農協おくりびと (18)13年ぶりの再会
「よう、ネエチャン。困ってんのなら、相談に乗ってもいいぜ、俺が」
溜息をついているちひろの足元に、若い男が立ち止まる。
どこかで聞いたような声だ。
だが、葬儀の司会で相談できる知り合いなど、いまのちひろには居ない。
「遠慮すんな。同級生の間柄だろう。
それともなにか。長い農協勤めの中で、昔の事はすっかり忘れたか?。
俺の顔まで、忘れたわけじゃないだろうな?」
(え、同級生?)驚いて顔を上げるちひろの前に、坊主頭の若い男が立っている。
初めてではない。たしかにどこかで見た記憶はある・・・
だが記憶は、すぐにはよみがえってこない。
誰だっけ?。霧の向こう側にある記憶を、ひとつひとつちひろが掘り起こしていく。
「本当に忘れちまったのか、お前。冷たい女だな。
この声に聞き覚えが有るだろう。
それともなにか。若年性のアルツハイマーでも発症しちまったのか、もしかして?」
それでも思い出すことはできない。
もどかしい想いで、遠い日の出来事をちひろがひとつひとつ掘り起こしていく。
やがて、ひとつの記憶にたどり着く。
思わず、「あっ」と短い驚きの声がちひろの口から飛び出す。
「な、なんでなの・・・なんであんたが今ごろ、こんなところに居るのさ。
驚くでしょう。消えたはずの人が、突然あたしの目の前にまたあらわれるなんて。
だいいち、そのクリクリ坊主の頭は何さ。
いまどきの高校球児だって、そんな青びょうたんの頭にはしないわよ」
「その様子じゃ、やっと思い出してくれたようだ。俺の事を」
「覚えているも何も・・・。
なんであんたが、そこの事務室から出てくるの。
ここは生きている人間には、あまり用事が無い場所なのよ」
「オヤジの代理で、打ち合わせに来ただけだ。
用事が済んだので帰ろうとしたら、ロビーに見覚えのある女がソファーに座り込んでいる。
見るからに元気のない様子を見れば、知らん顔もできないだろう。
細かい事情は知らないが、話くらいなら聞くことが出来る。
俺で良ければ、話を聞いてやるぞ。
なんだ、どうした、何が有った。悩みが有るなら俺に言って見ろ」
「相変わらずですねぇ、すぐにお節介を焼きたがるその性格は。
落ちこんでいるわけじゃないけど、難問に突き当たっているのは事実です。
わたしのことはともかく、その頭は見るからに雲水じゃないの。
高校を出てすぐ、消防署のレスキューに入ったと、風のうわさに聞いていたけど・・・
それがいきなりクリクリの頭で、わたしの目の前にあらわれるなんて。
何がどうなってんのさ、あんたのほうこそ・・・」
「話せば長くなる。なんだよ、聞きたいのか、俺の話を?」
「上から目線も昔のままですね。あんたって。
はいはい。わたしはどうせ暇です。
わたしのことはとこかく、先にあなたの話を聞かせてよ。
わたしは明日までに、さっき手渡されたばかりの葬儀査定を、丸暗記するだけだもの。
1時間や2時間、無駄にしたところでどうってことありません」
「なるほど。お前らしい考え方だ。
ところで専門的なことだが、すこしばかり誤解しているぞ、お前。
雲水というのは、禅宗の修行僧たちの事を言う。
俺が学んでいる真言宗の総本山、奈良の長谷寺では見習い中の者のことを修行僧と呼ぶ。
青々としたこの頭は、剃髪という。
2年間の修業がおわれば俺も晴れて、やがて実家の跡を継ぐことになる」
「ということは、お坊さんのなるための修業を始めたの、あんたは?」
(19)へつづく
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