第7話 Narcissus at oasis 2
ふと瞼を閉じると、映るのは無邪気に、嬉しそうに話すキミの顔。
『ねえ、ナルキッソスって神話知ってる?』
…キミは大学の同級生だったね。
「…湖に映った自分の顔を眺めていたら、餓死したって話だろ?唐突だな…」
『今日、講義で習ったの』
『あれは“自己陶酔”とか“自惚れ”とかの形容なんだって』
「かなりドジな奴だよな、ナルシスって」
『安田くんはドジって言うかもしれないけど…』
『…きっとドジじゃなくて、誰も“本当の自分”を見てくれないから、認めてくれないから、哀しくてたまらなくてずっとずっと“見てた”んじゃないかな…』
『寂しくて、虚しくて…きっと自分でも、なんて空虚なんだって、ちゃんと分かっていた筈だと思うの…水面に映る自分だけは“本当の自分”を…本当の、“ありのままの自分”を見ることができるから…』
『神話では、彼が若くて美しいから男女問わずに誰もが恋をしたって…』
「目の前にあるものがキレイなら、誰もが好きになるだろう…尚更人間であれば…」
『周りは“ただ美しかった”から、彼に恋をしたんだよね…何だか切ない…だから、ナルシスって周りに対して冷たく接していたのだと思うの…周りの人間の心の中を全部全部見抜いて、見透かしていたから…』
『だから、振った相手が自殺しても何も感じなかった…退屈だ、と相手を切り捨ててしまっても何も感じなかった…』
『エコーはね、ナルシスと二人きりになっていつか、ナルシスの口から自分にだけ向けてほしいと思っていた言葉を、ただ自分が繰り返すことしかできなかった…“可愛い”、“愛してる”、“大好き”…彼自身が彼自身に向けた言葉だとしても、繰り返しているうちに、“本心”からそう言ってくれるようになると信じていた』
『自分の呪いが自然に解けた時、気持ちを伝えようとしていた…でも、同じことしか繰り返さない彼女は“退屈だ”と切り捨てられてしまった…』
『ナルシスは彼女の心の中を見透かしていたし、“自分を見てくれなかった”から“本心を話していても、繰り返すことしかできないエコー”を哀しみや寂しさのあまり切り捨ててしまった…』
「すごい解釈の仕方だな。もっと話してくれる?」
『うん。神話上はかけられたモノを“呪い”と形容していたんだけど、きっと彼にとっては“魔法”だったのかもしれない…不幸だ、可哀想だ…そう周りは揶揄すれども、彼はあの“魔法”をかけられて本当は心底嬉しかったんじゃないかな…』
ナルシスについて話すキミの横顔は美しかった。凛としていれど、どこか優しく温かい雰囲気を纏っていた。
「嬉しかった?…どうしてそう思うの?」
『だって、本当の自分を知ってる自分自身だけを好きになれるから。誰のモノ…所有物にもならず、ずっと鏡のような水面に映る、自分という人間を見詰めて、深く知ることができるから…』
「面白い解釈の仕方をするね」
『あー…だから、レポートで赤点ばっかりもらっちゃうのかも。昔から国語の現代文で“作者の気持ち・登場人物の気持ちを考えなさい”って問題、苦手だったの…』
「キミが誰もしないような、解釈の仕方をするから?」
『わかんない』
『だいたいさ、考えなさいって言われて書くと、決まって点数をもらえた試しがないの。結局考えて書いても、解釈の仕方がたくさんありすぎるから…って理由で予め答えが一つに決まってるでしょ?結局正解がある訳じゃない?だからね、好きだけど嫌いな問題だったな』
「それは、ある種の才能だと思うよ」
『才能ねえ…そう考えた試しはなかった』
「卒業したらさ、作家になりなよ」
「きっと面白い作品を書けると思うな」
『そうかなぁ…安田くんが言うんだから間違いない気がしてきた!』
「本当にポジティブだなぁ…」
『え?皮肉じゃないよね?』
「皮肉じゃないよ、本心。一緒に話してても面白いよ、キミは」
『これは皮肉でしょ?』
「どうだろうね」
キミは時に子どものように無邪気だったね。小説家を目指していた俺よりも文才があって、発想が柔軟で…キミの目に映る世界は、時に嫉妬してしまうほど、美しかったに違いない。
『スイセンってキレイな花だよね』
「葉っぱがニラに似たやつ?」
『…そうだけど。ロマンのかけらもないね』
『冬に咲く花なんだって。真っ直ぐで、凛としてる綺麗な花なんだけど…庭に咲いたのを窓からしか見たことなくて。聞いた話だと、淡路島にはスイセン畑があるらしくて…いつか、行ってみたいの』
「淡路島ね…」
『まず、免許取らなきゃ』
「どうして?」
『車に乗って行かないと、行けないの』
『あと、ちゃんと先生に許可をもらわないと…』
「許可?」
『小さい頃から体があまり強くなかったから、よく入院してて…あまり無理するな、また“あの世界”に戻りたいのか?そう言われちゃうから…もう、いい歳なのにね。親とか病院の先生とかまで心配させちゃって…』
いたずらっぽくキミは笑っていた。
「“あの世界”って?」
聞かずにはいられなかった。
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