42人目 お見舞い客の審査

 ロゼットが意識を回復したという連絡を受け、僕は治療施設まで全力で走った。電車やバスは終わってしまっている時刻だ。タクシーを呼ぶにも時間がかかる。僕は深夜の街を自分の足で走った。


 治療施設は消灯時間だった。廊下は暗くなっている。僕は彼女の病室を目指して暗闇の中を走り抜けた。

 そして、電気が点いている病室を見つけた。そこはロゼットの病室だ。


 僕が息を切らしながら病室へ入ると、ロゼットが横になりながら薄く目を開けて僕を見ていた。


「……ロゼット!」

「しん……さ……かん……さん?」


 彼女の声はとても弱々しく、ほんの少しの音でかき消されてしまいそうだった。

 僕は彼女に駆け寄り、彼女の手を握る。


「……ロゼット」


 僕は彼女の名前を呟くことしかできなかった。

 彼女の意識が戻ったら、いろいろ聞きたいことがあったのに……。

 何も言葉が出なかった。

 ただ、意識が戻ったことが嬉しくて、ホッとしていた。


「わたし……生きてるんですね?」


 ロゼットが呟く。


「……ああ。大丈夫……生きてるよ」

「そうですか……」


 そう言うと、彼女は再び目を閉じた。


「……ロゼット?」

「ごめんなさい……頭がぼんやりしてしまって……」

「いいんだ。ゆっくり体を休めて」

「はい……」


 彼女の意識は再び消えていった。


     * * *


 ロゼットの意識が戻っても、彼女の体の状態が危険であることに変わりはなかった。


 熱が出て、意識を失うこともあった。

 床に食事を吐き戻すこともあった。


 僕はベッドの横に椅子を置き、彼女の様子を見守る。

 早く、元の生活に戻ることを祈りながら……。


     * * *


「ロゼットが向こうの世界に戻ってから、何があったの?」


 意識が戻った数日後、僕は向こうの世界で何があったのかを彼女に尋ねてみた。

 何がロゼットをここまで苦しめたのか知りたかったのだ。


「……」


 ロゼットは沈黙する。

 思い詰めたような顔をして。


 僕は医師の『性的暴行を受けたのかもしれない』という話を思い出した。

 向こうの世界での出来事は覚えていても、話したくないのかもしれない。


「……ごめん。やっぱり答えなくていい」

「え……?」

「もし、話すのが辛いことなら、無理に思い出さなくてもいいから……」


 僕がそう言った途端、ロゼットの表情が落ち着いた。

 やっぱり、話すのが辛いんだろう……。


「……ごめんなさい。話すことに心の整理がつかないんです……」

「うん……僕に話したくなったら、そのときに言ってくれればいい」

「はい……」


     * * *


 それからも、彼女はずっと苦しみ続けた。

 向こうの世界の治癒魔法やマンドラゴラの粉末も試してみたところ、一時的に苦しさは薄まるが、すぐに戻ってしまう。

 容態が良くなる傾向は見られない。

 危険な状態になることも、何度もあった。


 僕もベッドで苦しむ彼女を見ているのが辛かった。

 退院もできないまま、ここで死んでしまうのではないかと不安になる。


 僕を置いて死なないでくれ……。

 あのアパートの狭い一室で、また一緒に暮らしたい……。

 いつまでも、ロゼットの傍にいたいんだ……。


 彼女の傍にいるために休暇を取っていたが、期限も終わりに近づいてくる。


     * * *


 そして、彼女が戻ってきてから1週間が経過したある日。


 コン、コン。


 僕がロゼットの病室にいたところ、部屋の外からノックされた。


「どなたです?」


 ベッドで眠るロゼットの代わりに、僕が応対する。

 静かに扉を開けると、2人の見舞い客が病室の前に立っていた。


 そのうち1人は、プリーディオだ。


「あぁ、プリーディオさんですか……」

「別に、あの子の様子が気になってきたわけじゃないから……」


 プリーディオは腕を組みながら遠くを見つめている。


 そして、もう1人。

 どうしてここにいるのか理解できない人物だった。


「で、あなたはどうしてここへ来たんです? ルーシーさん?」

「あらぁ、まるで私に来てほしくないみたいな言い方ねぇ、審査官さん?」


 その人物はルーシー・グネルシャララだった。

 警備隊によって拘束されていたはずだが……。


「……ここに来たいって言い出したのが、ルーシーなのよ」


 プリーディオが言った。

 どうして、ルーシーがロゼットに用があるのだろう?


「まぁね。そのロゼットっていう子にはちょっと借りがあるからねぇ……」

「ロゼットにどういう借りがあるんですか?」

「美味しい出前をたくさんもらったのよ」


 ロゼットが居酒屋でアルバイトをしていた頃、よく出前をしていた。

 どうやら、あれの届け先はルーシーだったらしい。


「私、今日で向こうの世界に強制送還されちゃうから、最後の挨拶に来たのよぉ」

「……で、私がその付き添い。こいつを押さえつけられるのは私くらいしかいないのよ……。向こうの世界に届けるまで、私が付き添わなきゃいけないから、本当に面倒だわ……」

「はぁ? さっき『私がここに来たい』って言ったら二つ返事でOKしてくれたじゃない?」

「……それ以上無駄口叩いたら殺すわよ」


 2人の魔王が何やら物騒な会話を始める。

 僕は彼らを静めようと、声を上げようとした。

 そのとき、


「この声……プリーディオちゃんと……ルーシーさん……ですか?」


 廊下での喧騒に、ロゼットが目を覚ましていた。薄く目を開いて僕らを眺めている。


「……ルーシーさんって、そんな姿だったんですね?」

「そうなのよぉ。そういうあなたも、そんな姿だったのねぇ。私が牢獄にいた頃はお互い声だけでやり取りしてたからねぇ、姿を見るのはお互い初めてかしらぁ」


 どうやら本当にロゼットとルーシーは知り合いらしい。

 僕は、2人の魔王に入室を許可した。


「あの……審査官さんは少しだけ、席を外してくれませんか? プリーディオちゃんとルーシーさんだけで話したいことがあるんです……」


 ロゼットが言った。


「……何について話すの?」

「それは……」


 ロゼットは再び思い詰めたような表情になる。


 この反応からして、おそらく向こうの世界での出来事を話すつもりなんだろう。

 恋人のような親密な関係にある故に、僕には伝えることができないのかもしれない。


 大切な人だからこそ、抱える秘密を打ち明けたくない……。

 話したことで今の関係が壊れてしまうかもしれない……。


 ロゼットはそんな風に思っているのかもしれない。

 無理に聞かない方が良いだろう……。


「うん……分かった。廊下で待ってる」

「……ありがとうございます、審査官さん……」


     * * *


 数分後、魔王たちは病室から出てきた。

 そのとき、いつも妖艶な表情をしているルーシーが珍しく真剣な顔をしていた。


「……どうでした?」


 僕は彼女たちに尋ねる。


「あの子、向こうの世界での出来事を話したんだけど、『審査官さんに直接伝えるのが嫌だから、代わりに伝えて欲しい』って言われたわ」

「……そうですか」

「だからさぁ、もっと話しやすい場所に行かない? 審査官さん?」

「……はい」


     * * *


 僕が連れて来られたのは病院の待合室。

 そこのベンチに腰かけた魔王たちは、ロゼットから聞いたことを話し始めた。

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