57人目 説教と懇願の審査
《……ゴムなしで……ヤったの?》
「うん……」
《そんなの妊娠するに決まってんじゃん!》
僕とロゼットは病院から帰宅後、電話で妹にロゼットの妊娠を報告した。
やっぱり怒られた。
妹は産婦人科医になるために勉強中の身である。こういうことについては詳しいはずだ。
《それに、『安全日』って言ってもね、妊娠する可能性はあるの!》
「やっぱり?」
《つまりさぁ、兄貴は『でき婚』ってこと?》
「いや、昨日まで妊娠は知らなかったし……『半分でき婚』っていう状態かなぁ……」
《ハァー……》
妹は電話の向こうで大きなため息をついた。
定義は様々あるらしいが、妊娠を知ってそれが決め手になる結婚を世間では『でき婚』と言うらしい。
僕らの場合、ロゼットは結婚前から妊娠していたのだから、『半分でき婚』ということになるのだろうか?
僕自身、将来『そういう結婚だけはしたくない』と思っていた。子どもを抱える苦労と嫁を抱える苦労が同時に押し寄せるからだ。できれば結婚生活が安定してから子作りしたかった。しかし、結果的に僕は嫁と子どもを両方抱えなければならない状況へ置かれている。
まさか、自分がそういうことになるなんて……。
自分が撒いた種である。種を撒くどころか、その植え付けまでしたのだが。
《兄貴さ、まだ転職先も決まってないんでしょ?》
「うん……」
《……どうすんの?》
「……そのことで、相談したかったんだけどさ……」
僕は異世界へ移住するかどうかで悩んでいた。
今回その相談も兼ねて、妹に連絡したのだ。
妹に、僕が持つ蘇生魔法と、異世界から転職の誘いがあったことを伝えた。
蘇生魔法を武器に向こうの世界で仕事に就けば、おそらく高額の収入があるだろう。そうすればロゼットも子どもも養えるはず……。
「……って、考えてるんだけどさ」
《ふぅん……》
妹は僕の話を口を挟まずに聞いてくれた。
果たして、妹はどう思うのだろうか……?
《……でさ、兄貴は異世界に行きたいの?》
「……『絶対に行きたい』とは思わないけどさ……こっちでの収入が絶望的なら行くしかないかな、って思うんだ」
《……まぁ、そうだよね……》
「……」
《……ぐずん……》
電話の向こうから嗚咽や鼻水をすするような音が聞こえる。
え……?
まさか、泣いているのか……?
「それで、お前はどう思う?」
《……そりゃ……寂しいに……決まってるじゃん》
「まぁ、そうだよな」
ティッシュで鼻をかむ音も聞こえた。声も途切れ途切れだ。
やっぱり、本格的に泣いているらしい。
* * *
妹は簡単には泣かない性格だと思っていた。
それを象徴する出来事として、かつて妹と一度だけ恋愛映画を見に行ったことが思い出される。兄妹で恋愛映画を見に行くというのもおかしい話だが、それだけ僕らは仲が良かったのだ。
その映画では観客のほとんどが泣いていたが、僕ら兄妹だけは眠そうな顔で『早く映画終わらないかな』なんて考えていた。
当時の会話がフラッシュバックする。
『ねぇ、兄貴。この映画楽しい? ウチ、もう飽きたよ』
『まぁ、興行収入が高いわりには面白くないよね……』
『この映画は展開がもどかしいんだよ。さっさとヒロイン死ねばいいのに』
『そうだな……』
* * *
そんな妹が、今は本気で泣いているらしい。
《向こうに行ったまま門が消えちゃったら、もうウチら、会えないかもしれないんだよ……? 手紙も電話も……できなくなっちゃうんだよ……?》
「うん……分かってる」
現在、異世界と交信する手段は、門を経由するもの以外発見されていない。
これまでに科学者たちが何度も通信実験を行ったが、全て失敗に終わったという。異世界召喚魔法も、見えない魔力の塊が門を通過しないと発動できない。
そもそも、あの世界がどういう位置にあるのかも判明していないのだ。
あの世界は、この世界の遥か遠くの未来とも言われているし、パラレルワールドの一つとも言われている。そんな位置づけすら判明していないのに、門以外での情報伝達ができるわけがない。
つまり、門が消えてしまえば、異世界の人間とは電話や文通もできなくなる。
《ウチさぁ、いつまでも、兄貴の人生を見守りたいよぉ……》
「……」
《兄貴ぃ、お願いだから、この世界にいてよぉ……》
妹の僕に対する想いを、久々に聞いた気がする。
泣くほど僕のことを好きだったのか。
確か、僕が大学生活で一人暮らしを始める前にもこんなことがあった気がする。
『兄貴ぃ……たまには実家に帰ってきてよぉ……』
『うん……分かったから』
脳裏に昔の会話が再生される。当時も、彼女は泣いていたはず。
妹とは一緒に勉強したり、一緒にゲームしたり……色々なことをやってきた。彼女との思い出は数え切れない。
そんな彼女と、僕はいつまでも過ごして生きたいと思っていた。
妹だけではない。両親と会えなくなるのも辛い。
母も、父も、僕ら兄妹には優しかった。
母の料理は美味しいし、兄妹の進学先についても一生懸命考えてくれた。
父も僕らを養うため、毎日のように働いていた。仕事のことを家に持ち込まないタイプの人間で、仕事のことで嫌な顔を見せずに僕らと遊んでくれた。
僕は、そんな両親に心から感謝しているし、尊敬もしている。
僕にも子どもが生まれたら、こんな親になりたいと思ってる。
だから、幼い頃から一緒に過ごしてきた家族と会えなくなってしまうのは、僕にとってかなり辛いことだった。
でも、そうした感情だけで、この問題は片づかない。
ロゼットとこれから生まれてくる子どもには貧しい思いをさせたくないのだ。
「ところで、お前、今どこにいるんだ?」
《……教室》
「教室って……看護学校の?」
《うん……》
「……周りの人に、お前の泣いている姿を見られてるだろ?」
《めっちゃ見られてる……》
今は平日の昼間だ。多分向こうは昼休み中である。当然、教室内には多くの生徒がいるはず。
妹が周囲の人間にどう思われたのかが心配だ。
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