古い未来の小説など
ナカムラサキカオルコ
オーガン先生
悪い予感はしていたが、やはり限界らしい。心臓を悪くして、移植をすることになった。
メディカルエンジニアは、スクリーンに表示されたカルテに目を通していった。
「常備体は完全体ですね。心臓はやはり完全体からの移植がよいですから、よかったですね。人によって人工臓器をしばらくつかって、常備体のタイミングが良くなるのを待つことも有りますから」
移植に関する説明は、いままでに何度か聞いたことのあるから、ぼんやりと聞き流していたが、
「完全体?」
「ええ、身体のどこも欠損していません。前の常備体からは、腎臓と皮膚移植を、時間をおいておこなっています。そこでそれまでの常備体は破棄されたので、現在のは完全な健康体なんです」
「ああ、そういうことですか」
「年齢もちょうどいいし、順調です」
エンジニアと日程を決めて、センターをあとにすると、スカイはすでに夕暮れ色に変化していた。街をゆく人々はたいてい、夜の余暇時間を過ごすために、都市の中心部へむかっている。彼らはたいてい若々しい顔と肉体で、上りのオート・ロードにのっかっている。芸能人が中年の渋みを売りにして以来、それを真似て、やや高年齢化した身体を楽しんでいる人たちもいるが、やはり若さの魅力には勝てない。行く先は色と光とかたちがきらめく繁華街だ。夜毎多種多様なエンタテイナーたちが、人々を楽しませ、新しい見せ物をおこなっている。下りを行けば、ゆったりとした住宅街に達し、またその周りを広大なリゾート地が囲む。そしてもっともっと遥か彼方までゆけば外界、不毛の大地に到る。
「む……」
かすかに胸に痛みがはしる。初期のうちにセンターにきていれば、ここまで原始的な痛みを感じることは避けられたのだろうけれど、センターに来るのは積極的でない。病院は誰しも好んでゆくところではなかった。昔の習慣のせいか、デリバリーの薬で抑えられる間は、我慢してしまう。いくら最新技術といえども、移植はしばらくはセンターに入院し、リハビリをしなければならない。先のことを考えると少し憂鬱になる。
(心臓は今まで健康だったのか、ずいぶんもったもんだな……いや、ちがう。最初の移植は心臓だったじゃないか。この心臓は、二つ目だ)
心臓だけでなく、弱ったところはずいぶん取り替えてきた。一番最初からのものは脳ぐらいかも知れない。しかしその脳も、近々完全移植システムが導入される。その人の記憶・知識・経験など、すべてを新しい脳に移植が可能になる。そうすれば、脳の老化を防ぎ、活性化させるための薬などのメンテナンスもいらなくなる。
(そうなったらどんなに便利なことか。近頃は物覚えが悪くなったからな。はやくあたらしい脳が欲しいもんだ)
鬱々と考えながら、トランスペアレント・チューブ・トレインを乗り継ぎ、自宅近くになって、オート・ロードを降りた。とぼとぼと歩き始めると、思わず苦笑する。
(もしかして、こうやって歩く習慣が心臓の老化を速めたのかも知れないな)
好んでそういったタイプの住宅エリアにすんでいる。住宅の間の距離は十分にとられ、緑が多く、エア・カーの出力も最低レベルに規制されているため、偏屈には快適だ。
それにしても、今夜はやけに静かだ。やさしい夜風のはずだが、体の調子がおかしいためか、湿り気が多く感じられ、快適とは言えない。街路樹の根元の誘導灯も、心なしか暗く見える。
(帰ったら早く寝よう。……とっておきのやつをあけて)
「オーガン先生」
突然、りんとした声に呼ばれ、足を止めた。
振り返ると、まるでいま、薄い闇から生まれたような、灰色に身を包んだ男が立っていた。目深に帽子をかぶり、大きな襟を立て、顔を隠そうとしている。
「ああ、やはりオーガン先生ですね」
「あなたは?」
「不躾とは思いましたが、どうしてもあなたとお話がしたくて参りました。どうか、少しつきあっていただけませんか。ほら、あそこの、あのクラシカルスタイルの《居酒屋》は先生もいき付けのお店でしょう」
名乗りもしない相手に、あえて時間を割くようなことはしなくてもよかった。まったくそのような義務はなかった。しかし、何故か、男のしゃべり方や、かろうじて見える二つの眼に、ひきつけられる。急ぐわけでもなかった。来た道を戻り、横道へそれて、男と店へ入った。
隠れ家的なその店は、時間も早いためか、数少ない常連客もいなかった。老化するからだを維持している変わり者のマスターは、見慣れぬ連れを見ても驚く様子はなく、いつもの注文しているやつを二つ置いて、カウンターの向こうに消えた。
「オーガン先生は、大学の方で古社会倫理学を研究なさっていますね」
男は唐突にしゃべりはじめた。
「専門は亜細亜、東の果ての小さな国。クローン技術も人工臓器も未発達の時代、他人の体の臓器移植が行われようとしていたころ」
「そうですね。いま考えると、信じられないでしょうけど。他人の臓器を自分の体内に入れることに、現代の人は衝撃を受けます」
「そうおっしゃるということは、先生も驚かれたのですか」
「ええ、それを契機にこの研究を始めたんですから」
「ああ、そうでしたか」
男は、努めて声を低くしているのか、驚くと少しトーンが上がった。どこかで聞き覚えのある声だ。男はアンティークのグラスに口を付け、それに満足したようだった。古くからの手法で作られている、他にはあまりない酒だ。彼は続けた。
「確かに、現在では、常備体が用意されていますからね。極端な出生率の低下と、常備体技術の進歩があいまって、人類の平均寿命は記録更新続けている。でも先生、もし、常備体が何らかの事故で、そうですね、例えば管理センターが破壊されたりして、常備体が消滅してしまったら、どうなるんです?」
「そういう仮定はあり得ないね」
「もし、ですよ」
「人工臓器を使うだろう。常備体が再生されるぐらいの期間なら、問題ないから」
「そうですか。では、先生は管理センターをごらんになったことがありますか」
「もちろん」
「直接、直に、ですよ」
「管理センターは雑菌を避けるために機械化され、人間が立ち入ることは法律で禁止されている。それはあり得ない話だ」
答えると、目深にかぶった帽子の向こうで、目が笑ったようだった。
「ありうるのです、私はこの目で見ているんです」
まさか……。しかし男は、こちらのそんな気持ちを見すかしたように、微笑した。
「ところで先生は、今度で何回目ですか、移植は」
「プライベートなことだ。答える義務はない」
「たしかに、確かにその通りです。しかし、他の人にくらべたら、まだすくないほうでしょう。なぜなら、あなたは不老不死の権利ともいえる常備体保持権を取得してから、まだ五〇年しかたっていない。常備体は何体目ですか? まだ三体目ぐらいではありませんか?」
男の口調は徐々に熱を帯びているようだった。かすかな興奮につられ、声の調子は彼の平生の語り口に近くなる。
「きみはどこでそんな、私のプライベートな情報を知った?」
男は質問にはこたえなかった。
「あなたが権利を得ることができたのは、その優れた頭脳のため、ぬきんでた才能のため、優秀な人間であるため」
「……」
不快であることをしめした沈黙に、男は平静を取り戻そうと、軽く咳払いをして、またグラスに口を付けた。
「質問を変えましょう。あなたは、常備体を見たことがありますか。先生ご自身の、常備体ですよ。要するに、もう一人のオーガン」
「ないね」
「もしあなたの目の前に、常備体が表れたらどうしますか」
「管理センターから水槽ごと持ってくるのか」
「はっはぁ、先生。ちがいますよ、常備体が、のこのこ歩いてやって来るんです。あの水槽を抜け出して」
「不思議なことをいうのだな、君は」
気分を落ちつけようと舌をしめらせたが、いつもほど酒がうまくない。
「不思議なことです。誰にでもあることではありません。しかし、もし、とある優秀な人間がいて、すばらしい働きをしているとしましょう。同じ能力を持った人があと何人かいたら、もっと仕事は効率よく進められるわけです。金持ちのどら息子たちの常備体など、羊水の中で浮かべておくだけでも金を無駄に使っているわけですが、逆に、優秀な人間の常備体を何にも利用せずに眠らせておくとしたら、それももったいない話ではありませんか」
「そのための常備体だろう」
「そりゃそうですけど、もったいないじゃないですか。だから、管理センターは、あそこの連中は結構暇でしてね、やっているんです。優秀な常備体を、永遠の子宮の夢から解き放つことを」
「まさか……」
思わず声を漏らした。だがそんな夢物語を、聞いただけで信じられるはずはなかった。だが、
「信じられませんか?」
男は、おもむろに、灰色の帽子を取り、顔を隠していた襟を開いた。そこに現れた顔には、不思議に見覚えがあった。毎日鏡で見る顔ともちがう、だが画像や動画にうつしこまれた姿に、よくにている。年もやや若い。髪型や表情がちがう。
わたしは、こんな表情をしない。
恐ろしい速さで鳴る心臓の鼓動が体中に響く。
男は人なつっこい笑顔を浮かべていった。
「同じ遺伝子を持つといえども、育った環境が違うと、顔も微妙にかわってくるものです。せっかくあなたに会いに来るのだからと思って、これでも似せる努力したのですが、難しいですよ、あなたの表情は無愛想で無関心で筋肉がすっかり凝り固まってしまっているから。あなたは、自分の能力や性質を十分に理解し、生かし切っていない。世捨て人のように古代の研究にのみ没頭し、この世界でいきることの楽しみを何も味わっていない。本当に、もったいない話だ。……おや、どうしました、顔色が悪いですね。何もとって食おうというわけではないのに。もうちゃんと、別の常備体がありますよ」
荒い呼吸をしながら、おそらく助けを求めるように、カウンターのほうに振り返った。話し込んでいる客に気を利かしたのか、マスターの姿はない。
「おちついてください、さあ、お酒でものんで」
進められるまま、ふるえる手でクラスを取った。口内から喉をすぎていく液体は、見られていて、ちっとも味がわからない。
「すみません。おどろかせてしまったようですね。あなたに会って、どうこうしようというつもりはなかったんです。ただ、羊水からすくい上げられ、管理センターで黙々と働く、私という存在を、あなたに知ってもらいたかった。それだけなのです」
「存在……」
「ええ、そうなんです。もう二度と、あなたの前には表れませんよ」
「そうかい」
鈍い痛みを感じながら、しばらく彼と向かい合った。
自分には違いない。もしかして、自分そっくりに整形手術でもした気まぐれなのかも知れない。だがどうだろう、この妙な笑顔は。私はこんなふうに笑うのか。
目をそらし、よろめきながら立ち上がった。
「おかえりですか。お気をつけて」
男は椅子に座ったまま、親しみを込めていったようだった。店を出るとき、カウンターのはしにマスターが会釈しているのが見えた。
外はとっぷりと日が暮れ、きらきらと星がきらめいていた。悠然と天蓋をよぎる銀河は、今夜はひときはぼんやりと乳白色に見える。
オート・ロードがないのが、一歩ずつ自分の足を進めていくのがひどく苦しい。
自分のあし。本当に自分のあしなのか、自分なのか。
彼は誰だ?
いままでこの体を修復してきたのは、誰なのか
……オーガンの思考はそこでとぎれた。あっけないほどに唐突に鼓動を止めた心臓は、まるで彼のことに無関心だった。ただクラシカルスタイルの《居酒屋》では、彼よりも社交的な、活動的な男が、彼の好きだった琥珀色の酒をマスターと飲み交わしていた。
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