32人目 衰退バ金持の審査

「あの……本当に申し訳ありませんでした!」


 居酒屋での騒動後、ロゼットは店長に謝罪した。

 あの騒動は「客同士の喧嘩」として処理されたが、その一端にロゼットが関わっている。彼女は店に迷惑をかけてしまったのではないかと考えたのだ。

 僕も横からその様子を見ていた。


「確かに、暴力沙汰になったのは感心しないけどさ……」


 店長も厨房から騒動の一部始終を覗いていたらしい。


「……私もアイツには腸が煮えくり返ったね。だからさ、こんなことになっても、不思議と心はスッキリしてるんだ」

「は、はぁ……」

「あそこでお客さんたちが介入しなかったら、私がフライパン持っていってアイツを殴ってやったわ」

「それで……その……私は、クビでしょうか?」

「別にいいのよぉ。アンタが手を出したわけでもないし、今回のことは大目に見ておくわ」

「ありがとうございます!」


 ロゼットは深々と頭を下げた。


     * * *


 その日、僕とロゼットは一緒に夜道を帰った。人気のない住宅街を僕らは歩いていく。


「ねぇ、審査官さん……」


 ロゼットが僕の袖を軽く引っ張り、話しかけてきた。


「……審査官さんはあのとき、私を守ってくれましたよね?」


「あのとき」とは、マウタリウスの拳を僕が受け止めたときのことだろう。


「審査官さん……お怪我はありませんでしたか?」

「ちょっとまだ痛むかな……」


 少し拳を受けた部分がズキズキする。


「帰ったら手当てします!」

「そんな大した怪我じゃないって……無理に動かさなければすぐに治る」

「……そうですか」

「それに、あんなヤツにロゼットが殴られるなんて嫌だったから……」


 すると、ロゼットは僕の手を袖を引っ張る力を強め、正面で僕と向き合った。


「審査官さん、今日は本当にありがとうございました……私、あのとき、すごく、嬉しかったです」


 彼女の瞳がとても輝いていた。


 僕は、礼を言われるのが、どうも慣れてない。

 こういうとき、僕はどう返すべきなんだろう……?


 とりあえず、僕は彼女の手を握った。


「審査官さん……?」

「ほら、もう夜も遅いし、早く帰ろう」

「……はい!」


 こんなぎこちない愛情表現しか、僕にはできない。

 それでも彼女は、僕の傍にいてくれる。

 そんな彼女のことを、僕は好きだった。

 こんな日常がずっと続いていてほしい……。

 僕はそんなことを願いながら、その夜を彼女とともに過ごしたのだった。


 腕の痛みなんて、気がついたら消えていた。


     * * *


 その数日後のことである。


 僕はその日も2番ゲートで審査を行っていた。


「ひっ、た、助けてくれぇ!」


 門から泥だらけの男がゲートに走って来るのが見える。彼は一直線に2番ゲートに飛び込むと、僕の顔を覗き込んだ。その表情はかなり焦っていた。

 ただごとではないだろうな、とは思いつつも、僕は冷静に対処していく。


「……こんにちは」

「は、早く入界させてくれ!」


 その男は金髪で、髪型は崩れてボサボサ。

 顔や手は傷だらけで出血もしている。

 服のあちこちに泥が付着しているが、所々に手の込んだ金色の装飾が見えた。元々はかなり高貴な衣装だったのだろう。


「それでは、パスポートを提示してください」

「な、ない!」

「じゃあ、お引取りください」

「ま、前にここへ来たことがあるんだ! ぼ、僕はマウタリウス・アルバート! 顔パスでどうにかならないか!」


 マウタリウス・アルバート?


「まさか、あの金鉱石採掘の……」

「そうだ! そのマウタリウスだ! 覚えていてくれたのか! 審査官!」

「……はい……一応」


 この泥だらけの男が、本当にあのマウタリウスなのだろうか?

 前回ここへ来たときとはかなり様子が異なっている。あの憎たらしいほど高貴な雰囲気は完全に消失し、ジャングルで泥水でも飲んで生活しているような姿へと変貌していた。

 何日間も風呂に入っていないのだろうか。パスポートを受け渡しする僅かな隙間から、彼の体臭と泥の臭いが漂ってくる。


「し、審査官! と、とりあえず、僕を入界させてくれ!」

「パスポートがないとダメです」

「た、頼むよ、入れてくれ! 早くしないと、あいつらが……僕を殺しに来る!」

「『あいつら』とは誰のことです?」

「ど、奴隷どものことだよ!」

「なぜ、奴隷が主であるあなたを殺そうとするのです?」

「せ、先日、貴様がした基本的人権の話とロゼットの説教が、奴隷たちの間で話題になったんだ! その説教を聞いて、僕よりも自分たちの方が価値があると思い込んだ奴隷どもが、今までの不満を僕にぶつけようと……!」

「あなたの奴隷でしょう? 自分でどうにかしたらどうなんです?」

「も、もう無理だ! 看守も倒され、屋敷も燃やされた! 僕には奴隷どもを止める術がない!」

「自分が撒いた種でしょう?」

「は、早くしないと、やつらが……ああああっ!」


 マウタリウスは門を見て絶叫した。

 何事かと思い、僕も門の方へ顔を向ける。

 そこには、スコップやピッケルなどを持った奴隷たちが数人がいた。全員、マウタリウスを睨みつけ、ピッケルなどの柄を強く握る。


「開けてくれ! 頼む! 僕を入界させてくれぇ!」

「ダメです」


 マウタリウスは涙で顔をぐしゃぐしゃにして懇願したが、僕はそれを拒否してやった。

 そんなやり取りをしている間に、奴隷たちも2番ゲートに入ってくる。


「できたら、での暴力行為は止めてくださいね」


 僕は奴隷たちに向かって話しかけた。

 すると、奴隷たちは僕に向かってコクリと頷き、抵抗するマウタリウスを手錠で拘束する。


「ひぇっ! や、止めてくれ! 僕をどうする気なんだ!」

「……それでは、また入界したい場合、パスポートを再発行してきてください」

「くそおおおお! 貴様あああ!」


 マウタリウスは両腕を後ろに回された状態で拘束された。2人の奴隷が彼の両肩を掴み、門の向こうへと戻っていく。


「ど、どこへ連れて行くんだ、貴様ら! 放せえええええ!」


 マウタリウスは門の中へ消えていった。

 それに続くように多くの奴隷たちも去っていく。

 そして、2番ゲートには僕と1人の奴隷だけが残された。


「あなたは戻らないんですか?」

「……」


 ドサッ……。


 その残った奴隷は、審査カウンターに茶色の布袋を置いた。


「あの……これは何です?」

「あ……りが……とう」


 その奴隷は日本語で「ありがとう」と言った。

 きっと、これを言うために向こうの世界で日本語を勉強したのだろう。

 そして、その奴隷は門の向こうへと走って帰っていった。


「……何なんだ、これ」


 僕は奴隷が置いていった布袋を手に取った。体積はそこまで大きくないが、ずっしりと重い。ジャリッ、という金属が擦れるような音もする。


「まさか……」


 袋を開けると、案の定、中には金貨が詰め込まれていた。この国の通貨に換金すれば、500万円は超えるだろう。


「……どうしようか、これ……」


 結局、僕はそれを拾得物として施設の保管庫に預けることにした。

 数ヶ月経っても持ち主が現れない場合、その一部が自動的に僕の所有物になるらしい。


     * * *


 その数日後、向こうの世界では「奴隷解放運動」が活発化した。

 傲慢な貴族に仕える奴隷たちが一斉に武装蜂起したらしい。支配がそこまで酷くない場所では賃金の上昇や権限の強化で済んだようだが、労働環境が酷い地域では貴族の屋敷が燃やされ、処刑も行われたと聞いている。


 その武装蜂起の首謀者は「異世界での経験が、自由を求めることに私たちを目覚めさせた」と述べているらしいが、その真偽は定かではない。


 そうした騒ぎの中、「マウタリウス・アルバートらしき人物が金鉱石の採掘場で死体となって発見された」という情報を耳にした。死因は、十分に食物を摂取していなかったことによる栄養失調と、ずっと鉱石の採掘を続けていたことによる過労らしい。その情報の真偽も定かではないが。

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