じさ。そうでなきゃここでは生きられない」
「キリシマさんはララルさんが殺されたのを見て、何にも思わなかったんですか?」
キャリーはキリシマの顔を覗いた。
目をしっかりと合わせたまま、誠意を持ってキリシマは答えた。
「思わない。なんにも思わなかった。俺は人を斬りすぎた」
「そんなの……、嘘です……」
キャリーはキリシマの胸に顔をうずめた。
キリシマが何も感じなかったのなら、あんなに荒々しく刀を振る事はなかっただろう。いつも通り当たり前に、舞うような剣技を披露していただろう。
キャリーはポケットに入れていた銃を握りしめ、この銃は大切な人を守るときだけに使おうと心に誓った。
キャリーが廃ビルから見上げると、ただただ眩しいだけの星空がぼやけて見えた。
〇
いつの間にか眠りにつき、外が明るくなるとその光でキャリーは目を覚ました。
敢えて起こさずに待っていたキリシマも、キャリーの起床に気づいて目を開ける。
「おはようございます。キリシマさん」
キャリーの目の下にはクマができている。
「ああ、出発できるようになったら教えてくれ」
キャリーは自分が気を使われていると感じすぐに答えた。
「大丈夫です。もう行けますよ? でもその前に、あの、行きたいところがあるんですけど」
「ん? どこに寄るんだ?」
「ララルさんのところです。せめて、森に埋めてあげたほうじゃいいんじゃないかって……」
「なるほど。キャリーちゃんらしいな。でもそれはやめたほうがいい」
「どうしてですか?」
「俺たちが埋葬しても、結局レクイエムの管理者が掘り起こしちまうのさ。遺体処理は葬儀屋の仕事だ」
レクイエムには多数の管理者がいる。リップのような仲介屋もいれば、寝床を確保する宿屋、外の世界から薬などを持ってくる仕入屋、そして秩序を守る刑殺官など、多種多様な管理者がいる。
葬儀屋は腕途刑のGPSと生態反応を読み取り、すぐさま遺体を火葬場に運ぶ仕事だ。目立たないが、レクイエムにとっては重要な仕事である。なぜなら、レクイエムに遺体処理を行う者がいなければたちまち遺体でレクイエムが溢れ、大きな疫病を発生させる可能性があるからだ。それに、例え埋葬したとしても、葬儀屋は遺体を回収しにきてしまう。左手につけられた忌まわしき器具の悪用を防ぐために。
「あの……、そうなんですか……」
「そんな顔すんなよ。言い換えればちゃんと火葬してくれるんだぜ? ここはプロに任せよう」
キリシマが言うのなら間違いないだろう。
キャリーは自分にそう言い聞かせ、準備を済ませた二人は森の中へと向かった。
〇
「森の中を進むのは今までより体力を使うぜ。きつかったら遠慮しないで言えよ」
「はい。わかりました」
二人は林道を進んでいった。青々とした木々に囲まれた、ロクに整備もされていない林道には、大小様々な石が落ちている。更には所々にくぼみがあり、確かに平坦だった廃ビル群よりは歩くのに気を使いそうな道だった。
しばらく歩き、キャリーが振り返ると廃ビルはすでに見えなくなっている。耳を澄ますと水の流れる音がした。川が近くを流れているとキャリーは気付く。
「あの、私、ちょっと水組んできます」
そう言ってキャリーが林道を外れる。
「危ねえぞ。俺もついて――」
「きゃっ!」
「どうした!?」
林道を外れ、森に少し入ったところでキャリーは口を開け指さしていた。指さす先を見ると、いかにもいかつそうな男が無残な姿で息絶えている。
「多分山賊だな。ララルが言ってた通りか……」
「あの、ビズキットって人の手下が来てるんですよね?」
「ああ、気を付けたほうがいいな。離れるなよ、キャリーちゃん」
沢まで降りて水を汲んだ二人は、林道まで戻ると再びカンツォーネに向け歩き出した。林道を進めば進むほど、そこかしろに死体が増えてくる。一体どれだけの山賊がここで殺されたというのか。
そう思うと同時に一つ、ある違和感をキリシマは感じていた。これだけの山賊が殺されていると言うのに、ビズキットの手下は一人も見なかった事である。二人はこれまで人っ子一人すれ違うことはなかった。
(すでに森は切り上げて、全員街のほうに向かったか……)
キリシマがそう推測していると、遠く、道の先に一台の馬車が停まっているのに気付いた。
「ん? あの馬車は……」
「どうしたんですか? キリシマさん」
キャリーは今だ馬車の存在に気付いていない。
不思議そうに顔を覗き込むと、キリシマは突然手を馬車に向けて降り出した。
「マーク! おい! マークじゃねえか!!」
キリシマは馬車に走り寄っていった。
キャリーもその後を追いかける。
二人が近づくと馬車から一人の少年が下りてきた。
「あれー? キリシマさんじゃないですか!? 珍しいですね。こんなところでなにしてるんですか?」
「ひっさしぶりだなあ! 紹介するよキャリーちゃん。こいつは『マーク・シュランツ』」
「あの、始めまして。私はキャリー・ポップと言います」
礼儀正しく自己紹介するキャリーにマークは微笑んだ。
「よろしく、キャリー」
「そっちの奴は?」
キリシマは馬車に乗っていたもう一人に目をやる。
フードをすっぽりと被り、顔が見えなかった。キリシマに軽く頭を下げる。
「彼は新しい助手ですよ。それよりキリシマさん。あなたですか? この死体の山。おかげで仕事が回りませんよ」
マークは森を見渡した。木々の狭間に死体が点在している。まるで戦争でも起きたかのようだった。
「いや、俺じゃねえよ。聞くとこによると、なんでもこの辺の山賊をビズキットファミリーが襲撃したらしいぜ?」
それを聞くとマークは馬車の荷台の幌を取って見せた。
「キャア!!」
荷台には大量の遺体の山が築かれていた。
それを見て驚いたキャリーは悲鳴をあげる。
「わりいキャリーちゃん。言い忘れてたな。こいつの仕事は葬儀屋なんだよ」
「驚かせちゃったね。それより、キリシマさん見てください。こいつら山賊じゃないですよ。間違いなくビズキットの手下です」
目を覆うキャリーをよそ目に、マークはそう言うと馬車に積まれた何人かの遺体の腕をキリシマに見せる。そこにはビズキットファミリーの一員だと証明する焼き印がなされていた。
「ビズキットの手下だって山賊と殺し合いになったら死人くらい出すだろう?」
「それにしては多すぎますよ。僕の腕途刑で確認すると、ここら辺に山賊と合わせて五百体くらいの遺体があるんですよ?」
なぜここまで激しい争いになったのだろうか。お互い引き際が無く共倒れになったのか。ポールは遺体を回収しながらそう考えていた。
「確かに穏やかじゃねえな。今頃カンツォーネも壊滅してるだろうな」
「キリシマさん、何言ってるんです? 僕は今日カンツォーネから派遣されて来たんですよ?」
「それじゃあ、ビズキットの手下はここで全滅ってことか? 山賊と合い打って?」
「不自然だけどそうとしか考えられませんよね……。それともう一つ気付いたことがあって……、キリシマさん。もう一度死体をよく見てください」
マークは遺体の傷を一人一人キリシマに見せていった。
それを見ているうち、キリシマはここで暴れた両陣営を壊滅に追い込んだ男に気付き、声を高らかに笑った。森中に響き渡るような大声で笑った。
遺体にはあまりにも大きい銃創が刻まれていたのである。
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