60人目 委ねた決断の審査

 異世界旅行を決意した次の日、僕は2番ゲートの椅子に腰かけながら、ずっと門の向こうを眺めていた。


 向こうの世界はどうなっているんだろう……?


 なぜか、「異世界に行きたい」という衝動に駆られる。

 もうすぐ審査官になってから2年経つが、ここまで異世界のことが気になるようになったのは初めてだ。


 もしかしたら、門が呼んでいるのかもしれないな……。


 門はいつ消えてもおかしくない状態にある。旅行中に消える可能性も高い。

 つまり、この旅行は僕の運命を門に委ねるのと同じ意味を持っていたのだ。


     * * *


 その日、帰宅後。

 僕は大急ぎで異世界に旅行する準備を整えた。


 異世界旅行でのプランも立てた。

 メインの目的は大聖堂を見学することだが、プリーディオやルーシーに会うことも計画に入れ込んだ。やはり、門がなくなる前に最後の挨拶はしておきたい。


 万が一、旅行中に門が消えてしまった場合に備えて、預金通帳や高価な品は妹に預けておくことにした。妹をこっそりとアパートに呼び出し、レンタカーのトランクに詰め込んでいく。

 その際、没落した貴族マウタリウスの元奴隷から貰った金貨(時価約500万円相当)の保管期限が切れ、自分の所有物になっていたのでそれも一緒に渡した。


「え? 何これ、兄貴?」

「金貨だよ。異世界のヤツだけど」

「え……これってマジなヤツ?」

「うん。今の値段だと……大体500万円くらいで売れると思う」

「……兄貴? もしかして盗賊団の不正審査とかで巻き上げたの?」

「そんなわけないだろ……」


 数万円分の金貨はすでに旅費として引いてみたが、それでも大量の金貨が余っている。今後は妹の学費として使われる予定らしい。


 さらに不必要な家具は全て売却し、アパートの大家にも「帰ってこなかったら残った家具ごと次の入居者に譲って構わない」と説明した。


     * * *


 そして僕は再び実家に戻った。

 両親に異世界職場見学のことを伝えるためだ。


 仕事後に訪ねたため、もう夜になっていた。


 僕は実家の敷地の前に立った。見慣れた光景が僕の視界に映る。

 子どもの頃から何度も見てきた庭と玄関……これも見るのが最後になるかもしれない……。


 玄関の前に立つと、家の中からテレビの音と家族の笑い声が聞こえる。おそらく、バラエティー番組でも見ているのだろう。楽しそうな声だった。

 僕の声も、昔はこの中に混ざっていた。

 あの事故から笑わなくなったけど……。


 ピンポーン……!


 僕は呼び鈴を押した。家の奥からパタパタと誰かがスリッパで玄関に向かってくる音がする。


「あんた、どうしたんだい、こんな時間に?」


 家の玄関を開けたのは母だった。

 曇り気味の表情で僕を見つめている。夜に訪問したので、何かあったのではないかと心配しているようだ。


「……何だ、母さん。誰か来たのか?」


 僕の訪問に気づいたのか、父も遅れて玄関に現れた。


「あのさ……」


 僕はおもむろに口を開き、両親に旅行のことを説明をした。


     * * *


「……そういう訳だからさ、僕、向こうの世界を見てくるよ」

「お前が戻る前に門は閉じる可能性はあるのか?」

「それは……半々ってところだよ」

「そうか……」


 この旅行について、もう両親は何も言ってこなかった。


 もしこのまま門が消えたら、両親に恩返しできなくなるのが心苦しい。

 両親は今まで僕を手塩にかけて育ててきてくれた。

 向こうの世界から戻れなくなれば、その恩を返せなくなってしまう。


 ただ……このまま職が決まらず、ロゼットとともに両親の世話になるのも嫌だった。両親の負担も増えるし、何よりも僕の心が削られる。

 それならば、いっそ異世界に消えた方が両親に迷惑をかけなくて済む。

 そんな考えも、僕の中にはあった。


「ごめん……父さん、母さん……」

「何を謝ってるんだ、お前は?」

「こんな息子で、ごめん……ってこと」


 僕は俯いた。


「ほら、アンタ、顔を上げなさい」


 母が僕の肩を軽く叩いた。


「別にいいのよ。アンタがやりたいことなんでしょう?」

「でも……僕はこれまで、母さんたちの期待を裏切ってきた……」

「そんなこと……」

「妹の面倒も見れなかったし、こんな捻くれた性格になっちゃったし、就職先もなかなか決められなかったし、母さんたちの反対を無視して審査官を続けてきた! それに……もう僕は母さんたちに恩返しできないかもしれないんだ……」

「うん……」

「……謝りたいんだよ、そのことを……」

「ふふっ……」


 僕の言葉を聞いて母さんは微笑み、僕を優しく抱きしめてくる。


「……そうね。お母さんもお父さんも、アンタが審査官を続けることに反対してたわ」

「うん……」

「でもね、アンタの結婚式とか食事会で色々な人に話を聞いたらね、ロゼットさんとか先輩の女性とか入界者さんとか、みんな嬉しそうに『アンタが審査官をやってて助かった』って言うのよ」

「みんなが……?」


 僕とロゼットの結婚式後の食事会で、確かに母さんは僕らの関係者と色々話しこんでいたのを覚えている。関係者に挨拶をしているようだったが、そんなことを話していたのか……。


「そうよ。みんな、アンタに感謝してたのよ? お母さんたちの知らないところで、アンタは頑張ってたのね……。お母さんたちこそ、アンタの頑張ってるところに気づけなくて、ごめんね……」

「母さん……」


 母の声が震えている。


「お母さんたちは、アンタの姿が見えなくても……どこかで頑張って生きていてくれれば、それでいいのよ……。今日はね、アンタの本音が聞けて嬉しかったわ。だから……お母さんたちのことは心配しなくていいから、もし門が消えちゃっても向こうで精一杯生きてね」


 初めて聞いた両親の本音。

 そこには子どもの成長を実感する嬉しさと、いつか子どもと別れなければならない悲しみが込められていた。

 きっと、異世界移住の相談をしてから両親は僕のことで葛藤したのだろう……。

 そして……僕の意志を尊重することに決めたのだ。


「ごめん……父さん、母さん……ありがとう」


 温かい感触が僕の頬を伝っていく。気がつけば僕も泣いていた。


「行ってらっしゃい……アンタ」

「向こうの世界でも、体には気をつけろよ……」

「うん……行ってきます……今までお世話になりました」

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