20人目 新社員の声の審査

 この仕事をやっていると、ときどき思う。

 異世界とは本当に殺伐とした場所である、と。


 今日は棺桶が二つ、向こうからゲートを通ってこちらに流れてきた。白い布のかけられた、木の枠で作られた日本的な棺桶。警備隊に囲まれながら高機動車で運び込まれてきたそれは、ゲート施設地下の霊安室へ運ばれていった。


「何だ、あれ?」


 僕はその様子を2番ゲートのカウンターからぼんやりと眺めていた。


「先輩、あの棺桶は何ですか?」

「ああ。出界していた日本人旅行者だ。二人組の若い女性だったんだがな、モンスターに襲われたらしい」

「へぇ……」


 詳しい死因は世間に公表されることはなかったが、審査官の耳にはそういう裏の情報も結構入ってくる。

 あの棺桶に入っていた女性たちは、どうやらゴブリンと呼ばれる小人型モンスターに集団で襲われたらしい。うっかり旅行ガイドの近くを離れて写真を撮っていたところ、ゴブリンから矢を食らって連れ去られたと聞いている。それから彼らの巣穴で犯され、さらに尖った棒で無理矢理に秘部を突かれて殺された。


 そんな死に方をしたのであれば、彼女たちの名誉のためにも死因は黙秘した方がいいだろう。

 日本人とは本当にお気楽なものだ。そんな異世界に観光へ出掛けた末に、何人かは死体で帰ってくるのだから。


 こういうときのために、ゲート施設には病院や霊安室もある。

 僕も審査ゲートで何かあったら、今度こそ霊安室に運び込まれるのだろうか。





     * * *


「ただいま」

「お帰りなさい、審査官さん!」


 僕が帰宅すると、いつものようにロゼットが出迎えてくれた。

 今日はこんなことがあった、とか、明日の予定はどうなった、とか、友達同士みたいな他愛のない会話をする。それから風呂に入って、一緒に食事をして、ベッドで横になった。


「……」

「眠れないんですか、審査官さん?」


 暗い部屋の中、パジャマ姿のロゼットが目の前で僕と並ぶように横たわっている。

 彼女を見ていると、何故か言葉では表せない漠然とした不安に囚われた。


 あの殺伐とした世界と隣り合わせの職場で、僕の精神が疲弊しているとでも言うのだろうか。以前の僕なら死体の入った棺桶なんか見ても、平然とその日を過ごせていたのに。

 いつもより死をリアルで身近なものに感じる。

 その夜、何故か僕は生きている実感を求めたいという衝動に激しく駆られた。


「あのさ……抱いていい?」

「え、いいですけど?」


 僕は彼女の背中へ手を回し、体同士を密着させた。

 熱くて、柔らかい。

 パジャマ越しに、心臓の鼓動が伝わってくる。


 その日まで、自分はどこか特別だと思っていた。

 この仕事を辞めずに続けているのは、それに適した才能があるからだ、と。


 でも、それも少し違うような気がしてきた。

 僕は壊れていただけかもしれない。

 これまで自分のことは死人同然のように思っていた。だからあの場所にずっといられたのだ。


 僕は、ロゼットは、いつまでこうやって生きられるのだろう。


「ロゼット?」

「……」


 いつの間にか彼女は僕の胸に顔を埋めながら眠っていた。

 彼女もまた、僕に抱かれて安心したのだろう。

 僕も彼女の温もりを感じながら、眠りの中へ落ちていった。







     * * *


「そりゃあ、アレだよ。お前にも生きる理由ができた、ってことだよ」

「『生きる理由』ですか?」


 仕事帰り、先輩と居酒屋で飲んでいたとき。

 あの夜のことを相談したら、そんな答えが返ってきた。


「昔のお前ってさ、どこかフワフワして死に場所を求めているゾンビみたいなヤツだったよな」

「先輩は僕のこと、そんな風に思ってたんですか?」

「でも今のお前は生命力が少しずつ湧いている気がする。きっとお前はロゼットの中に大事なものを見つけたんだろうな」


 そんな自覚はないが、そういうことなのだろうか。言われてみると、最近は彼女の声を聞いてホッとしている自分がいるような気もしてくる。

 ロゼットはアホで話下手で、手の焼ける子どもみたいな女性だが、どうして自分はこんなにも彼女のいる自宅へ帰りたがっているのだろう。


「ま、そんな生命力溢れるお前に頼みたい仕事があるんだが?」

「この話の流れで仕事の話題に持っていきますか」

「お前にインターンシップの手伝いを頼みたい」

「インターンシップ……ですか?」


 突然の話題変化に、僕は焼き鳥を口へ運ぶ手を止めた。

 やはり仕事の話というのはリラックスしながらは聞けないものだ。今度は自分にどんな負担が課されるのか、それが気になって仕方ない。


「インターンシップ……まぁ職場見学会みたいなもんだけどさ、今度ゲート施設で行われるんだ。大学生とかがたくさん集まって私たちの仕事とかを見に来る」

「そうですか」

「そこでお前に仕事なんだが……」

「……どうせ新人の僕に『彼らへ仕事の説明をしろ』とか言うんでしょう?」

「おお、分かっているじゃないか!」

「僕も就職活動をしてた時期がありますから。企業の会社説明会に何度も行きましたけど、いつも新人が業務内容のことを喋ってましたよ。パンフレットや紹介動画でも『仕事はキツいけど楽しいです』とか矛盾したような、意味の分からないことを言ってましたね」

「な、あれは意味分かんないよな。『キツいです。でも給料のために頑張ってます』って言えばいいのにさ」

「とりあえず、インターン生に業務の説明するのは断っていいですか?」

「うーん、でも他に任せられそうな新人がいないんだよ」

「どうしてです?」

「デュラハン事件の後、お前以外の新人は辞職したよ」

「……そうでしたか。気づきませんでした」

「やっぱりあの経験は恐かったんだろうなぁ。当事者で恐怖を間近で経験したお前が辞めないっていうのも、ある意味恐いけど……」


 最近、他の新人入界審査官が見えないと思ったら、そういうことだったのか。

 僕は普段から職場の仲間とはあまり話さない方だ。気がついたら同期入社の審査官が辞職していた、ということはよくある。


「まぁ、それ以外にも目の前で人がゾンビになったり吸血鬼になったりで、それがトラウマになった子もいたけどさ」

「じゃあ、出界審査官にやらせればいいじゃないですか。僕と一緒に入社した同期さんとか……」

「あの子は部署が違うし、完全に業務内容も違うからダメだ。もうこの仕事を任せられる新人は、もう、お前しかいない」

「先輩がすればいいじゃないですか……」

「こういうことは新人がやる方がいいと思うんだ。大学生も変に距離感をおかず、安心して話を聞けるだろ?」


 もう「これは断れないパターンだ」と悟った僕は、先輩からの頼みを承諾することにした。


「……仕方ないですね。僕がその仕事を引き受けます……」

「それで明日、インターンシップで配る予定のパンフレットに使う写真の撮影会があるんだけどさ、そのときまでに『新社員の声』っていうコーナーで使うコメントを考えて来い、とのことだ」


 先輩は鞄から原稿用紙を取り出し、机の上に置いた。


「それにコメントを書いて来い。撮影会のとき、私が審査してやる」


     * * *


 翌日、撮影に参加するメンバーが会議室に集合した。僕と先輩もそこへ行き、パンフレット製作担当の広報職員と挨拶する。

 そして、僕が席に座ろうとしたとき、声をかけられた。


「まさか、コネ入社君も撮影会に参加するわけ?」


 僕の隣の席には出界審査官の同期さんがいた。

 彼女は僕をライバル扱いする同期入社の女の子である。以前の意見交換会でも会った気がする。彼女は相変わらず僕のことを「コネ入社君」というあだ名で呼ぶ。

 そんな僕は、彼女の本名なんて忘れてしまったので「同期さん」と呼んでいる。


「アンタなんかをパンフレットに載せたら、この施設のイメージダウンよ!」

「……使える新人が僕以外にいないらしいです」

「はぁ!? 入界審査官ってそんなに人材不足なの?」

「出界側は化け物を相手にする苦労を知らないんですよ」


 そんな会話をしていると、僕のもう一方の隣の席へ先輩が腰かけた。


「ああ、先輩。そう言えば昨日の原稿用紙、書いてきましたよ」

「あ、アレのことか。すまん! その話はなかったことにしてくれ!」

「え……」


 先輩は手を合わせて僕に謝罪する。先輩が僕に謝罪するなんて珍しい。

 僕は先輩にその理由を聞いてみた。


「どうしてですか、せっかく考えてきたのに……」

「やっぱり、お前に紹介文作らせてもマイナスのイメージしかつかないような気がしてな……」

「コネ入社君の考えた文章なんて、どうせ碌なもんじゃないわよ」

「じゃあ『新社員の声』のコーナーはどうなるんです? 僕は載るんですか?」

「お前は載る。ただし、写真と名前だけだ。コメントは去年のパンフレットをコピペすることにした」

「そうですか……」

「フン。妥当ね。コネ入社君が書いた文章なんてイメージが下がる一方だわ」


 同期さんは僕を軽蔑するように鼻で笑う。

 僕はおもむろに鞄から原稿用紙を取り出した。


「でも、一応見てくれませんか、先輩? これ、いい出来だと思うんです」

「そうか、そこまで言うなら見てやるよ」


 僕は先輩に原稿用紙を渡した。先輩はそれを3行ほど読んで、僕の顔を見る。


「お前さ、これ、コピペだろ?」

「……どうして分かったんです?」

「お前は絶対こんな良い紹介文を書かない。どうせ、就職情報サイトとかから適当な企業のコメントを拾ってきたんだろ?」

「……そうですね」

「結局コピペじゃないの! 本当にアンタはどこまでもコネ入社ね!」


     * * *


 撮影に使用する機材の準備が整い、撮影会が開始された。


 まず、出界審査官の撮影が行われた。同期さんはセットの中央に立つと、カメラマンに向かって営業スマイルを見せる。爽やかな笑顔だった。いつも、こんな笑顔で出界者に対応しているのだろうか。


 続いて入界審査官の撮影となる。

 先輩が僕より先に撮影した。キリッとした笑顔を作り、先輩のクールさが引き立つ写真が出来上がった。


 そして、僕が撮影される番になる。僕は撮影セットの中央に立った。


「あの、笑顔でお願いします」


 カメラマンに言われた。

 僕はできる限り、笑顔を作ろうと努力する。


「……」

「それ、歯を見せてるだけですね。もっと口角を上げて……」

「……」

「口角が全く上がってませんよ?」

「そんなこと言われましても……」

「コネ入社君! 本当に無表情よね!」


 そんな様子を見ていた同期さんが僕に近づいてきた。


「ほら、こうやるのよ、コネ入社君! 口角上げて、目尻を下げて!」

「ふぇ……」

「ほんと! どこまでも手がかかるんだから!」


 同期さんは僕の顔を指で押さえ、無理矢理僕を笑顔にさせた。同期さんの顔が近い。彼女の荒い息が僕の顔にかかる。なんとなく口臭予防用の薬品の匂いがする。


「でも、汚い笑顔よね……真剣な表情で撮影した方がいいかも」

「そうですね、そうしましょうか」


 カメラマンは同期さんと勝手に同意して、再び撮影の準備に入る。


「では、キリッとした表情でお願いします!」

「……」

「全然キリッとしてませんね。なんか、だらけているように見えます」

「……」

「違いますね。引きつった顔になってますよ?」

「そんなこと言われましても……」

「もうダメね、コネ入社君は……」


     * * *


 結局、僕の笑顔や真剣な表情は撮れないまま撮影会は終了した。

 カメラマンは僕の写真を加工して強制的に笑顔にするらしい。


 コピペといい、写真といい、僕の偽者が作り上げられていくような気がした。

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