38人目 魔王の告白の審査

 ロゼットが異世界に戻ってから2週間が経過した。

 まだ彼女は帰ってこない。


 僕は、彼女は1週間ほどで戻ると予想していたが、あまりにも遅すぎる。

 もしかして、彼女は向こうの世界で結婚し、もう戻ってこないつもりなのだろうか。

 いや、彼女がそんな薄情な人間とは思えない。

 何か、彼女の身に起こったと考えるのが普通だろう。

 しかし、ゲートには凄惨な事件が起こったという情報は入ってこなかった。


 僕は2番ゲートで彼女の帰りを待ち続けたが、全く姿を見せない。

 自宅のベッドで横になったときも、ついつい彼女が恋しくなる。睡眠していると、彼女が戻ってくる夢を見る。夢だと分かったときの寂しさが辛い。


 僕は彼女を探しに行くべきだったのかもしれない。

 でも、僕は仕事を理由に、彼女を探すことを躊躇っていた。


 それがを引き起こしたのだろう。


     * * *


 その日、僕が帰宅すると、玄関前にプリーディオが待っていた。アパートの廊下を塞ぐように玄関前に立ち、アパートの入り口を見つめている。


「……あぁ、どうもこんばんは」

「……こんばんは。あなた、こんな時間まで仕事してるの?」


 腕時計を見ると、時刻は午後10時を回っていた。周辺はかなり暗くなっており、窓からの明かりも消えている家も多い。


「今日は午後から仕事だったんです。朝から働いていたわけじゃないですよ」

「そう……それを聞いて安心したわ。この世界には『ブラック企業』というものがあるらしいから心配してたの」

「もしかして、ずっと帰りを待ってたんですか?」

「そんなことないわ。さっき来たばかりよ」


 僕は彼女の衣装を見た。ゴシックロリータドレスが少し濡れている。この日、夕方に雨が降っていて、現在は止んでいることを考えると、彼女は3時間以上待っていたことになる。


「……外は寒かったでしょう? どうぞ、中に入ってください」

「……ありがとう」


 僕は玄関の鍵を開け、彼女を中へ入れた。


「……ところで、今日は何の用で来たんですか?」


 僕は暖房を点けながら、プリーディオに尋ねた。

 何時間も僕の帰宅を待っていたのだから、かなり重要な用件なのだろう。


「……あなたにずっと黙っていたことがあるのだけれど……」

「え……?」


 プリーディオが僕にずっと黙っていたこと?

 一体、何だろう?


「それにしても、今日は汚いメス犬がいないのね?」


 彼女の言う『汚いメス犬』とは、おそらくロゼットのことだろう。悪口を言っているようにも聞こえるが、プリーディオはロゼットに親しみを込めてそう呼んでいるのだと思う。

 僕は上着をハンガーにかけながらロゼットの現状を話す。


「今、彼女は実家に帰省中です」

「そう……喧嘩でもしたの?」

「彼女の家でいろいろ問題が起きたんですよ」

「ふぅん……まぁ、それならそれで好都合だわ」

「ところで、その、黙っていたことって何でしょう?」


 すっかり話題が逸れてしまった。僕は彼女が言いたかったことへ話を戻す。


「私……ずっと前から……」

「はい」

「あなたのことが……」

「……」

「好きなの」

「えぇ……」


 プリーディオの表情は真剣だ。

 昔から僕がプリーディオに慕われていることは何となく気づいていたが、まさかここまで彼女が考えていたとは驚きである。


「あなたには、私の夫になってほしいの……」

「あの……僕たち、種族違いますよね? 僕は人間で、あなたはデーモンで……」

「そんなの関係ないわ。妊娠は可能よ」

「まぁ、人間も魔族もあまり遺伝子的には変わりませんからね……」


 先日、学会で発表されたことだが、向こうの世界の人間や魔族が持つ遺伝子はこちらの世界の人間と大差ないことが判明したらしい。

 世界が違うはずなのに、どうしてここまで似た遺伝子を持つのだろうか……。

 また、レンガの作り方などの技術や、獣や昆虫といった生物の形も、向こうの世界にはこの世界と似通っている点が幾つもある。

 どうしてこんなことが起きるのか、学会での議論は絶えない。


「昔の私は、『人間なんて下等な生物だ』なんて軽蔑してたけど、それでも、あなたのことを好きになったの……」

「その……あなたの気持ちは……とても嬉しいです。でも……」

「何よ?」

「僕たち……年の差がありそうですけど……」


 彼女の外見は小学校高学年くらいに見える。この世界の常識で考えれば、そんな子どもと大人が恋愛をするのはあまりよろしくない……。


「あなた、これでも私は二十歳超えてるのよ!」

「……あぁ、そうでしたね。すいません……」


「それで……あなたの答えを聞かせて」


 プリーディオが僕を真剣な眼差しで見つめる。彼女の瞳に、僕の姿が映っていた。


 もちろん、問いの答えは最初から決まっている。


「すいません。今、僕には恋人がいるので……」


 僕はロゼットのことが好きだ。彼女と別れることは考えられない。

 それに、今までプリーディオのことは『一緒にデュラハン事件を乗り越えてきた友人』として考えていたので、恋愛感情がなかったのも事実である。


「……恋人って、あのメス犬のこと?」

「まぁ、そうですね」

「そう……」

「……あなたは、僕とロゼットの関係を知っていたのではないのですか?」


 僕とロゼットが同居しているとき、プリーディオは僕の部屋に訪ねてきたことがあったはずだ。プリーディオは僕たちの関係に気づいていたと思うのだが……。


「何となくあなたたちの関係には気づいてた。それでも、誰かの夫になる前に、自分の気持ちは伝えておきたかったの……」


 だから今告白したのか……。

 プリーディオはいつも無表情だが、今にも泣き出しそうな目をしている。

 僕自身、女性に振られたことはたくさんあるが、自分から振るのは初めてなのでこういう気持ちになるのかと少し不思議な感情を覚えた。


 そして、僕にはもう一つ、プリーディオの告白を受けられない理由がある。


「それに、その……言いにくいんですけど」

「何?」

「社会的な問題が絡みますが、こちらの世界から見れば魔族はマフィアみたいなものです。あまり仲良くすると、僕も審査官を辞職せざるを得ないというか……」


 日本では、魔族は暴力団のような扱いをされている。麻薬成分のある乾燥植物片をこの世界に持ち込もうした事件や、逆にこの世界から武器に転用できそうな物体を異世界に持ち帰ろうとした事件があったからだ。

 審査官に向け『魔族とあまり仲良くしないように』という通達がされたこともある。過度に親しい様子が確認されれば、当局から忠告が入るらしい。処分を下す可能性があるとも示唆されている。

 プリーディオの場合、彼女は魔族に関する貴重な情報源であるため、ある程度自由に動ける。しかし、まだ当局からの監視が続いており、深く接するのは危険だろう。


「あら、あなた、そんなことを気にするのね」

「まあ、この仕事を失ったら生活に困りますから……」

「あなたの能力なら、向こうの世界での職探しには困らないわ」

「はい?」

「『こっちの世界には魔法・スキルなしの人間がほとんどだ』って聞いてたから……あなたを初めて見たときは驚いたわ。まさか、こっちの世界にもこんな能力を持った人間がいるなんて……」

「えぇ……?」


 僕の能力についての話が再び出てきた……。


 ポナパルトに続いてプリーディオまでそのことを話すのか……?


そんなことを話すんですね……」

「『あなたも』ってことは別の誰かもあなたの能力を狙って訪ねてきたのかしら?」

「……そんなところですね」

「まあ、すごい能力だから無理もないわ」

「あの……僕、そんなにすごい能力を持ってます?」

「そうだけど、自覚ないの?」

「はい」

「えぇ、嘘……自覚ないなんて、信じられない……」


 プリーディオは両手で自分の口を押さえ、僕を見つめた。

 そんなに驚かれる能力なのかなぁ……。


「ほら、デュラハン事件のときに発動したじゃない? 覚えてないの?」

「えぇ……?」


 デュラハン事件?

 プリーディオが亡命したときに起きた大事件だ。

 何か不思議なことが起きた感覚はなかったが……。

 本当にあのとき発動したのだろうか?


 僕が考え込んでいたそのとき、


 パサッ……。


 上着のポケットから、紙切れが落ちる。

 上着をハンガーにかけたとき、ポケットの中身が少し出ていたらしい。


「何か落ちたわよ」


 プリーディオが話を中断し、それを拾い上げた。


「……あぁ、そのメモ、そこのゴミ箱に捨てておいてください」


 それは、先日ポナパルトからもらったメモだった。

 どこかで捨てようと思い、上着のポケットにしまっていたのだが、すっかりそれを忘れていたようだ。


「ふぅん……」

「捨てようとしてたんですけど、すっかり忘れてしまって……」


 そのとき、


「ねぇ! あなた、この紙、どうやって入手したの!?」


 プリーディオが急に声を荒げた。彼女は体をわなわなと震わせながら、そのメモを眺めている。確か、メモには異世界の住所が書かれていたはずだ。

 どこに声を荒げる要素があったのだろうか……。


「そのメモは入界者からもらったんです。『ここに来てくれ』みたいな感じで渡されましたね。まぁその人、変な人だったんで、そこへ行くつもりはありませんが……」

「その人、名前は?」

「ポナパルトっていう画家兼ライターです」

「……あぁ、やっぱり……」


 彼女はポナパルトの名前を聞くと、頭を抱えた。

 プリーディオはポナパルトのことを知っているのだろうか?


「その人、知り合いですか?」

「違うわよ、そんなんじゃない。まさか、あなた、アイツとも面識があるなんて……」

「彼女のことを『アイツ』とか言う時点で、けっこう深く知っていそうな感じがしますけど……」

「私とアイツがどういう関係なのかは、あなたの想像に任せる」

「……そうですか」

「でも、これだけは忠告させてもらうわ! アイツには気をつけなさい!」

「もうとっくに気をつけてますが……」


 プリーディオは再びメモを眺める。そして「はぁー」と小さなため息をついた。


「……このメモは私が貰っても構わないかしら?」

「なぜです?」

「一応……私のために……」

「詳しい用件は聞きませんけど、その住所に何があるんです?」

「……ポナパルトの……職場」

「職場って一体どんな……」

「……とにかく! このメモは私が預かっておくわ! いつか使うことになるかもしれないから!」

「……分かりました」


 彼女はメモを衣装のポケットにしまいこんだ。

 その住所にポナパルトの職場があるとプリーディオが言っていた。ポナパルトの職業からして、そこはアトリエなのだろうか?


 どうもプリーディオの様子がおかしい。僕に何かを隠している。彼女とポナパルトはただならぬ関係にあるのは間違いないだろう。

 あの性情報収集変態画家と魔王の間に、一体どんな関係があったのだろうか……。


「あの女には気をつけなさい! それじゃあ、私は帰るから!」

「……え、もう帰るんですか? デュラハン事件のことをまだ聞いてないのですが……」

「何か、もう、振られたし、アイツの話題が出て気分が悪い!」

「……すいません」

「今日伝えられなかったことは、またいつか話すから!」

「……はい」


 バタン!


 彼女は玄関の扉を勢いよく閉め、部屋を出て行った。


 結局、魔法因子によって発動している能力って何なんだろう?

 デュラハン事件のときに発動したらしいけど……。


 僕は当時の様子を思い出してみる。


 彼女はあの日、亡命目的で2番ゲートを訪れた。

 審査中にデュラハンが現れる。

 警備隊によってそのデュラハンの大部分が損傷する。

 そこへプリーディオが魔法で止めを刺す。

 その魔法によって2番ゲートが吹き飛んだ。


 僕が何か能力を発動したような様子はなかったが、ぼくは重大なことを見落としているのだろうか?


 それが一体何なのか、僕には全く見当がつかなかった。

 あのとき、何があったと言うのだろう……?


 プリーディオとポナパルトの関係も気になるけど。

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