44人目 消える希望の審査

 魔王たちは、ロゼットに起きた出来事を述べたその日のうちに異世界へ戻った。

 ルーシーは『強制送還』、プリーディオはその『監視』という名目だ。


 現在、黒川の活躍によって魔族は体制が崩壊状態にある。このままでは残党が無秩序組織に成りかねない。

 そうしたことを防ぐためにも、プリーディオは異世界に戻るらしい。新たに秩序を作り直し、この事態を沈静化させるようだ。


 僕は彼らを出界ゲートで見送った。


     * * *


 その晩、異世界では2つの凄惨な事件が発生する。


 まず最初の事件は、とある貴族の屋敷が木っ端微塵に破壊されるというものだ。

 その屋敷の貴族は、ロゼットの婚約相手と見られている。屋敷の瓦礫の中から青年の死体が発見された。死体には拷問されたような傷があり、闇魔法が使用されたらしい。現場から立ち去るゴシックロリータ姿の魔族が見られており、犯人ではないかと言われている。金品などが持ち去られた形跡はなく、怨恨による犯行と見られる。


 2つ目の事件は、とある見世物小屋の従業員が全員死亡していた、というものである。

 その見世物小屋はロゼットが連行された場所と見られている。死亡していた従業員は9名。全ての死体に外傷がなく、何者かによって精気を吸い取られたことで死亡していたらしい。サキュバスの仕業という線が濃厚であるが、通常のサキュバスにしては殺害の手際が良過ぎる。特別な能力を持つサキュバスの仕業らしい。


     * * *


 一方、ロゼットの容態は時間の経過とともに悪くなっていく。

 高熱はずっと続いている。吐き気も頻繁に起こるようになった。

 意識を保っていられる時間も短くなっていく。

 彼女の体力も目に見えるように削られているのが分かる。


 医師は「現在、やれるだけのことはやった。後は本人の気力次第だ」と、僕に告げた。


     * * *


 その日の夜8時頃、僕はロゼットの病室にいた。

 施設内は消灯時間なので、部屋の明かりは小さなテーブルランプだけだ。

 僕は彼女の変化を見張り、何かあればナースコールを押すために同じ病室で寝泊りしている。


「あの……審査官さん?」


 眠っていたと思っていたロゼットが目を開けて僕を見ていた。


「ロゼット?」

「あの……私の手を握ってくれませんか?」

「うん……」


 彼女は布団の隙間から手を差し出した。白くやわらかいその手を、僕は両手で包み込む。


「審査官さんの手……温かいです」

「そうかな……」

「温かいです。とても……」


「……ごめん、ロゼット」


「……え?」

「僕が、あのとき、ロゼットの父さんからの言葉を伝えなければ、もっと強く引き止められれば、ロゼットが苦しむこともなかったのに……」


 僕は後悔していた。

 あのときの自分の判断が、こうした結果を招いてしまったことに。

 僕は彼女と視線を合わせることができず、俯いた。


「審査官さんは、私のことを想って伝えてくれたんでしょう?」

「あのときはそうだった。でも今は……」

「私、こんなことになったのは審査官さんのせいだとは思ってません」

「……ロゼット」

「だから……自分を責めるのは止めてください。私も、審査官さんが傷ついているところを見たくないです」

「うん……ありがとう、ロゼット……」


 僕は再び、顔を上げて彼女の表情を窺った。


「あの……審査官さん? プリーディオちゃんたちから、私の話は聞きました?」

「うん……辛かったよね?」

「……審査官さん。私は……汚れてしまったんでしょうか?」

「え……」


 彼女はまた思い詰めたような顔になる。


「私、何度も何度も強姦されてしまいました……。恐かったです。審査官さんとは何も恐いことなんてなかったのに……」

「うん……」

「審査官さんは……今の私のことを……どう思ってますか?」

「え……」

「私は、もう、汚れてしまいました……。私は……もう、死にたいんです……」


 ロゼットの頬を涙が流れていく。

 やはり彼女はそのことを気にしていたのだ。


 ロゼットが、ここまで思い詰めていたなんて……。

 気づけなかった自分が悔やまれる。


「でも、僕に会いたくて、こっちの世界に戻ってきたんじゃ……?」

「……あのときは生きたくて必死で……でも、気づいたんです。私の体は汚されていて……大好きな審査官さんに、こんな自分を捧げたくないんです」


 それでも……、

 それでも、僕の気持ちは最初から決まっている。


「僕は……それでもロゼットのことが好きだ」

「え……でも、私は……」

「僕は、それでもロゼットを受け入れる」


 僕はロゼットの手を握る力を強める。


「僕にとって、ロゼットは綺麗なままだよ。ロゼットが傍にいて、こうやって会話できている。僕はそれだけで嬉しいんだ……」

「……審査官さん……」

「……僕は、これからもロゼットの傍にいる」

「はい……」

「だから、ロゼットも僕と一緒に生きて……」

「……ありがとうございます。審査官さん」


 ロゼットの頬には、その間もずっと涙が流れていた。


「審査官さん……私、今、幸せなんです」

「え……」

「確かに、今、私の体にはたくさんの病気があって、苦しいです」

「うん……」

「でも……それでも、こうやって審査官さんと両想いになれて、こうやって審査官さんが傍にいてくれて、こうやって手を握ってくれて、私は……幸せなんです」

「うん……」

「だから……審査官さん、ありがとうございました」


 ロゼットは目を閉じた。

 再び眠りに入ったのだろう。


 今は彼女の心拍数や呼吸も安定している。


 そうして夜は深くなっていった。


     * * *


 僕は夜中に目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたのだろう。デジタル時計を見ると、深夜の1時を示していた。


「……ロゼット?」


 僕はロゼットを見た。


「ハァッ……ハァッ……」


 彼女の呼吸が荒い。熱も高くなっている。

 彼女の容態が急変したのだ。


 プルルルル……!


 僕はすぐにナースコールを押した。

 急いで処置をしなければ……!

 数十秒後、医師と看護師が病室へ入ってきた。彼らはロゼットの傍に立ち、状態確認と薬の投与を始める。


「現在、ロゼットさんはこれまで以上に危険な状態です! 今度こそダメかもしれません!」


 医師に告げられた。


「……そんな!」


 医師と看護師はベッドの周りを動き、処置をしていく。

 僕はベッドの横に立ち、その様子を眺めることしかできない。

 ロゼットの心拍数が乱れ、呼吸も弱くなっていく。

 心拍計から発せられたアラームが、病室内に響いていた。


 ロゼット、死なないでくれ。


 ロゼットが死んだら、

 僕は……、

 僕は……、


 そして……、


 ピー……!


 心拍計から彼女の心拍が停止したことを知らせる電子音が鳴った。


 それから、医師たちは彼女を蘇生しようと様々な処置を試した。

 しかし、そのどれもが無駄に終わった。


 そして、心拍計は切られた。

 電子音が止み、部屋に静寂が訪れる。


 ロゼットは目を閉じたまま動かなかった。

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