三本目の手

 僕の左のわきには薄桃色の大きな丸いあざがある。それは生まれた時にあった腕を切り取ったあとだ。僕は生まれた時、一本手が余分にあった。父も母も驚いた。担当医と協議した結果、手術にたえられる体力ができたころ、さっさと切断したそうだ。切断した腕と手は、珍しいのでそのまま病院に寄贈して、いまごろどこかの研究室でホルマリン漬けになっているらしい。

 手術する前の写真をみても、うまい具合に隠れていて左側の手をみることはできない。本当に三本腕があったのかと疑うと、

「だって気持わるかったんだもん」

と、母は口をとんがらかし、何故そんなことを聞くのかといわんばかりに文句をいう。余分なものがついていて、いじめの原因になったりしては大変である。だから写真には極力写らないようにして、切り落とした腕も人にあげてしまった。まあ、へその緒のように、とっておいてひからびさせるわけにもいかないけれど。

 嘘か本当なのか、曖昧な話をききながら、僕は考える。もし腕と手が三本あったら、便利だっただろうか。むずかしいピアノの曲がひけたかもしれないし、ゴールキーパーなら鉄壁の守りをほこることができたかもしれない。そうだ、料理をするのにはきっと便利だろう。鍋をかきまわしつづけながら、頭の上の戸棚から塩をとることができる。

 友達はこの話をきくと「ふうん」という。本当だとしても嘘だとしてもどうでもいい話だからだ。それに、上着をめくりあげてピンク色のあざを見せるのは、ちょっと恥ずかしい。

 僕は自然と医学部へ進み、運命的な巡り合わせをする。

 あるとき訪れた別の大学の研究室の棚の、ガラスの円筒のなかに、小さな腕と手があった。肩から切り落とされ、空をつかんで浮かんでいる。

 これは僕の手だ。

 まちがいなくそう思ったのに、言葉はでてこない。標本を見つめる僕を、先輩はいぶかしむ。僕は笑ってごまかした。

「ちっちゃい手ですね」

 しかし僕は、何かと理由をつけてそこへいって、ぼんやりとそれを見つめるようになった。そこには、もう一人の僕がいた。

 三本目の手は、何をつかむつもりだったのだろう。本当に切り落としてよかったのだろうか。半開きの赤ん坊の手は悲しい。赤ちゃんの手は、強く、何かを強くぎゅっと握りしめているものじゃないか。こんなふうに死んでいちゃいけない。

 切り離されるまでのわずかのあいだでも、ひとのぬくもりに、しっかりとふれることができたのだろうか。

 さみしい涙がこぼれてくる。僕は生まれてすぐに失ったものがある。僕ら何かを失って生まれて来ている。


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古い未来の小説など ナカムラサキカオルコ @chaoruko

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