第15話「骨髄採取、てゆーか浣腸」
6時前、起きた。腹はウンともスンとも言わない。マジかよ…。腸よ、「動け、動け、動け、動け、動いてよ。今動かなきゃ」浣腸なんだ!
便秘には赤ちゃんのポーズやお尻歩きがよいという、15年くらい前のCMを思い出して実践するも、何もナシ。9時から手術で、病室を出るのは8時40分くらいで、それまでに浣腸を完了せなならんのんなら、いつ始まるの?いつやるの?当日0時以降は絶食で、6時以降は絶飲になる。6時直前にお茶を1杯だけ飲みました。元々起きぬけは食欲が無いのだが、マジでそれどころではないので空腹全く気になりません。
7時過ぎに看護士サンが検温、血圧と脈拍の測定をされ、
「お通じないですかー?」
と問う。キタ…。
「無い、です…。」
「じゃあ浣腸ですねーお待ちくださいねー。」
軽いよ!こっちは絶体絶命だよ!何やるの?どこでやるの?何されるの?!
手際の良い看護士サンはテキパキと浣腸の用意をする。透明プラスチックのポンプみたいなんがあって、膨らんだ部分に無色透明の液体が入ってる。それを袋から取り出して、柄の部分にジェルを塗る。ジェルのチューブにはグリセリンと書いてあって、それ、ダイナマイトの原料じゃなかったっけとビビる私(←アホ。原料正しくはニトログリセリンです)。それから何とベッド上で横向きに寝かせられ、パンツを下げられた。ベッドの上でやるの、それ、衛生上どうなの。
温泉等で裸になるのにそんな抵抗は無いのですよ。尻は構わないんです。だが尻の穴は構うぞ!
自分の汚いトコって性格だろーが身体だろーが、凄まじくプライバシー、すごく隠したいってのは人間、根本的なトコだと思うのですよ。中でも排泄は人間の尊厳の1つでしょう。その、排泄の種類にしてもな、尿と便はこれまた汚い度合いが全然違いましてね、尿道カテーテルは百歩譲れる吉村でも、意識あるときに尻の穴に管突っ込まれて引っこ抜かれるって、スーパープライバシーの侵害なんですよ。うあああああああ…。
病気や老化で排泄に介助が必要な人が、生きるために尊厳を妥協しているのがわかった。多分、誰しも、この最初の屈辱に耐え、人知れず涙しただろう。私は他人の排泄物に触るのイヤだけど、触られる方もイヤなのだ。食事を介助されるより排泄を介助される方がイヤだ。そんなことを、私はこれまで考えたこともなかったね。
尻に何か入った感覚はあるけど痛みは無く、冷たい液体が注入されたら入った管はツルっと抜き出される。「すぐ出したくなるでしょうけど、出来れば10分は我慢してくださいネ。最低3分。少しは出してもいいけど我慢して。」と言い残して看護士サンはテキパキと浣腸器具を片付けて去っていった。白いシーツは白いまま。
3分とか、無理ッ!
即トイレに駆け込む私。尻の穴のすぐそこに液体が来てる感覚ですよ!下痢ですよ!トイレですぐ液体だけ放出しても、腸内を遡る薬液によって下痢です。浣腸とは人工的な下痢だったのか!尻の穴から入れられるってコトにのみ関心があったので、その後どうなるかは想像してなかったぜ。ここで一旦休憩とか、無理ですから!下痢にしても吉村史上最悪レベルの下痢です。薬液が腸を逆行して、下痢の痛みを生産するのがわかる。下痢って出したモンは攻撃力ゼロの形状なのに腸内にあると何であんな痛いんだ。変な汗が出る。脳内に「ゴ、ゴ、ゴ、…」という音が響き渡る。オレ、退院したら下痢で苦しむ途上国の子供を助けるんだ!!
10分ほどトイレにこもって、もう大丈夫だと出てきてからは、ベッド上で布団を抱いて座ってました。現代用語で言うところのレイプ目だったと思う。人間の尊厳って何だろう、ガラにもないし、答えが出そうにないものを考えていましたら、いよいよ手術室に移動となりました。
バンクでも病院でも手術と言いますし、素人のイメージ通りの大仰な手術室使うし、全身麻酔で人工呼吸器付けてる姿はまさに手術中ってカンジなんだろうけど、私が知ってる手術の中で、コレ、かなり簡単な方です。デカくて丈夫な骨に針刺して中の血液抜くだけだもん。内蔵の切り貼り、血管の交換は言うに及ばず、関節にボルト埋め込むとか、切れた指をくっ付けるより簡単じゃねーのかと思ってます。苦痛に於いては出産に及ぶべくもなく。素人です。素人のイメージです。私はこんなんなので、不安は無い。
下着は自分のパンツのみ、上下に分かれた病衣を着てて、髪は横で縛る。歩くのに困難があるなら別だけど、眼鏡も外していく。腕のバーコード付リストバンドは付けておく。私は付き添いがナシだったので、貴重品を入れておく引き出しのカギは看護士サンに預かってもらいました。当たり前だけど化粧はダメ、マニキュアもダメ。ドナーの状態を確認するのに顔色等材料にされるから。
私が髪を縛っている間に、病室のベッドはの手すりは看護士サンによって外された。一緒に移動らしい。「乗っていきます?」と言われたが恥ずかしいので断り、ベッドの後からついていく。ベッドが余裕で乗る巨大なエレベータを降りると、そこは「はじまりの街」だった。
RPGで最初に入る街あるやん、あんな雰囲気の手術フロア。NPCは自分の仕事に忙しくキビキビウロウロしてて、自分からアクションしなきゃ誰も相手にしてくれなさそーなカンジ。患者が最優先される病棟の雰囲気とは全く違うよ。ベッドを押してる看護士サンだけが私の味方で、NPCに挨拶しつつ私の手術室に案内してくれる。広い通路の壁側にはいろんなモンが置かれてて、生死の最前線が現在進行中なカンジです。ここの病院には手術室の部屋数は10を超えるくらいあって、いくつもの手術室を通り過ぎました。緊急でない、つまり計画的手術は9時からなので、そこで働くスタッフには一日のはじまりなわけで、新しく瑞々しい雰囲気です。
手術室の前には1つだけ椅子があり、座らされ、そこで唯一の味方っぽかった看護士サンとお別れです。髪をキャップにねじ込み、私とベッドは手術担当の看護士サンに受け渡され、名前を答えていざ手術室の中へ!
緊張は絶無でした。KP(キンチョウポイント)は浣腸で使い果たしました。あと、最初にドナー通知が来たときから、この非日常体験計画は、自分の都合とは全く無関係に突然終了する場合があるかもって疑念があって。自分が完全な健康体でも、もっと適したドナーがいればそちらに決定してドナー候補止まりで終了だし、親に最終同意してもらえなかったら終了だし、患者の病状が移植まで安定していられなかったら終了だし。特に私は私の体調不良につき移植を延期させた重罪人なので、日々「カヲル君(吉村が勝手に呼んでるドナーの名)死んだらオレのせいwww」と思い続け、手術室に入っても、クライマックスな緊張感がなくて、ずっと「ホントにやるんやろな?」と、どこかで疑い続けてました。
手術室はドラマで観るのとだいたい同じ。天井の巨大なライトは点いてませんでした。そのライトの下で病室から押してきたベッドに仰向けになります。「お願いしまーす」で一斉にはじまると妄想していたのですがそんなこともなく、なのでスタッフに挨拶する機会が全くなかった。スタッフは出入りが激しかったり、モニター見て打ち合わせしたりでそれぞれの仕事をしてました。私は言われるがままに横になって、即身肉、即身骨髄、もう挨拶するよーな人格なんてなくて、骨髄移植のための素材になっていた。
仰向けになったらタオルケットをかけられ、その下で上の病衣を脱ぐ。右腕には血圧測るのに巻くヤツを巻かれ(語彙が…)、指先には脈拍用のクリップを固定される。酸素マスクが付けられ、「深呼吸しててくださいねー」令、看護士サンは言いながら心電図のあのくっつくヤツ(語彙が無いよ…)を右上半身の鎖骨の下とか脇の下とかにペタペタ貼り付けていく。左手はというと手の甲、薬指と小指の付け根と手首の丁度中間あたりに医師に点滴の針を打たれ、「まだですが、これに麻酔入れますからねー」と説明される。
イヨイヨだのぅ。点滴始めてから3分後くらいか?麻酔科の医師に「じゃ麻酔入れますネー」と言われ、手ェ重い、の、かな?と目を瞑った2秒後、看護士サンが「吉村さん終わりましたよ、わかりますかー?」ですからね、私の感覚。
浦島太郎の気分ですよ。「え?もう?」です。でも確かにぼーっとするし、答えようと声を出そうとするが出せない。口にはガッチリ人工呼吸器の管が入ってます。このあたり記憶は結構曖昧で、非常に美味しい「人口呼吸器抜いた時の感覚」がボヤけてるんで当時の自分を殴りたい。オエッともならず、スルッと抜けたと思うんだけど、おぼろげで悔しいところです。
ネットで調べまくったところと後で聞いた話によると、私は麻酔が効いてから隣のベッドにうつ伏せに寝かされ、下の病衣とパンツを剥かれ、尿道カテーテルを刺されて準備完了。尻の上あたりを1cm幅に切開し、ボールペンの芯大の針を切開したトコから骨まで刺され、中の骨髄液を抜かれました。皮膚の切開は2ヶ所だけど、そこから角度を変えて骨を何十回もガスガス刺すヨ。ガスガスというのは私のイメージであって、実際そんな音してるのかどうかは知らんヨ。
私が抜かれたのは400ml足らずで、200mlの貯血を戻して差し引き-200ml。カヲル君は非常にお軽くていらっしゃるので穴2ヶ所の400mlで済んでます。患者サンが巨大だと切開は6箇所で100回以上刺されて採取は1,000mlを超えることもあります。
必要量を採取したら、その場でスタッフが傷口を押えてとりあえずの止血。縫ってません。落ち着いたらパッドのついた巨大な絆創膏を貼って、元のベッドに仰向けにひっくり返して「終わりましたよ」という流れのようです。この間、ドナー体感2秒、地球時間では2時間弱経過していました。
抜かれた骨髄液をドナーが悠長に観察するヒマは与えられません。賞味期限は24時間とされ、通常は朝イチ採取でその日のうちに患者の元に公共交通機関で運ばれます。骨髄取る方は手術ですが、受け入れる患者側は輸血と同じく、点滴でポタポタ入れるだけです。患者は既に前処置として自分の造血機能をゼロにしてますので、ドナーの骨髄液の中の造血幹細胞が、患者の中で生き延びて、ゆるゆると数を増やし、ゆるゆると新しい血液を生産し始めるまでには数日から数週間かかります。「で、移植どうなん?成功?」の問いには医師でも簡単には答えられません。
骨髄移植をするような病気は、「5年間再発しなかったら治ったってコトにしよう」という扱いです。移植から5年です。今日から長い5年間がはじまります。頑張ってネ。
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