61人目 超える夫婦の審査

「それじゃあ、行こうか、ロゼット」

「はい! 審査官さん!」


 早朝、僕とロゼットは異世界旅行の準備を整え、玄関の扉を開けた。

 僕らはリュックを背負い、ゲート施設へと向かう。


     * * *


 静かなゲート施設。

 そこにいるのは、退屈そうに仕事をする警備隊員と審査官だけだ。

 この施設内の景色を見るのも、これが最後になるかもしれない。


「施設関係者しかいませんね……」

「うん……」

「この前まであんなに賑わっていたのに……寂しいですね……」

「そうだね……」


 僕はロゼットの手を握り、門の方向へと進んでいく。


「通行できる出界審査ゲートはここだけか……」


 通行できる出界審査ゲートは2番ゲートだけだった。出界者が減ったことに合わせて、経費の削減のために使用できるゲートを少なくしているのだろう。

 僕らは出界ゲートに入り、出界審査官と向き合った。


「え、コネ入社君?」


 そこのゲートを担当していたのは同期さんだった。

 同期さんの告白以来、まともに顔を合わせてなかったのでちょっと気まずい……。

 まさか彼女が担当するゲートだったとは……。


「アンタ、まさか今から異世界に向かうつもりなの?」

「はい……」

「いつ門が消えてもおかしくない状況なのよ? 分かってるの?」

「分かってます」

「もうこの世界には帰れなくなっちゃうかもしれないのよ?」


 しつこく詰め寄る同期さん。凄い剣幕だが、少し悲しそうな声も混じっている。


「大丈夫です。このことは家族や友人にも伝えてきましたし、万が一門が消えたときのマニュアルを妹に渡してきました」

「そういうことじゃなくって……」

「とりあえず、出界審査をしてくれませんか?」

「う、うん……」


 僕とロゼットのパスポートと、滞在計画書を同期さんに差し出す。僕らの所持する荷物にも不審物は入ってないはずだ。


「旅行するの……? こんな時期に?」

「はい」

「行き先は……『大聖堂』? どうして今頃、そんな観光地に行くのよ……?」

「そこに勤務する知り合いの僧侶から『そこを見に来ないか?』と誘われているんです。門が消える前の別れの挨拶も兼ねてるんですけどね」

「アンタ……悠長過ぎるわよ……」

「それで、どうですか? 書類の記入不備とか、不審な点はありますか?」

「……ないわ」

「そうですか」


 同期さんは査証を発行した。ガラスの隙間からそれを僕に差し出す。


「それじゃ、行ってきます」

「……本当に行くのね」

「……僕を心配してくれてるんですか?」

「す、少しだけだけど……」

「ありがとうございます……同期さん」


 僕はガラスの隙間から差し出された査証を受け取ろうとした。

 しかし、その瞬間、同期さんは査証を奥に引っ込める。


「え……?」

「ねぇ……こんなときぐらいは、お互い本名で呼び合わない?」


 突然の提案だった。


「急にどうしたんですか、同期さん……?」

「これがあなたと話せる最後の機会になるなら……私ね……謝りたいの。あなたに『コネ入社君』なんて酷いあだ名をつけたことを……」


 同期さんは俯いた。


「……今まで、ごめんね。影沼かげぬま……清太郎せいたろうくん……」


 彼女は謝罪の言葉とともに、僕の名前を口にした。


「大丈夫です。コネ入社したのは事実ですし、それに、僕はそんなに気にしてませんから……」

「清太郎くんは、優しいね。ホントに……」


 彼女は微笑み、再び査証をガラスから僕に差し出す。僕は今度こそ査証を受け取り、荷物の中にしまった。


「じゃあ、行ってきます。水無瀬みなせ美帆みほさん」


 普段は忘れている同期さんの本名だが、不思議と今はちゃんと思い出せる。

 そうして出界審査は終了し、僕はロゼットの手を握って出界ゲートを出ようとした。


 そのとき、


「……今まで、色々ありがとう。清太郎くん」


 僕らの後ろで美帆がそう呟いた。それを聞いて、僕もゆっくりと振り向き、


「こちらこそ、ありがとうございました」


 美帆にそう言った。


     * * *


「これが門か……」


 ゲート施設の中央に位置する、世界と世界を繋ぐ門。

 僕とロゼットはその前まで来ていた。

 入界審査ゲートから何度も見てきたけど、ここまで近くで見たのは初めてだ。

 高さ数メートルの、大きな穴が空いた遺跡である。その穴が異世界へと通じているのだ。


「大きな遺跡ですよね……」

「うん……」


 僕はロゼットの手を握った。


「一緒にくぐろう……」

「はい!」


 僕はロゼットと一緒に、門の中へ踏み出した。

 このとき、僕は初めて出界者となったのだ。


「ここが……異世界かぁ」


 体感温度が一瞬で変化する。

 風に乗って、土や草木の香りが運ばれてくる。


 門のすぐ向こう側は中世ヨーロッパ的な街だった。周囲の建造物の建材も道路の舗装も、レンガで構成されている。

 ここもかつては入界予定者や出界者で賑わっていた街だったのだろう。しかし、ゲート施設同様、現在は人の姿を捉えることはできない。『門が消失する』という情報で、この街も人が消えてしまったと考えられる。


「綺麗な街だね……」

「はい……」


 遠くには緑豊かな森林や広大な山々が見える。緑が生い茂り、異世界のみに生息する野鳥の囀りが聞こえた。

 写真や映像では何度も見てきた光景だけど、自分の目で直接見たのはこれが初めてだ。


 そのとき、


「あの……審査官さん?」


 ロゼットが後方を見ながら、僕の袖を引っ張った。


「どうしたの? ロゼット?」

「門が……」


 僕は彼女に言われ、後ろへ振り返る。


 そこに、もう門は存在しなかった。


 かつて門だった遺跡があるだけだ。

 僕らがこの世界にやって来た瞬間に、門の魔力が尽きてしまったのだろう。


 どうやら門は僕に「こっちの世界で生きろ」と言いたかったらしい。


「門が……消えちゃいましたね……」

「そうだね……」


 これまで「波乱」を僕に与えてきた門のことだから、多分こっちの世界での暮らしの方が「波乱」まみれなんだろうなぁ……。

 もしかしたら、門は最初から僕がこの世界に来るのを待っていたのかもしれない。


「これからどうしますか、審査官さん?」

「ねぇ、ロゼット? 門がなくなったし、僕はもう『審査官さん』じゃないよ」

「あぁ、そうでした。じゃあ……これからは『セイタローさん』で!」

「そうだね……よろしく、ロゼット」


 こうして、僕の異世界生活が始まったのだ。

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