第8話 Narcissus at oasis 3

『私の世界は“白かった”の、その世界しか知らなかった。本当に真っ白なの。だから、本でしか外の世界のことは知ることができなくて…スイセンみたいに白いその世界では、朝目が覚めたら昨日まで元気だった子が、昨日までたくさん話していた友達もみんなどんどんいなくなっていく…』


『それから逃げるために、たくさん本を読んだり話を書いたりして…空想の世界に逃げ込んでた…』


もしかして、そこは“ホスピス”ではないか、そう思ってしまった。でも、怖くて尋ねられない。


『また、いつそこに戻されるかわからない…毎朝怖いの……ちゃんと目を覚ますことができるのか、体が動いて、声が出せるのか、聞こえて見えるのか…起きてからすぐ確かめずにはいられないの…』


声がだんだん尻すぼみになっていく。キミにとって、こうやって息をしていることでさえ…目に涙を浮かべて、不安げで今にも泣き叫び出しそうなキミの表情を見ていて、心が抉られてしまうようだった。


『安田くんに声を掛けてもらえるまで…ずっと独りで図書館でたくさん本を読んでたの…自分の世界と、空想の世界を行ったり来たりするだけだった…やっと新しい世界にね、飛び込めたの。嬉しくてたまらなかった』


『他の人には当たり前でも、私には違っていたの。新鮮な気持ちで、親や先生とは違って、いついなくなるか分からない人以外の人と話せてるから…』


キミの笑顔は儚かった。今にも壊れてしまいそうだった。でも、俺の目には不思議と魅力的に映った。


そもそも、声を掛けた理由は単純で…別段可愛かったからとかそうではなく、単に『ずっとずっと律儀に返しては借りを繰り返されていた文献を、そろそろ返却して“読まさせてもらいたかった”から』そんな理由。その縁で、本の趣味が一緒だったり、実は学部が一緒だったりとか…いつの間にかたくさん話すようになっていた。


「そんな風に思ってたんだ…今まで苦しかったんじゃないか、なかなか分かってもらえなくて…」


『…るしかった、苦しかった…逃げ出したくてたまらなかった、誰かに助けてほしかったっ…でも、そんなこと頼めない…贅沢、迷惑だって考えちゃって…』


「今、ちゃんと“苦しい”とか“逃げ出したかった”とかはっきり言えたじゃん。じゃあ、俺が助けるよキミのこと…」


最初は本気じゃなくて、ほんの小さな慰めのような言葉だった。次第にそれは、本心に変わっていく…


「淡路島だろ?いいよ、俺が連れてく」


『いや、悪いよ…』


「一緒に行って、キミの目に映る同じ景色を見たいんだ。他に理由なんている?」


『いらない…』


「俺も見たいんだ、そのスイセン畑を…」


『あの…これって、どう捉えたらいいの?』


「どう、とは?」


熟した林檎のように、頬を真っ赤に染めた、恥ずかしがり屋なキミを試すような真似をする。


『えっと…勘違いだったらごめんね…ただ単に、一緒に見に行く…そういう意図だよね?』


「違うって言ったら?」


更に恥ずかしそうに、照れ臭そうに俯く。


『どうして私にこんなに優しいのかな、なんて勘ぐっちゃう…』


「好きにならなきゃ、そんな優しくしないし…一緒にいないよ…」


『好き、って?』


「夏目漱石の“月が綺麗ですね”ってやつだよ」


『へぁ!?』


「変な声、出てる」


…本当に面白いよ、キミは。だから、好きになったんじゃないか。いつからか、そんなキミが魅力的に見えるようになったんだ。


「黙ってれば、可愛いのに…」


笑いながら言うと、不服そうに…


『黙っていればは、余計…まあ、よく言われるけど…』


頬を膨らませ、ふてくされる。感情表現が多彩で、季節の移り変わりのように、感情の機微までもその瞳に映し、表情にも現れる。一緒にいても全く飽きない…傍にいたい、守りたい、頼られたい…そんな風に思うようになったんだ。

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