20人目 植え込み猫の審査

「はぁ……でも、お礼言うのは気まずいよね……」


 私は先日の不正出界者確保の件でコネ入社君にお礼を言いたかった。

 でも、なかなかできなかった。

 彼の目の前に立つと、どうしてもこれまでのような高圧的な態度になってしまう。急に態度を変えるのも、どこか恥ずかしい……。彼への好意を告白するよりも、遥かに簡単なはずなのに……。

 手紙やメールで伝えようかとも考えたが、でもやっぱりこういうことは直接言わなければならないような気がする。このときだけは自分の誠実さが憎く感じた。


「どういうシチュエーションで伝えたら良いんだろう……?」


 私はダンボールを被りながら、お礼を伝えるタイミングを計るために彼の行動を観察した。


 最近、彼は恋人であるロゼットと一緒に施設へ出勤していることが分かった。二人で会話しながら施設の玄関を通過する様子が見られる。ロゼットは彼にニコニコしながら話しかけ、コネ入社君の方はその話をダルそうな表情で適当に受け流す。一見すると意思疎通が取れてないようにも思われるが、不思議と私にはそれが仲睦まじく感じた。

 そして彼は仕事後、ロゼットの働く居酒屋へ向かう。ロゼットの調子を聞き、レモンサワーと適当なを注文して帰宅する。


 こんな風に彼の日常が続いていく。

 そんな調査を続けて分かったのは、ってことだ。これ以上続けると、周囲から変態扱いされそうなのですぐに止めた。


     * * *


 結局、彼には何も言えないまま数日が経過した。


「はぁー……何やってんだろ。私……」


 その日も、トボトボ歩きながら施設へ出勤する。

 色々な種族の異世界人の入界者とすれ違う、ゲート施設の玄関前広場。

 朝の冷たい風が体に染みる。


「いつになったら言えるんだろ……?」


 そのとき、


「フーッ!」

「え?」


 私のすぐ横にある広場の植え込み。そこから何かの鳴き声が聞こえた。


「何? 何かいるの?」

「フーッ!」


 躑躅つつじの低木の間に、何かが潜んでいる。

 黒い毛並みに、赤い首輪、縦に細い瞳孔、ピンと立った耳。

 そこにいたのは、脚を怪我した黒猫だった。


「あら? 猫ちゃんなの?」

「フーッ!」

「足が……大丈夫?」

「フーッ!」


 私を警戒しているらしく、黒猫は荒い息を立てる。


「大丈夫だって……私は何もしないよ?」


 そのとき、


「……どうしました、同期さん?」


 私のすぐ横で声が聞こえた。

 相変わらずのダルそうなトーンの声……。


「あ、あぁ、コネ入社君か……」


 振り向くと、そこにいたのはやはり彼だった。いつもと変わりないダルそうな表情で私を見ている。私は一瞬ドキリとしたが、どうにか動揺を押さえ込んだ。

 平静を装うのよ、私……。

 平静に……平静に……。


「ちょっと、そこを見てみて」

「……この猫がどうかしたんですか?」

「その子、足を怪我してるみたいなの。首輪もしてるし、多分ゲート周辺の飼い猫だと思うんだけど。一旦施設で預かって飼い主を探した方がいいのかなぁ、って……」

「……そうですか」

「あなた、その猫捕まえられる?」

「うーん、一応やってみますよ。実家でも猫は飼ってますし、抱きかかえるコツは知ってますから……」


 実家で猫を飼っているということは……彼は猫派なのだろうか。

 ちなみに私は猫派なので、というちょっとした願望が生まれた。

 そうこうしている間に、彼は私に荷物を預けて植え込みの中へ手を伸ばす。


 そのとき、


 バチッ!

「……っ!」


 静電気みたいな音がして、彼は手を植え込みから引っ込めた。彼は顔をしかめながら、その猫を見つめる。


「……どうしたの? 今なんか、変な音がしたけど?」

「分かりません。こいつに触れようとしたら、急に痛みが走ったんです」

「静電気?」

「それは触れるほど接近しないと起きないでしょう。僕とこいつにはけっこう距離がありましたよ?」

「そんな雷魔法じゃないんだから、猫が触れずに電気を発するわけないでしょ」

「雷魔法……ですか」

「フーッ!」


 黒猫は依然私たちを警戒している。


「同期さん?」

「何よ?」

「向こうの世界では、動植物も魔法が使えるんでしたよね?」

「まあ、ある程度知能を持つ種族なら使えるって聞いたわよ」

「そうでしたよね……」


 つまり、彼は使と言いたいのだろうか?

 私は彼に荷物を返した。コネ入社君は黒猫を見ながら何やら考え込んでいる。


「同期さんは、何か食べ物持ってません?」

「び、ビスケットくらいなら……」

「同期さん、普段からバッグにビスケットなんて入れてるんですか?」

「……わ、悪い?」

「いえ、そういう一面もあるんだなぁ、と思いまして」

「……で、これをどうするのよ?」


 それは小腹が空いたときのために常備しているビスケットだった。大手食品メーカーの人気商品である。

 ビスケットを渡すと、彼は植え込みの近くにそれを置いて施設に向かって歩き始めた。


「え、えぇ! 行っちゃうの?」

「『この人はご飯をくれる人だ』って思わせておけば、いつか警戒は解けます。ビスケットは本来人間用の食べ物ですが、まぁ、少量ですし、あまり問題はないでしょう。それに……」

「それに……何よ?」

「あの猫、ちょっと危険な気がするんです。今は無理に捕獲しない方が良いでしょう」

「どういうことよ! ちょ、ちょっとぉ!」


 スタスタと歩く彼を追いかけ、私は彼の隣を走った。


「ところで、話は変わるんですけど……」

「何よ、コネ入社君?」

「最近、同期さんは何か体に変わったことがありませんか?」

「えぇ……?」


 雷魔法の質問といい、私の体調のことといい……彼は自由に質問してくる。

 ホントに、コネ入社君ってマイペースよね……。

 それでも、以前よりは私と会話してくれるようになったのは嬉しいんだけどさ。前は話しかけても首をかしげたりするだけで、あまり会話はなかった。

 これはもしかすると、ロゼットという恋人ができたおかげなのだろうか……。


 それにしても、私の体調で変わったことかぁ……。

 思い当たることと言えば、くらいである。


「……そういえば」

「何です?」

「冷え性が改善したかなぁ……」

「以前は酷かったんですか?」

「えぇ、今の季節だともう一日中手が冷えて……なのに最近は手袋なしでも温かいのよねぇ」

「……そうですか」


 私がそう言うと、彼は急に手を握ってきた。


「ちょ、ちょっと! コネ入社君! きゅ、急に手を握るなんて……その……」

「……温かいですね」

「んん……」


 彼の手から冷たい感触が伝わる。確かになんておかしな話だ。

 それよりも、コネ入社君が私の手を握っていることの方が驚きである。数ヶ月前なら絶対に有り得ない状況だろう。彼は絶対に手を握ってくるようなタイプではなかったし、私も『触んないで』とか言ってすぐに振り払っていたかもしれない。

 好きな人に手を握られているという状況に、心拍数が急激に上がる。

 周辺の空気の冷たさとは対照的に、私の顔はどんどん熱くなってしまう。

 私はその恥ずかしさに耐え切れず、目の前にいるコネ入社君から視線を逸らした。


「いつから冷え性が改善したんです?」

「こ、今年くらいかなぁ」

「改善するような食生活を始めました? 漢方とか?」

「そ、それが、一切してないのよねぇ……」


 ホント、不思議である。

 どうしてこんなにも冷え性が改善したのだろうか。


 コネ入社君はそんな私を見て、自分の見解を切り出す。


「魔法を使える者は、手に魔力が集まるみたいですね」

「はぁ?」

「同期さんの手が温かくなっているのは、炎魔法が発動して熱を生み出しているからではないでしょうか? 杖のような増幅装置がないのであまり効果はハッキリしていませんが……」

「な、何を言ってるのよ! 私が魔法を使えるわけないでしょ!」

「まあ……そういうことにしておきましょう。今は」

「も、もういいでしょ! 手を離してよね!」


 私は彼の手を振り払った。

 ……ホントは、もうちょっと握られたままでいたかったけど。

 やっぱり、恥ずかしさに耐え切れない。


 私はその場にコネ入社君を残し、足早に施設内へ向かった。


 それよりも……彼は突然何を言い出すのだろう。

 使? そんなことある訳がない。

 だって、のだから……。


「……っていうか、言うの忘れた!」


     * * *


 施設の全職員に魔法因子の検査が実施されたのは、その数日後のことだった。

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