25人目 先輩審査官の審査
先輩と初めて出会ったのは、大学のサークルで新人歓迎コンパが行われたときのことだった。
まだ肌寒い春の夕方、同じサークルのメンバーが駅前の居酒屋に集められ、座敷席を囲む。結構人気なサークルだったこともあり、広かった部屋は一気に学生で埋め尽くされた。
隣に座る仲間に話しかけて自己紹介する者。連絡先を交換する者。くだらない談笑をする者。皆、新入生で、学生時代をともに過ごす仲間を作ろうと必死になっていたと思う。
そんな中、僕は人間関係に興味などなかったので、部屋の隅で一人読書に耽っていた。確か、有名なグロテスクSF小説を読んでいた気がする。連絡先の交換や自己紹介など、周りに合わせるのがとにかく面倒くさかったのだ。コンパに参加したのも、メンバーとしての体裁を保つために必要だと感じたからであって、特に新しい人間関係の構築などは目的としていなかった。
「それじゃ、入部を祝って……カンパーイ!」
「カンパーイ」
やがてサークルの会長が到着し、コンパがスタートする。
当時、僕は未成年だったので、ジンジャーエールの注がれたグラスで乾杯した。僕は特に誰かとグラスをぶつけることもなく、そのまま口へ飲み物を運んだ。
そのとき、僕に向けられる視線に気付いた。学生たちが囲んでいる机の対角線上の向こう。ビールのグラスを片手に、僕のことを見つめている黒髪の女性。僕より少し背が高くて、美人の部類に入る顔立ち。おそらく、二年ほど上の先輩だろう。彼女は僕と視線が合うとニコリと微笑み、机に肘を突きながら小さく手を振った。
この女性こそ、今の先輩である。
最初、僕は彼女の様子に「僕がコンパを楽しんでいるか心配なのかな?」なんて思った。しかし今振り返ると、それも違う気がする。先輩は僕の外見に、何かを見出していたのだ。
そしてコンパは進み、お開きする時間となった。近くの店の二次会へ行く者や、タクシーで帰宅する者。多くのグループに分かれる。そんな中、僕は電車で帰ることにした。荷物をまとめ、居酒屋の前にできている学生の人混みから遠ざかっていく。
そのとき――
「おっす、新人君。新歓コンパはどうだったぁ?」
いきなり後方から肩を回され、あの先輩が僕に身体を密着させてきた。背中に豊満で柔らかな胸を押し当て、顎で僕の肩を擦る。
「私、酔っちゃってフラフラなんだよねぇ」
「そ、そうですか」
「だからさ、しばらく私が帰宅できるように支えてくれないかな?」
「タクシーを呼ぶのはどうでしょうか?」
「そんなの勿体ないじゃん。せっかく、ここに頼れる男の背中があるのに、高いタクシー代を払うなんてさ」
本当のところ、先輩はお酒にかなり強い。だから今思うと、これは演技だったのだ。
「ちょっと買い物していい?」
「いいですけど……」
「よっしゃ、決まり!」
そうしてコンビニエンスストアに寄り道して購入したのは、極薄タイプのコンドーム。
このとき、僕は「ああ、そういうことなんだな」と悟った。商品を選ぶときにも、先輩から「新人君の大きさはどれくらい?」なんて聞かれた。急激で意外な展開に、脳味噌が一瞬フリーズしたような感覚に襲われたのを覚えている。
コンビニの若い女性店員の前で、僕らは二人並んで堂々と購入した。先輩にいたっては、店員にピースサインまで決めていたと思う。店員の顔が、少し引きつっていたようにも感じた。
それから、先輩のアパートに連れ込まれて、ディープキスをして、服を脱がされて、シャワーを浴びて、コンドームの箱が空になるまで僕らは一緒だった。
動きやテクニックは全部、先輩がリードしてくれる。僕は彼女から与えられる刺激的な快楽に夢中で、そこにどういう意図があるのかなんて考えなかった。
* * *
「思っていたよりも来るのが早かったな」
ホテルの個室。先輩は窓際の椅子に座り、僕を待っていた。いつもならテーブルの上に先輩が注文しておいたワインやらシャンパンやらが置かれているのだが、今回はそれがない。真面目に話をするつもりだろう。
「このタイミングで呼び出すってことは、あの帰還者関係の話ですよね?」
「あぁ。そうだ」
僕も窓際の椅子に腰かけた。僕と先輩はテーブルを挟んで向かい合う形になる。壁に設置されたオレンジ色の照明が、僕らを淡く照らしていた。
「まず……どこから話そうか……」
「先輩と黒川の関係から話してください。僕の勘ですけど、彼と先輩は知り合いなんでしょう?」
「うん……そうだな」
先輩はゆっくりとした口調で、自分と黒川の関係を話し始めた。
「修哉くんと私は、いわゆる幼馴染の関係だ。家が近所で、幼稚園から高校までずっと一緒だったんだが……」
「高校生のときに、黒川は異世界召喚された?」
「ああ。私と一緒に遊園地で遊んでいたときのことだ。突然彼の足元に魔法陣が現れて……瞬きした間に修哉くんは消えていたよ……」
「一緒に遊園地で遊んでいたっていうことは、それまでかなり仲が良かったのですか?」
「そうだな。私は、修哉くんとお互いに恋愛感情を持っていた。いつの間にかカップルになっていたんだ。大学も同じところへ行こうって話してたのに……あんなことになるなんて……」
先輩は俯く。
「……それから、どうなりました?」
「警察に事情を説明して、周辺のいた客の証言や監視カメラの映像から、彼は異世界召喚被害者として認定された。
周りにいた友人は、私に対して同情的な言葉をかけてくれたが、私の心にはポッカリ大きな穴が空いてしまってね。それまでずっと、辛いことがあったときには彼が心の支えになっていてくれたから……」
「……そういう関係だったんですね」
「そのまま、私は大学に進学し、ゼミに所属した。そのとき……」
「そのとき?」
「お前に出会った」
「僕ですか?」
「私は、お前を見て驚いたよ。お前は修哉くんにすごくそっくりだったから……」
確かに、それは僕も実際に彼を見て思ったことだ。無表情なところや全く変化しない声のトーン、ダルそうな目つきなど、僕と共通するところは多々あった。
「だから、私は……お前を……修哉くんの代わりとして、心の穴を埋めるのに利用し始めた……」
やっぱり。
そういうことだったのか。
「大学のときから、先輩は僕だけをよく食事や性行為に誘ってくれましたけど、あれは単純に僕のことが気に入ったからではなかったんですね?」
「そうだ。修哉くんに似ているお前に、悩みを打ち明け、性行為をすることで、辛いことを忘れて、私の心の穴を埋めてきたんだ……」
「……」
「私が大学卒業後に入界審査官になったのは、心のどこかで修哉くんがここへ戻ってくるんじゃないかと考えていたから。お前をコネ入社させたのは、お前を私の傍に置いて、心の穴を埋める活動を継続させるため……」
「僕を審査官に就職させたのは、単に『僕が審査官に向いているから』というのが理由じゃないんですね……」
僕は数年間、先輩の掌の上で踊らされていたのだ。
先輩は単純に僕のことを好きだったわけではない。思い返すと、彼女は身を重ねている最中にどこか遠くを見つめていたような気がする。僕を見ながら、どこか別の何かを見ていた。それがきっと黒川のことなのだろう。
「昔、先輩は僕の恋人に『逆3Pをしよう』なんて提案してましたけど、あれは僕に女の子が寄らないようして、自分のためだけに利用するためですか?」
「あれは……ただ、お前とそういう関係を続けていたかっただけだ。お前を独占しようとする気はなかったよ」
「……まぁ、そうでしょうね。それだったらロゼットに『僕と結婚しろ』なんて言いませんからね」
ここで僕の頭の中に、一つ疑問が浮かび上がる。
「どうして、僕がロゼットと同居するようになってから、先輩は誘ってこなくなったんです?」
「それは、ロゼットがお前に寄り添う様子を見て……昔の自分と重ねてしまったからだよ。あの子は本気でお前を尊敬してるし、お前に感謝してる。そんなロゼットの様子が、過去に修哉くんへ寄り添っていた自分に見えたから、彼女を傷つけるようなことは止めようって思い始めたんだ……」
「……そういうことですか」
「私とお前のこういう関係も、今日でもう終わりにしようと思う」
先輩は立ち上がり、僕をゆっくりと抱きしめた。
肌が触れ合い、彼女が微かに震えていることが僕に伝わってくる。
「……先輩?」
「私の今のこうした男っぽい喋り方も、お前に自分の弱さを隠すためだったのかもしれないな……」
「僕は、今の喋り方の方が好きですね」
「今まで、お前を振り回してきたことを謝罪したいんだ……」
「……」
「……お前は、どうすれば許してくれる?」
「僕は別に……そこまで怒ってはないですけど。先輩のおかげで楽しい大学生活も送れましたし、コネで就職もできてお金にも困ってないですし、こういう関係も嫌いじゃなかったので……」
「優しいな、お前は……」
「……じゃあ、こうしましょう」
僕は先輩への罰を突きつけた。
「ちゃんと、黒川さんにもこのことを話してください」
「え……」
「先輩はまだ、黒川さんのことが好きなんでしょう?」
「ああ。今でも愛してる……」
「だったら、先輩が一番謝るべきは黒川さんだと思います。お互いに会えない状況にあったとはいえ、彼を裏切って僕に手を出してしまったんですから……」
「……そうだな。そうかもしれん」
「用件はこれで終わりですか?」
「ああ……」
僕は立ち上がって部屋の玄関に向かった。
「じゃあ先輩、僕は帰ります」
「……これまでいろいろとすまなかった……」
「黒川さんに僕からもよろしくと言っておいてください」
「……ありがとう。じゃあな」
「おやすみなさい、先輩」
僕は部屋を出た。
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