33人目 結婚の理由の審査
「今度さ、私、結婚するんだ」
勤務時間終了後、僕と先輩はいつものように居酒屋へ向かった。
適当に雑談をしながら食事をしていたところ、先輩が切り出したのだ。その表情は真剣で、嘘をついているとは思えない。
「結婚……ですか?」
「そうだ。結婚だ」
「誰が結婚するんです?」
「私だ」
「では、誰と結婚するんです?」
「修哉くんだ」
「もうそこまで関係が進んでましたか」
「そうだ」
「いつ結婚するんです?」
「特に決めてない。これから決める」
「プロポーズは先輩と黒川さん、どちらから?」
「私だ」
「まあ、そうでしょうね。あんなに冷静な黒川さんがこんなに早くプロポーズをするとは思えませんからね」
「とにかく、いろいろ決まったらお前に招待状を送るから待っていろ! いいな!」
「分かりました」
以前から女性審査官の間では先輩と黒川の噂が立っていた。「近々、あの二人、結婚するらしいわよ」と。
現在、黒川は実家の家業を継いで生活しているらしい。仮に結婚した場合、先輩はその手伝いに行くために退職するのではないかと囁かれている。
「それと、お前に聞きたいことがあるんだが……」
「はい?」
「……お前、最近ロゼットと暮らしてて変わったことがないか?」
「……それはどういう意味の質問です?」
当時、僕はこの質問の意図をよく理解できていなかった。
ロゼットと暮らしていて変わったことと言えば、一人暮らしから二人暮らしになったことぐらいだ。大きな変化だが、先輩が聞きたいのはそういうことなのだろうか?
「あ、いや。入界者と接触した人間にいろいろと身体的変化が起こる事例が報告されているらしくてな。『入界者と多く接触する審査官を調査したい』っていう話を大学から貰ったんだよ」
「何です? その変化って言うのは?」
「私も詳しい話は聞かされていないが、異世界人の持つ『魔法因子』関係らしい」
「『魔法因子』……ですか」
《魔法因子》
それは異世界人だけが持つ特殊な細胞器官だ。異世界人の細胞内に潜み、生体エネルギーを別のエネルギーに変換する能力がある。その変換されたエネルギーを人々は「魔法」と呼んでいる。
「そうした魔法因子は、ミトコンドリアの一種ではないか」という説が当時の学会を賑わせていた。
ドラゴンなどの強力な肉食生物が多い異世界では、魔法因子を持たない人間が淘汰されたという過去がある。その結果、現在は異世界人のほとんどが魔法因子を持っているという。
当然、こちらの世界の人間は魔法因子を持たない。「魔法を使えるのは異世界人だけ」というのが最近の常識だ。
「その変化の内容は個人によって異なるらしい。まぁ、変化と言っても微細なもので、最近まで報告されなかったほどだ」
「……僕自身、何も感じてませんが……」
「特に気になることがなければ、この話は忘れてくれ」
* * *
帰宅後、家で待っていたロゼットと小さな机を囲んで食事をしていたとき、先輩の結婚のことを話した。
「え、あの人が結婚するんですか?」
「そうらしい」
「うわぁ! すごい! おめでとうございます!」
「祝福は僕じゃなくて、本人に言いなよ」
「だって、結婚ですよ! 結婚!」
「結婚て、そんなにすごいかなぁ?」
「すごいです! 審査官さんは違うって言うんですか?」
「うーん、女性は結婚に夢を見過ぎかなぁって……」
「……それが、審査官さんがなかなかプロポーズしてこない理由ですか?」
そうなのだ。
現在、僕とロゼットは「同棲している恋人」という関係にあり、まだ正式に結婚している訳ではないのだ。
先輩からは「結婚しろ」と言われたが、何となくする気が起きないというか……。今の状態で満足してしまっている自分がいるのは確かだ。結婚してしまうと、今後何かあったときに面倒なことになってしまうような、そんな枷のようなものがつけられる、そんな気がしていた。
それよりも、僕はあることが気になっていた。
「私、審査官さんと結婚したいです!」
「逆プロポーズ?」
「あっ、やっぱりこういうことは男性から言うべきなんでしょうか?」
「別に女性からでも良いと思うけど、ロゼットは本当に結婚してしまっていいのかなって……」
「どういうことです?」
「僕と結婚して暮らす場合、ずっとこっちの世界で暮らすことになる。それでロゼットは寂しくないの? 向こうの世界に残っているロゼットの友達とか家族とかが恋しくならない?」
「それは……時々、恋しくなります。でも、いつでも向こうの世界には戻れますし、それよりも、私は勘当されちゃったんですよ?」
「君がそう言うならさ、僕も真面目に考えようかな……」
「そういうところを考えてくれるのが、審査官さんの優しさだと思います」
「パートナーに無理強いをしたくないだけだよ」
* * *
翌日も僕は2番ゲートで審査をしていた。
「はい、次の方」
2番ゲートに入ってきたのは、高貴な服装の中年男性だった。
最近、貴族の入界が多いな……。
「……こんにちは」
「あぁ、貴様か。また会ったな」
「え?」
目の前の中年男はそう言った。
しかし、僕には誰なのか分からない。
「……あの後、ロゼットはどうなったんだね?」
「ロゼット……?」
「ほら、わしの娘だよ!」
「娘……?」
ここで、ようやくこの人はロゼットの父であると認識した。
確かにどこか見覚えがある。前回会ったときよりも少しやつれている感じがした。
「あぁ、ロゼットのおとうさんですか。どうもお久しぶりです」
「そんな挨拶はいいから、ロゼットはあの後どうなったかと聞いているんだ!」
「彼女は勘当されたんですよね? 別に知る必要ないのでは?」
「あるのだよ! 急にロゼットと結婚したいという相手が現れたのだ!」
「はぁ……」
ロゼットの父は焦っているように見えた。
どうして今頃になって結婚相手が現れたのだろう……。
「それにしても急ですね。悪評もあって勘当しているのに結婚したい相手が現れるなんて」
「先日の奴隷解放運動の激化によって貴族内部の情勢が乱れたのだ。多く奴隷を持った高ランクの貴族が次々と処刑され、残った貴族たちが情勢を立て直そうと必死になっている」
「ああ、なるほど。話は大体読めました。その情勢建て直しとして、あなたの家と関係を結びたい高ランクの貴族が現れて、そのためにロゼットを政略結婚に出したい……ってことですね?」
「……そんな感じだ。だから、今すぐ勘当を取り消して、相手の家の長男に嫁がせたい」
どうしようか……これ。
まさか……奴隷解放運動の思わぬ余波がこんなところに……。
正直、僕はこの男にロゼットの居場所を教えたくなかった。
この男は彼女を権力強化のための道具のようにしか思っていないと感じたからだ。
今ある僕と彼女の関係だって壊したくない。僕はロゼットのことが好きだ。他人の女にはなってほしくない……。
でも……
でも……本当にそれで良いのだろうか……。
これは……彼女が貴族としての裕福な暮らしを取り戻すチャンスでもある。
彼女は家族との関係を修復し、異世界に戻って昔と同じように暮らせる……。
狭い1Kアパートでの貧しい暮らしよりは良いのではないのだろうか……?
それに……その結婚相手の方が、僕よりも彼女を幸せにできるかもしれない……。
このまま拒否してしまうのは、僕の独りよがりではないだろうか……。
ロゼットはどうしたいのだろう……?
そのときは、彼女の意見を聞かずに僕が勝手に決定していい問題ではないように思ったのだ。
「……分かりました。居場所までは教えられませんが、僕が彼女へ伝えておきます」
「ロゼットの居場所を知っているのか?」
「はい。彼女にはあなたが来て先程のことを話したと伝えておきますので、今日はお引き取りください」
「うむ……。分かった。『必ず戻れ』と伝えてくれ!」
彼女の父は門の向こうへ戻っていった。
ロゼットはこのことをどう思うのだろう……?
* * *
勤務時間終了後、僕はロゼットが働いている居酒屋へ向かった。
「あ、審査官さん。どうしました?」
店の玄関から店内を覗こうとしていたところ、向こう側からロゼットが出てきたのだ。
「ああ、ロゼットと話したいことがあって……」
「……すいません、私、これから出前なんです。お話はその後でも構いませんか?」
出前?
そんなシステムがこの居酒屋にはあったのか?
彼女はアルミ製の出前箱を持っていた。そこにはちゃんと店のロゴが入っている。
「え、この居酒屋、『出前』なんてやっているの?」
「はい。施設内なら出前注文が可能ですよ? 知りませんか?」
「いや、この施設には1年以上勤めているけど、初めて知ったなぁ……」
「ふふっ、審査官さんも忙しいとき、利用してみてください」
「そうしようかな……」
「じゃあ、お話は後で伺います。では、行ってきますね」
ロゼットは僕に手を振り、出前箱を持って廊下を歩いていった。
* * *
ロゼットが向かった先は警備隊の所有する地下施設。施設警備隊の本部とも言える区画だ。
エレベーターを降りると、すぐに受付がある。アサルトライフルを装備した隊員が玄関周辺を警備していた。天井にはセントリーガンなども配備され、玄関を通過する者全てをチェックする。
「こんばんは。お仕事お疲れ様です」
ロゼットは警備中の隊員に話しかけた。
「こんばんは。名札とIDを確認させてください」
「はい、これです」
「……確認しました。どうぞお進みください」
ロゼットはすでに何度かここへ出前に来たことがあり、隊員たちとは顔見知りだ。
彼女は奥へ進み、受付をしている事務員へ用件を伝える。
「こんばんはー。出前で来ましたぁー」
「出前ですね。届ける場所は、いつものところです」
「分かりました」
ロゼットはさらに施設の奥へ進んでいく。
そして、到着したのは独房前。その独房は魔法の効果を封じる特殊な構造の壁で囲まれている。窓もなく、内部の様子を窺い知ることはできない。常に2人の隊員が監視に当たっている。
ロゼットは壁に設置されたトレイに注文の品を置いた。そこに置いた食品は機械で自動的に独房内部へ送り込まれる仕組みになっている。
料理が壁の向こうへ送られ、独房内から声が聞こえてきた。
「……この食事は毎回あなたが作っているの?」
女性の色っぽい声だった。
「はい! 今日は店の定番料理の唐揚げを調理しました!」
「ふぅん……あなたの料理は美味しくてけっこう好きよ」
「ありがとうございます!」
「向こうの世界で魔王を続けていたらシェフとして呼んであげても良かったのに……」
「では、これで私は失礼しますね!」
ロゼットは出前箱を持って独房を後にする。
「あの子……あの審査官の匂いがしたわね」
その独房内にいたのは、ルーシー・グネルシャララだったのだ。
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