34人目 僕らの幸せの審査

「え、父がそんなことを言ったんですか?」

「うん……」


 深夜、施設近くにある僕らしかいない公園。僕とロゼットはベンチに座っていた。

 僕は横に座る彼女を見ながら、昼間に彼女の父と会話した内容を話す。


 勘当を取り消すこと……。

 新たな結婚相手が見つかったこと……。

 僕が思ったこと……。


 全部話した。


「……他には何か言ってませんでしたか?」

「『必ず戻れ』って添えてきた」

「そうですか……」

「それで……ロゼットはどうしたい?」

「私が、ですか?」

「これは、ロゼットの家の問題だから、ロゼットの意見が反映されるべきだと思う。それに、これはロゼットが昔のような生活に戻る最後のチャンスかもしれない」

「はい……分かってます」

「ロゼットは……本当に今の暮らしを続けていきたい?」

「私は……」


 ロゼットは黙り込んだ。

 僕との暮らしと、故郷での思い出に揺らいでいるのだろう。


「……我がままを言えば……私の馴染みある世界で、審査官さんと暮らしたいです」

「……それは」

「はい。無理だってことは分かってます。父が用意した結婚相手にはあまり興味がないんです。でも、自分が育った世界には愛着があるというか……」

「故郷に縛られる、か……」


 世界を超えて移住するということは、かなりの覚悟がいることだ。

 自動車や飛行機を使って移住するのとは訳が違う。

 住む世界そのものが違うのだ。

 文化、環境、歴史、その全てが、この世界と異なる。

 その違いを乗り越えて生活していくのは、とても勇気が要るだろう。


「……審査官さんはどうしたいですか?」

「僕?」

「はい、審査官さんの意見も参考にしたいんです」

「僕は……本当は……このことを黙っておいて、ロゼットと何もなかったように過ごし続けたかった」

「え……」

「でも……そんなことをしたら、僕の独りよがりだし……それに……後悔するかもしれない」

「後悔……ですか?」

「向こうの世界に戻った方が、ロゼットが幸せだったんじゃないかって……」


 僕の言葉を聞いて、ロゼットは少しだけ俯き、微笑んだ。

 しかし、彼女の目は笑っていなかった。


「ふふっ、審査官さんは優しいですね。そうやって、女性の幸せを考えていてくれるところが向こうの世界の男性と違うところで、審査官さんのいいところですよ」

「そうかな……」

「でも、もっと自分の幸せを考えても良いと思います」

「僕の……幸せ?」

「審査官さんは、何事もになるよう行動しているように見えます。違法な入界者を容赦なく言葉攻めにして帰らせられるのも、それが最善だと思っているからです。デュラハン事件のとき最後まで逃げ出さずにプリーディオちゃんに指示したのも、今こうやって私に考えを聞いてくれたのも、多分、最善の結果にしたいからでしょう?」


 こんなこと……以前にも先輩から言われたことがあった気がする。

 ロゼットも僕のことを理解し始めていたのだ。


「……それは……誰だって、最善の結果にしたいに決まってる」

「でも、の中に審査官さんは含まれていないんです」

「……僕が……含まれていない?」

「審査官さんは『自分はどうなってもいい』って思ってるんです。例え、自分が独りぼっちになっても、自分が傷ついてしまっても、自分が死んでしまっても……良い結果が残せれば、それでいいと思ってるんです。だから、目の前で死を予感させるような出来事があっても、冷静でいられるんです……」

「……」


 僕は何も言い返すことができなかった。


 過去を振り返ると、思い当たる場面がいくつもある。


 目の前でゾンビになった親子。

 帝国騎士団。

 デュラハン。

 ヴァンパイア。

 邪神教徒。

 爆弾を持った元皇帝。

 ルーシー・グネルシャララ。


 そんな死と隣り合わせになるような出来事があっても、僕は冷静でいたと思う。


 それはロゼットの言うとおり、

 僕自身は

 どうなってしまってもいいと、

 そう考えていたからなのかもしれない……。


「……審査官さんが無表情なのも、そうやって自分を押し殺しているからだと思います。私は、そんな審査官さんを見ているのが恐いです……」

「……恐い?」

「いつか、本当に死んじゃうんじゃないかって……不安に思います……」

「……ロゼット……」

「審査官さんを見ていると、何だか、とても悲しくなります……」

「……」

「心配なんです。審査官さんのことが……」


 彼女は僕に寄ってきて、頭を僕の胸部にうずめた。

 彼女が震えているのが伝わってくる。

 顔は見えないが、おそらく泣いているのだろう。


「大丈夫……僕は……死んだりなんかしない」


 僕は彼女の後ろへ手を回し、強く抱きしめた。


     * * *


 その日、帰宅後。


 僕らは激しく体を求め合った。

 これまでも何度か体を求め合ったが、今回はそれよりも激しかった。


 そのとき、ずっとロゼットは泣いていたと思う。


     * * *


 翌朝、まな板と包丁がぶつかる「トントン」という音で目を覚ました。

 ロゼットは僕よりも早起きして朝食の準備をしていたらしい。ベッドから起きてキッチンに向かうと、彼女は味噌汁を作っている最中だった。この世界に来て和食を学んだようだ。キッチンには味噌汁のふんわりとした匂いがが漂っている。彼女はエプロンを着て、新妻らしい雰囲気を出していた。


「あ、審査官さん。おはようございます」

「ロゼットは今日アルバイト休みだろ? それに、その……疲れているだろうし、だから、もっと休んでいればいいのに……」

「いいんです。私、おなか減っちゃいましたし、それに……」

「それに?」

「今日……私、一度実家に戻ってみようと思うんです」

「……やっぱり、向こうの世界での暮らしが恋しい?」

「勘違いしないでくださいね? 私は、父に『審査官さんと結婚したい』って伝えるために戻るんですよ」

「あぁ……なるほど……」

「バイトも、しばらく別の人に代わってもらいました。荷物もまとめてあります。朝食を取ったら出発です」

「うん……魔物とかに気をつけて」

「大丈夫です。私、炎魔法が使えるんですよ?」

「魔法学校での成績は悪かったって聞いたけど……」

「あれは……その、魔法って使うの難しいんですよ! 審査官さんは魔法を使ったことがないからそんなこと言えるんです!」

「でも、人間が使う魔法は杖で増幅しないと大して威力がないらしい。杖なしじゃ発動にも気づけないって言われるほど……」

「杖は向こうで簡単に購入できるので大丈夫ですよ。審査官さんは心配しすぎです」


     * * *


 僕らは一緒にゲート施設へ向かった。

 ロゼットはこの世界に初めて来たときと同じ格好、黒い三角帽に黒いローブ、いかにも魔女という姿をしていた。向こうの世界での普段着らしい。


「じゃあ、僕は仕事に行くから」

「はい! 審査官さん! お仕事がんばってくださいね!」

「うん……ロゼットも気をつけて……」

「はい! 行ってきます!」


 僕は出界ゲートの手前で小さく手を振り、ロゼットを見送った。彼女もそれに答えるように微笑んでくれた。

 そして、出界審査を通過して門の中へ入っていき、彼女の姿は見えなくなった。


 大丈夫、彼女はきっとすぐに戻ってくる……。


 僕はそう考えていた。


     * * *


 このとき、僕は黒川の言っていた「波乱」が完全に終わったと思い込んでいた。


 でも、波乱は終わっていなかったのである。


 門は、ロゼットをも巻き込む形で、僕に困難を用意していたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る