第9話 Narcissus at oasis 4

俺は少しでも視野を広げるために、文学研究をしている創作サークルに参加していた。その中で、同人誌に作品を寄稿して掲載していた。昔から冒険もの…今で言うようなライトノベル、それに近いものを書いていた。寝る間も惜しみ、自分自身の頭の中で思い描いた世界を具現化する。文章に書き起こし、誰かの目に留まり、共感を得られれば…淡い期待を抱きカタカタと音を立てながらキーボードを叩いていく。


キーボードを叩いている間は、夢中になりすぎて寝食を忘れるほど没頭してしまう。鮮明になっていく、自分自身の世界観・今にも文字が現実世界に飛び出していくような感覚。その何とも言えない気持ちがたまらなく好きで、講義中も夢想に耽り筋書きを、ストーリーをひたすら考えていた。ワクワク、ドキドキ…そんな気持ちを読み手と共有できる、そんな作家になりたかった。


“物事を多角的に見つめて、たくさんの解釈をする。何でも受容できる、器の大きさを持つ”


そんなことのできる人間…作家になりたかった。


『ねえ、安田くん』


キミは息を切らせながら駆け寄って来る。手には何かの冊子を持っていて…よく見ると最近参加しているサークルで出した同人誌だった。


「あまり無理して走ると、疲れやすくなる」


『これ、今さっきもらって来たの。好きな作家さんの新作やっと載ってたの。つい嬉しくって。安田くんもこういうの好きかなーなんて』


俺の小言なんて耳に入っていない様子で、ペラペラと忙しなくページを捲る。


『ほら、見て…この話!』


…え?


『どうしたの?』


「いや、何でも…」


まさか、俺が書いた短編小説だったなんて。キミの好きな作家が俺だったなんて…少し動揺してしまった。嬉しいのやら、何とやら…例えようのない気持ち。


『この作家さん…登場人物の描写が上手くて。とにかく上手くて。どんな作品でも、ついつい感情移入しちゃって…ラストも想像を膨らませないと、考えを巡らせないと何通りも解釈ができちゃうの。だから、何度読み返しても飽きることなく、新鮮な感情で読めちゃうの』


息する暇のないほどの熱弁を奮うキミの表情は、キラキラ輝いて見えた。キミのように好きなものを語る人間の表情や言葉ほど、輝くものはないだろう。


「…その作家、実は俺なんだ」


キミの表情は、きょとんとしたものに早変わりする。


『…すごく素敵な話を書いてた人がまさか好きな人だったなんて…安田くん、やっぱりすごいよ』


…キミの表情は万華鏡のようだ。クルクル回すと、模様が変わりキレイな色味を映し出す。


「夢、壊しちゃったかな」


『夢を壊しただなんて…そんなことない。こんなキレイな言葉を紡ぐ人が、言葉選びをする人が安田くんだったなんて…すごく嬉しい…』


「あのさ、そろそろ安田くんじゃなくて…名前で呼んでほしい」


キミの綺麗な唇から紡がれる、喉から発せられる音で名前を呼んでほしくなった。たくさん名前を呼んで、子どもを褒める母親のように褒めてほしかった。


『…奏くん?』


一瞬躊躇うように動いた唇は、この世で一番キレイな言葉を紡いでくれた。万華鏡のように、貴重な色味をした言葉・音の響き。


「奏(かなで)でいい」


『じゃあ、私も名前で呼んで?』


一音一音、確かめるように喉元で反芻される。意を決して、その音を口にする。色々な気持ちを込めて。


「…久遠(くおん)」


『やっと同じになったね』


ふわりと秋風に揺れるキミの髪とスカートが妙に印象的で、瞼に焼き付いている。


「同じって?」


『名前で呼び合えるくらいの距離になったってこと』


照れ臭そうに久遠は笑う。


『じゃあ、これからは私が読者第1号ね』


「恥ずかしい…」


顔を思わず真っ赤にさせ、俯いてしまう。恥ずかしさのあまり、その場から逃げ出したくなってしまう。


「…わかった」


『いいの?本当に?』


「久遠みたいに、こんなに喜んで読んでくれる人がいるなら」


たったそれだけでキミが笑顔になってくれるなら、そんな容易いことで笑顔を見せてくれるなら…いくらでも書いていくよ。

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