31人目 許婚バ金持の審査
「……という感じの貴族が入界したんだ」
「あ、その人、もしかして……マウタリウスさんじゃないですか?」
僕は仕事帰りに、ロゼットが働き始めた居酒屋へ寄った。
僕はカウンター席に腰かけ、エプロンを着てカウンターを拭いているロゼットに今日対応した貴族のことをそれとなく話した。すると、彼女はその貴族の名前を口にしたのだ。
「マウタリウス……確か、そんな名前だった気がする」
「……あぁ、やっぱり……そうでしたか」
「もしかして、ロゼットの知り合い?」
「私の……元許婚です」
「ああ……なるほど……」
「ロゼットには広い土地を持つ領主の許婚がいた」ということは彼女の父と会話したときに聞いていた。ロゼットに悪い噂が立ったことで、その関係は結婚前に解消されたらしいが。
まさか、出会うことになるとは……。
「私、正直、あの人のこと、苦手だったんです……だから、婚約解消できて少しホッとしているというか……」
「僕も苦手だな。ああいう人は……」
「それより、審査官さん。何か食べていきます?」
「うーん、じゃあ、ホッケと、レモンサワーを……」
「かしこまりました」
彼女は注文を取り、店の奥に戻ろうとした。
そのとき、団体の客が入店してきた。
「いらっしゃいませー」
ロゼットは店の入り口へ振り向きながら喋った。
「……あっ」
しかし彼女は手で口を押さえ、その客を凝視する。
何事かと思い、僕もその客の方を向いた。
「やぁ、ロゼットじゃないか! こんな汚い店で何をしてるんだい?」
入店したのは、マウタリウスと奴隷たちだった。
「お、お久しぶりです。何の用ですか……マウタリウスさん」
ロゼットの顔が露骨に嫌がっているように見える。彼に会うのは昔から疎ましかったのだろう。
「別に用はない。ただ、君の顔が見えたから立ち寄ったのさ」
マウタリウスたちはズカズカと店の奥へ向かい、ロゼットが席へ案内する前に4人用の席へ腰かけた。
「ん? 貴様は融通の利かない審査官じゃないか」
「あぁ、どうも……」
彼は僕に気づいて声をかけてきた。
もうこいつとは会いたくないと思っていたが、再会してしまうとは……。
先日のルーシーといい、最近、厄日が続くなぁ……。
「まったく、今日は散々でね。こちらの世界の土地を買い取ろうと思ったんだが、向こうの世界の金を買い取る量は限られているらしい」
「そうですか……」
「それに、この国では異世界人への土地売買は禁止されているというじゃないか。まるで差別みたいで、とても腹立たしいことだとは思わんかね?」
「そうですか……」
「さらに聞けば、この国ではほとんど金鉱石が採掘できないらしい。向こうの世界の小国よりも価値のない国だよ、ここは」
「そうですか……」
下調べもなしに入界するからこういうことになるんだよ。
おそらく、こいつは思いつきで行動したのだろう。
金はあるのに徳や知性はない。僕の嫌いな人種だな。
「……それで、ご注文はお決まりですか?」
ロゼットがマウタリウスに尋ねた。
「いや、特にないよ。こっちの世界の酒はまずそうなものばかりだ」
「……はぁ」
「それよりもロゼット、君のその貧相な格好はどうしたんだい?」
「これは……この店の制服です……」
「以前の君はそんな愚民のような格好はしてなかったじゃないか。君に何があったって言うんだい?」
「それは……」
「あぁ、君は醜態を晒して勘当されたんだったね。忘れていたよ」
「……」
「名家の娘としての品性がない君とって、その服装は低俗でピッタリだよ」
品性がないのはお前だよ……。
いちいち気に障る言い方をする男だ。
ロゼットの表情もどんどん曇ってくる。
その様子に、店で飲んでいた他の客も動きが止まっていた。他の客のほとんどがイラついた表情で、マウタリウスを睨みつける。
彼女がここまで酷い言われようになり、僕は黙っていられなかった。
僕は席を立ち、マウタリウスの元へ歩き出す。
しかし、
「……あの、注文がないなら帰ってくれませんか?」
ロゼットが僕よりも先に切り出したのだ。
「僕に命令する気かい? 偉くなったねぇ、ロゼット」
「ここは、料理とお酒を楽しむための場所なんです。その気がないなら、さっさと帰ってください! 他のお客さんの気分が悪くなります! あなたは邪魔なんです!」
「何だと、低ランク貴族の娘が! 貴様は僕を誰だと思ってる! 僕はアルバート家の……」
「そうやって、あなたはいつも家と身分を持ち出して、他人を平気で罵って……私は、昔からあなたのそういうところが嫌いだったんです!」
僕はロゼットがここまで怒るのを初めて見た。
いつも穏やかで優しい表情をしている彼女が、ここまで声を荒げるのは意外だった。
「貴様はどこまでもバカな娘だな! 貴様は容姿が良いから、かつて僕が許婚に選んでやったというのに、その恩を仇で返すつもりか!」
「バカはあなたです! 向こうの世界で、後先考えずにいつも思いつきで行動して、財力に任せて金鉱石の採掘を始めさせて、何人の奴隷を犠牲にしたと思ってるんですか!」
「奴隷が何人死のうが知ったことか! あんな価値のない動物なんてまた補充すれば……」
「価値がないのはあなたです! あなたの代わりにそこで重い荷物を持ってくれている奴隷さんの方が謙虚で一生懸命で、あなたの何百倍もすごいです!」
ロゼットは、マウタリウスが連れている奴隷を指差した。奴隷たちは相変わらず袋に詰められた重たい金塊を持っており、辛そうな表情をしている。
「マウタリウスさんは好き勝手命令しているだけです! あなたは奴隷さんたちの手柄を横取りしている卑怯者です!」
「この……クソ娘がっ!」
マウタリウスはロゼットに殴りかかった。
ガッ!
僕はロゼットの前に飛び出し、彼の拳を腕で受けてガードする。
「邪魔だ! そこをどけ! 愚民が!」
「それはできません。彼女は僕にとって大切な人ですから……」
「くそ! おい、奴隷ども! こいつをどうにかしろ!」
マウタリウスは奴隷たちへ怒鳴った。
そのとき、
「なんだ、喧嘩か? なら、俺はお嬢ちゃんの味方になるぜ」
店内にいた他の客らが、拳をポキポキ鳴らしながら騒動に介入してきたのだ。入界者と思われるガタイのいい男たちがマウタリウスを追い詰めるように取り囲む。介入してきた客は10人近くいるだろう。
「な、なんだ? 貴様たちは……! ぼ、ぼぼ僕を誰だと思ってる! 僕はあのアルバート家の……」
「知らねぇよ! この金髪野郎の偉そうな態度には、俺も腹が立ったぞ! とんでもねぇクソ貴族が!」
「お嬢ちゃんを守る兄ちゃんはカッコ良かったぜ! 兄ちゃんは下がってな!」
「……ありがとうございます」
僕は客らの言葉に甘えて引き下がり、ロゼットの傍に寄った。
「一発殴らせろ! おらぁ!」
「げふっ!」
「てめぇみてぇな男が富を牛耳ってると思うと、ほんと不快だぜ! うらぁ!」
「うぐぅ!」
マウタリウスは男たちによってボコボコになっていく。彼の顔面と腹を中心に、無数のパンチが叩き込まれた。
「ぐふぅ! お、おい奴隷ども! こいつらを……なんとかしろ!」
彼は殴られながら叫んだ。
「……」
しかし、奴隷たちは動く気配がない。
「お、おい、どうしたんだよ……奴隷ども……? まさか、あの低ランク貴族の娘の言うことを真に受けたんじゃないだろうな……?」
マウタリウスは奴隷たちの近くへ四つん這いになりながら近寄る。
そんな彼を、奴隷たちは見下すように見つめた。
「別にこいつの言うことなんて聞かなくてもいいんだぞ? もっと使える主を選んだらどうなんだ?」
マウタリウスを囲んでいる客の一人が、奴隷たちにそう言い放つ。
ドサッ……!
すると、彼らは金塊の入った袋をその場に置き捨て、ゾロゾロと店を出ていった。
「……へ? ちょっ……と……」
マウタリウスはその場に取り残され、男たちに再び囲まれる。
「奴隷にも見捨てられて、哀れな主だな」
「ひっ!」
マウタリウスは顔面を血だらけにしながら、必死の形相で男たちから逃げていく。最後、彼はよろめきながら店を後にして、ようやく居酒屋での騒動は収束したのだ。
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