30人目 貴族&奴隷の審査

 ロゼットのアルバイト先が決まった。


 僕とロゼットは1Kの部屋でずっと同居してきた。彼女は専業主婦のように家事をこなして閉じ籠る日々の退屈を紛らしている。

 しかし、僕はまだ新米審査官で、給料が心許ない。二人が不自由なく生活するには収入が少ないと感じていた。


 そこで、僕はロゼットのアルバイト先を探したのだ。彼女も働けば収入も増加するし、この世界のことを学習するのにいい機会になるかもしれない。ずっと家に閉じ込めて家事ばかりさせるのも、彼女にとっては苦痛だろう。


 そして、僕は入界者も雇ってくれる店を発見した。

 そのアルバイト先は、僕と先輩がよく夕食に訪れる居酒屋だ。

 門を囲む施設内にあり、異世界の言語もある程度通じる。まだ日本語が得意でないロゼットにとって、良い職場環境だ。

 店長の女性に彼女を紹介したところ、すぐにOKが出た。簡単な仕事から教えてくれるらしい。


 そういうわけで、ロゼットは居酒屋で働くことになったのだ。


     * * *


 僕とロゼットは同じ時刻に施設へ出勤した。


 僕は審査ゲート。

 ロゼットは居酒屋へ。それぞれの職場に向かって歩いていく。


「それじゃ、審査官さん。お仕事がんばってください!」

「うん、じゃあね」


 帰りに彼女の仕事ぶりでもこっそり見ようかな……。

 そんなことを考えながら、僕は2番ゲートに入った。


     * * *


「はい、次の方。どうぞ」


 仕事を開始してから数時間後、団体の入界者が2番ゲートに入ってきた。


「……こんにちは」

「やぁ、こんにちは」


 その団体は合計で4人。

 1人は金髪で格調高い衣服を身に纏っている。どこからどう見ても貴族、といった感じの青年だった。

 他の3人は若い男女だ。金髪の彼とは対照的に、他の3人はボロボロの服装をしており、表情も暗い。大きな袋を背負い、その袋はかなり重量がありそうだ。


(こいつら……奴隷か……)


 僕は思った。

 向こうの世界では、多くの貴族が奴隷を連れているらしい。連れている奴隷の数が多いほど、権力の大きさを示しているという。

 奴隷をここへ連れてきた貴族は初めてだな……。いざ見てみると、あまり気分の良いものではない。


「では、パスポートを提示してください」

「ほら、これでいいのだろう?」


 名前:マウタリウス・アルバート

 種族:人間

 職業:金鉱石採掘業 監督


 金髪の青年が提示したのは、彼一人分のパスポートだった。後ろに控えている奴隷がパスポートを差し出す様子はない。


「あの……他のパスポートは?」

「え? 何だって?」

「後ろの方々のパスポートも拝見したいのですが……」

「こいつらは奴隷だぞ?」

「いや、だから、その奴隷のパスポートも見たいのです」

「何だと、この国には奴隷にも入国許可証が必要なのか?」

「はい。人ですから……」

「何を言っているんだね、君は? 奴隷は道具に決まっているだろう? 道具にも入国許可証が必要なのかね?」


 ふぅ……。


 さて……こいつをどう処理したものか。


 向こうの世界での常識をこちらに持ち込もうとしている人物ほど、審査のうえで厄介なものはない。

 特に彼の場合、無駄にプライドが高そうで、説得には時間と労力がかかりそうだ。


「とにかく、こちらの世界では奴隷も人間として扱われるんです。パスポートを提示できないのであれば、このまま引き返していただきます」

「は? ふざけたことを言うのだな、君は。奴隷も人間扱いされるだって? 貴様の国はおかしな国だな」

「そちらがこの国のことをどう思おうが構いませんが、入国したいのであれば規定に従っていただきます」

「ふん、融通の利かん男だ」


 融通が利かないのはあんただよ。


「ほら、いくらほしいんだ?」


 彼はそう言うと、審査カウンターに金貨を投げるように数枚置いた。


「……何です、これは?」

「個別に通行料がほしいんだろ?」


 ……賄賂か……。

 僕は金貨を見た。こちらの世界で換金すれば、軽く50万円は超えるだろう。

 先日のルーシーの色仕かけに続き、今回は高額の賄賂と来たか……。


 僕は彼の方へ金貨をすっと戻した。


「何だ、この額じゃ不満なのか?」

「そうじゃありません。純粋に規定を守ってほしいだけです」

「ほら、分かったよ。倍の額を出す」


 分かってないじゃん……。


 そういことじゃないんだよ……。


 何が何でも奴隷を人間扱いしたくないらしい。


 彼は再び、懐から金貨を取り出してカウンターの上に置いた。


「……あのですね」


 こんなやり取りが1時間以上続くことになる。


     * * *


「……つまりですね、この国では、人間が人間らしく生きる権利が享有されているのです」


 1時間後、僕はマウタリウスと奴隷たちに基本的人権の話をしていた。

 自分でもどうしてこんなことを説明しているのか訳が分からなくなっていた。多分、目の前の男がどうして奴隷にも人権があるのかという説明を求めたのだろう。しかし、その経緯はほとんど思い出せない。大学時代でもここまで力説をしたことはなかったと思う。

 もういい加減、相手も折れてくれないかな……。


「……というわけで、この国では全ての人が……」

「もういい! 分かったよ!」


 マウタリウスもこのやり取りには疲れてきたようで、カウンターに積まれた大量の金貨を自分の懐にしまった。


「何なんだ、貴様は! まったく、ゴミ屑のような価値観を押しつけやがって!」

「……パスポートの発行をお願いします」


 パスポート発行のため、彼らは門の向こうへ引き返していった。


(もう二度と来るなよ……)


     * * *


 数時間後、マウタリウスと奴隷たちは戻ってきた。


(うわぁ、帰ってきた……)


 彼は自分と奴隷、全員分のパスポートをカウンターに置いた。僕は引きつった表情でそれを精査していく。


「……はい。確かに全員分ありますね」

「愚民が、余計な苦労をかけさせやがって……」

「それでは、滞在計画書も提出お願いします」

「ほら、これだ」


 彼が差し出した計画書には「土地売買」と書かれていた。


「『土地売買』とは具体的に何をする予定なのです?」

「その言葉通りさ。この国の土地を購入するのさ」

「何のために?」

「そんなもの、金鉱石の採掘に決まっているだろ」

「どうやって購入する気ですか?」

「今、この奴隷たちは純金の塊を背負っている。これをこの国の貨幣に変換して地主に交渉するのさ」

「……そうですか……」


 僕は奴隷たちが持っていた巨大な袋を検査する。彼の言うとおり、中には巨大な純金の塊が入っていた。

 こんなに重いものを背負って、奴隷たちも大変だな……。重量挙げの選手でも、この袋を長時間持つのは難しいだろう。それに、彼らは体臭も酷い。何日間もシャワーを浴びさせてもらえないことが分かる。日常的にかなり酷い扱いを受けているようだ。


「……持込禁止のものはありませんし、入界しても、まぁ、いいんじゃないでしょうか? 査証を発行します」

「早くそこを通したまえ」


 僕は扉のロックを解除し、彼と奴隷を入界させた。

 マウタリウスは奴隷を連れてゲートを抜けていく。


 そのとき、僕は敢えて言わなかった。


 この国では、入界者に対しての土地販売が法律で禁止されていることを、

 この国には、金鉱石を採掘できる鉱脈がほとんどないことを、

 そして、この国では、異世界で採掘された金が取引制限されていることを、

 僕は、黙っていた。

 審査官にそこまで説明する義務はない。


 僕は、こいつの相手をするのに疲れた。

 彼にこの国のことを説明する役目は、別の人間が担ってほしい。

 基本的人権の説明だけで、僕はもう疲れてしまった。


     * * *


 帰りにロゼットのところへ寄って、疲れを癒そう……。

 勤務時間終了後、僕はトボトボ歩きながら、居酒屋へ向かった。

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