37人目 変わる世界の審査
勤務時間終了後のことである。
僕は仕事を終え、ネクタイを緩めながら男子更衣室へ入った。
更衣室には僕以外の男性審査官が2人おり、これからの勤務のため制服に着替えているらしい。
僕は彼らに軽く会釈すると、自分のロッカーを開けて私服に着替え始めた。
着替えの最中、その男性審査官たちの会話が聞こえてくる。
「……実はさぁ、この前、妻にヘソクリの場所がばれちゃってさぁ……」
「へぇ~、マジっすか」
「今月買おうと思ってたゴルフクラブのセットが買えなくなっちゃったんだよなぁ~、楽しみにしてたんだけどさぁ」
「どうしてばれちゃったんすか?」
「それがさぁ、妻が変なことを言うんだよ」
「何すか、その変なことって?」
「『あなたの幽霊みたいなのが、そこに隠したのを見た』ってさ。俺、それ聞いたら気味が悪くなって……」
「えぇ! それは恐いっすね……」
「『俺の幽霊って何だよ、俺はまだ生きてるぞ!』って妻には言ってやったんだけどさぁ……」
「……でも、それ何か聞いたことある話っすよね」
「え?」
「向こうの世界の話なんすけど、『物体記憶再生スキル』っていう能力があって、それを持つ人には物体が記憶した過去の映像を見れるとかなんとか。そこに人間が映ると、幽霊みたいに見えるって……」
「バカ言うな。妻はこっちの世界の人間だし、そんな能力を持つのは向こうの世界の人間だけだろ?」
「まぁ、そうっすよね~」
* * *
その翌朝も僕はゲート施設へ出勤した。
施設手前の広場を通過しようとしたとき、僕の視界に見覚えのある人物が入ってくる。
(あれは……同期さんかな?)
同期さんというのは、僕をライバル扱いしているちょっと面倒な女性審査官だ。
施設手前の広場、そこにある植え込みの前に同期さんが立っている。
彼女は植え込みの中を覗き、真剣な表情で何かを見つめていた。
「……どうしました、同期さん?」
「あぁ、コネ入社君か。ちょっと、そこを見てみて」
彼女は植え込みの中を指差した。
僕もその中を覗き込む。
「フーッ! フーッ!」
そこには黒猫が1匹潜んでいた。僕たちを警戒しているのか、荒い声を立てている。
「……この猫がどうかしたんですか?」
「その子、足を怪我してるみたいなの。首輪もしてるし、多分ゲート周辺の飼い猫だと思うんだけど。一旦施設で預かって飼い主を探した方がいいのかなぁ、って……」
「……そうですか」
「あなた、その猫捕まえられる?」
「うーん、一応やってみますよ。実家でも猫は飼ってますし、抱きかかえるコツは知ってますから……」
僕は持っていた荷物を彼女に預け、その植え込みに手を伸ばした。
そのとき、
「フーッ!」
バチッ!
猫の荒い声とともに、僕の手に痛みが走った。
「……っ!」
電気が走るような痛みに、僕は思わず手を引っ込める。
「……どうしたの? 今なんか、変な音がしたけど?」
彼女にもバチッという音が聞こえていたらしい。
「分かりません。こいつに触れようとしたら、急に痛みが走ったんです」
「静電気?」
「それは触れるほど接近しないと起きないでしょう。僕とこいつにはけっこう距離がありましたよ?」
「そんな雷魔法じゃないんだから、猫が触れずに電気を発するわけないでしょ」
「雷魔法……ですか」
「フーッ!」
黒猫は依然僕らを警戒している。
「同期さん?」
「何よ?」
「向こうの世界では、動植物も魔法が使えるんでしたよね?」
「まあ、ある程度知能を持つ種族なら使えるって聞いたわよ」
「そうでしたよね……」
僕は彼女の元に戻り、自分の荷物を受け取った。
「同期さんは、何か食べ物持ってません?」
「び、ビスケットくらいなら……」
彼女はバッグからビスケットの入った袋を取り出す。
「同期さん、普段からバッグにビスケットなんて入れてるんですか?」
「……わ、悪い?」
「いえ、そういう一面もあるんだなぁ、と思いまして」
「……で、これをどうするのよ?」
僕はビスケットを植え込みの近くに置き、その場を離れた。
「え、えぇ! 行っちゃうの?」
「『この人はご飯をくれる人だ』って思わせておけば、いつか警戒は解けます。ビスケットは本来人間用の食べ物ですが、まぁ、少量ですし、あまり問題はないでしょう。
それに……」
「それに……何よ?」
「あの猫、ちょっと危険な気がするんです。今は無理に捕獲しない方が良いでしょう」
「どういうことよ! ちょ、ちょっとぉ!」
同期さんは、職場に向かう僕を追いかけてくる。
「ところで、話は変わるんですけど……」
「何よ、コネ入社君?」
「最近、同期さんは何か体に変わったことがありませんか?」
「えぇ……?」
彼女は宙を見つめながら、最近の出来事を思い出しているようだ。
「……そういえば」
「何です?」
「冷え性が改善したかなぁ……」
「以前は酷かったんですか?」
「えぇ、今の季節だともう一日中手が冷えて……なのに最近は手袋なしでも温かいのよねぇ」
「……そうですか」
確かに今は寒い時期だが、彼女は手袋などをしていない。
僕は立ち止まり、同期さんの手を握った。
「ちょ、ちょっと! コネ入社君! きゅ、急に手を握るなんて……その……」
顔を真っ赤にして驚く同期さん。
「……温かいですね」
「んん……」
彼女はキョロキョロと周りを見ながら僕に手を差し出していた。周囲の視線を気にしているのだろうか?
「いつから冷え性が改善したんです?」
「今年くらいかなぁ」
「改善するような食生活を始めました? 漢方とか?」
「それが、一切してないのよねぇ……」
「……」
「で、それがどうしたって言うのよ?」
僕は過去に行われたプリーディオやルーシーの戦闘を思い出した。
彼女たちは腕や手に魔力を集結させて戦っていたはず。
もしかしたら腕は魔力の集まりやすい場所なのかもしれない。
「魔法を使える者は、手に魔力が集まるみたいですね」
「はぁ?」
「同期さんの手が温かくなっているのは、炎魔法が発動して熱を生み出しているからではないでしょうか? 杖のような増幅装置がないのであまり効果はハッキリしていませんが……」
「な、何を言ってるのよ! 私が魔法を使えるわけないでしょ!」
「まあ……そういうことにしておきましょう。今は」
「も、もういいでしょ! 手を離してよね!」
「はい」
彼女は手を引っ込め、職場へスタスタと歩いていく。
僕はその背中を見つめていた。
* * *
僕の周囲では、確実に変化が起きていた。
かなり微細な変化で、他の人間は気づいていない。
物体記憶再生スキルを持つ妻、
ゲート近所に住む雷魔法を使える黒猫、
出界審査官で、炎魔法を使える同期さん、
他の人間は「こちら世界ではありえない」という常識だけでその変化をスルーしてしまう。
あの門が与えているのは、文化の交流だけではない。
僕は、ポナパルトの『魔法因子は感染する』という言葉を思い出した。
僕らの知らないうちに、向こうの世界がこの世界に影響を及ぼし始めていたのだ。
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