17人目 見習い魔女の審査

 デュラハン事件から数週間後のことである。


 私は大きなダンボールを被りながら施設内の廊下を移動していた。周辺の資材と一体となり、周囲の目を誤魔化す。

 ダンボールで体を隠す理由はもちろん、先輩やコネ入社君を避けるためである。彼らと会う度に、これまでの出来事などがフラッシュバックして顔が赤面してしまうのだ。他の職員は平気なのに、彼らだけは私にとってかなりの苦手人物になっていた。


 しかし、この日は白峰先輩にダンボールのカモフラージュを見破られ、挨拶された。


「よぉ、元気ぃ?」

「うっ……」


 こんな風に陽気な感じで、彼女は話しかけてきた。彼女は私に近づき、被っていたダンボールをヒョイと上げる。


 ……おかしい。

 私はダンボールで完璧に資材にカモフラージュしていたはずなのに……!


「ところで、お前……いつもそんなダンボールを被っているのか?」


 しかも、以前から見破られていた!?


 そんな私の動揺とはお構いなしに、先輩は話を進める。


「お前とはなかなか話す機会がないからさ、今度一緒にまた飯でも行きたいなぁ、って思ってたんだけど」

「そ、そうですか……」

「いや、『そうですか』じゃなくってさぁ、今夜一緒に居酒屋にでもいかないか? って誘ってるんだけど……」

「うっ……」


 正直、行きたくない。

 この先輩はパワハラとかセクハラとか、そういうことをしてくる人ではない。親身になって悩みとか聞いてくれるし、太っ腹でよく奢ってくれる。

 しかし、。ただが、彼女を苦手な人物にしているのだ。


 このとき、私には夕食の誘いを断る理由がなかった。適当な嘘も思い浮かばない。

 それに、今月は食費がピンチだった。先月に高額な買い物をしたせいで、食費を抑えなければならなかったのだ。奢ってくれるのならば、歓迎しなくては……。


「今月、食費がピンチなんですけど……」

「あぁ、大丈夫大丈夫。私は上司なんだから、飯ぐらい奢ってやるよ」

「そうですか……なら、行きます」

「そうこなくっちゃ!」


     * * *


「いらっしゃいませー!」


 施設内にある居酒屋に到着すると、可愛らしい女性店員が私たちを迎えてくれた。

 以前ここへ来たとき、迎えてくれたのは別の店員だったはずだ。最近アルバイトで入ってきたのだろうか。


「よぉ、ロゼット! 元気だった?」

「あっ、あのときの……おかげさまで不自由なく生活できてます!」

「そっかそっか。それなら良いんだ」


 その店員と白峰先輩は親しそうに会話する。その会話の内容を聞く限りでは、その店員は『ロゼット』という名前で、先輩とは知り合いらしい。


「こちらが当店のメニューになります!」


 ロゼットは私たちを個室に案内すると、私の前に品書きを置いた。そのときに、私と彼女の顔同士が近くなる。


「……あれ? この匂い……」


 ロゼットのシャンプーの匂いだろうか。彼女の頭髪から香りがした。

 ただ、その匂いを私は

 どこで嗅いだのだろう……。

 割りと最近に嗅いだ気がするのだけれど、なかなか思い出せない。


 そんなことを考えながら、私たちは彼女へ料理や酒の注文をする。私はカシスオレンジ、先輩は日本酒をオーダーした。


「では、少々お待ちください!」


 彼女はパタパタと走り、別の業務へと向かっていった。私は彼女が遠くに行ったタイミングを見計らって、先輩に彼女との関係について尋ねる。


「あの……白峰先輩?」

「ん? 何?」

「あの店員と知り合いなんですか?」

「あぁ……あの子は『ロゼット』っていう名前の入界者で、以前、彼女が入界審査のときにトラブルを起こしてなぁ。そのときに知り合いになったんだよ」

「そうでしたか。トラブルってことは……コネ入社君が絡んでいるとか?」

「正解。彼女もアイツの担当する2番ゲートで引っかかって、色々な事情で向こうの世界に帰れなくなっちゃったんだよ」

「へぇ……じゃあ、今はこの近所で暮らしてるんですか?」

「うん。アイツと一緒に暮らしてるよ」


 へ?


「アイツ……って『コネ入社君』のことですか?」

「そうだけど……あっ」


 白峰先輩は「しまった」と言わんばかりに両手で口を押さえる。


「……先輩、どういうことか詳しく説明してください」

「あの……あの子は……アイツと同棲してるんだ……」

「つまり、コネ入社君と、あの子は恋人関係にあるということですか?」

「う……うん……」


 それを聞いて、私は思い出した。

 彼女のシャンプーの香りは、写真撮影会のときにコネ入社君の頭髪からした香りと一緒のものだったのだ。同棲しているため、シャンプーも共有しているのだろう。


「す、すまん!」


 先輩は私に両手を合わせて謝罪する。


「お前がアイツのことを好きなのをすっかり忘れてた! こんなこと聞いて、ショックだったよな!?」

「す、……」


 嘘である。本当は大ダメージだ。

 アイツに彼女なんかできるわけがないと思い込んでいた部分があり、それが余計にショックを大きくさせている。


「で、でも、私があの子をアイツを推薦したのはお前が好きなのを知る前のことで……」

「先輩があの子にアイツを紹介したんですか?」

「うん……『アイツの家にお嫁に行け』とも提案した気がする……」

「どういう経緯でそんなことになったんですか!?」


 そのとき、


「お待たせしましたぁ!」


 ロゼットがドリンクを持って戻ってきた。突然彼女が現れてことで、私はビクッと体が硬直してしまう。


「こちらが、ご注文のカシスオレンジです!」

「ど、どうも……ありがとうございます……」


 彼女は眩しいくらいの笑顔で、私の目の前に飲み物を置く。

 本当にこんな可愛い子がアイツの彼女なのだろうか? アイツには勿体ないくらいだ。

 それに……胸もかなり大きい。グラスを机上に置く度に、彼女の胸がゆさゆさと揺れる。


 基本的に、日本人よりも異世界人の方が乳房が大きい傾向にある。魔物などが生息する苛酷な異世界では、乳房が発達した人間の方が生存に有利だったためだ。栄養を胸部に溜め込むことで、非常事態には自分でその栄養を使うことができる。それに加え、乳腺が発達しているので、長期間子どもに大量の母乳を与え続けることが可能だ。こうして、厳しい環境でも生存や子育てを潤滑にしているらしい。


 それにしても……大きい。

 白峰先輩以上はあるだろう。

 山に例えるならば、先輩の胸がK2で、ロゼットの胸はエベレスト。

 私の胸が惨めに思えてくるレベルだ……。


「では、次の料理ができるまで少々お待ちください!」

「は、はい……」

「それと……」


 ロゼットは話を続ける。


「今さっき、審査官さ……じゃなくて、セイタローさんが向こうの席に座ったんですけど、席をご一緒にしますか?」

「え?」


 私は個室の入り口からこっそり顔を出して、カウンター席を覗いた。

 確かにコネ入社君が1人で座っている。


「だ、だめ! きょ、今日は2人で飲みたいのよ!」


 私はロゼットにそう答えた。ロゼットは先輩に向かって提案したのだろうが、つい私が声を張り上げてしまう。

 だって……心の整理ができていなかったから……。

 好きな人に恋人がいる、っていうのがショックだし、それがこんなに可愛い子というのも驚きだし、何よりもアイツに恋人ができるとは思っていなかったから……。


「分かりました……」


 ロゼットはしょんぼりして、アイツのテーブルに向かっていった。


「お前、本当にそれでいいのかよ……? 相手に好きな人がいる状態でも、自分の気持ちは伝えないといずれ後悔するかもしれないぞ……?」


 先輩は私の顔を覗き込む。


「だって……どうしようもないじゃないですか!」


 私は手元のカシスオレンジを喉へ流し込んだ。

 こんな感じで、ロゼットという恋敵に出会ったのだ。

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