19人目 自惚れ邪神の審査・再

 邪神がゲートを通過した日の仕事帰りのことである。

 僕はゲート施設内の居酒屋に来ていた。


「ちょっと先に行って席を取っておいてくれないか?」


 先輩から夕食に誘われたのだ。先輩は遅れて店に来るらしい。僕は席を確保するため、一足先に店に入った。

 今日はいつもより店が空いており、席は簡単に取れた。僕は店員に案内され、二人用の席に腰かける。


 そのとき、


「ああ、何だ、あのときの審査官か」


 声をかけられて振り返ると、今朝審査した邪神がカウンター席にいた。彼はこの店で飲み始めたばかりらしく、酔っているような感じはしない。


「あなたですか。布教活動はどうしたんです?」

「あぁ、思っていたよりもうまくいかなくてな……」


 邪神はテーブルの上のビール瓶を持って、僕の前に移動する。

 今は浮遊ではなく徒歩だ。


「ここ、座っていいか?」

「先輩が来るまでなら構いません」

「そうか……」


 彼は先輩が座る予定の席に腰かけ、持っていたビールを僕のグラスに注いだ。

 よくよく店内を見渡すと、監視員があちこちに座っていた。邪神の言動を観察しているのだろう。


「この世界の人間は、冷たいな……」

「急にどうしたんです?」

「我が教団に勧誘しようと道行く人に声をかけたのだが、ほとんど無視されてしまった……」

「平日の昼間ですから、みんな仕事で忙しいんですよ」

「強引に呼び止めると監視員に怒られるし、やっと反応してくれたと思ったら断られるし」

「この国における宗教の扱いなんてそんなもんです」


 邪神は僕にビール瓶を差し出す。


「ほら、貴様も注げ」

「……はい、どうぞ」

「……貴様、ビールを注ぐのが下手だな。泡の立ちが悪いぞ」

「……まだ慣れていないもので……」


 僕と邪神は静かに晩酌を交わした。

 いつもは苦いとしか思わないビールだが、今は不思議と美味しく感じる。


「体を宙に浮かす奥義や『ダークフレイム』も見せたのだが、あまり反応がなくてな。皆、なぜか我輩に小銭を投げるのだ。その小銭を集めてこのビールを買ったのだが、あれは一体どういう意味なんだ……」

「それ、手品師に勘違いされてますね……」

「こっちを真剣な眼差しで見てくれたのは、小さな子どもたちぐらいだ。我輩が技を披露する度に歓声を上げて驚いていたのは愉快だったなぁ……」


 邪神は遠い昔の思い出を語る老人のように遠くを見つめている。


「この世界では大人になると、そうした驚きは消えてしまうのか?」

「この世界には情報が多すぎるんです。いろいろな情報を見ていくうちに、新たな情報を入手することに慣れてしまうんですよ」

「情報が楽に手に入るというのも寂しいものだな」


 彼は自分のビールをゴクゴクと飲み干した。


「もっとすごい技とかで街を破壊するのかと僕は思ってましたけど、そういうことはしないのですか?」

「この国の住人は『神は強大なもの』だと思いすぎてる。我輩から言わせれば、神なんてちょっと不思議なことを起こせる人間みたいなもんだぞ」

「そうなんですか?」

「この世界で我が教団のライバルとなり得る宗教について勉強したのだが……」


 勉強したのか。勤勉だな、邪神……。


「仏教、キリスト教……我輩から見れば、どの神も我輩と同レベルにしか感じなかったな」

「そうですか……」

「ただ、アレだけは分からんな。キリストが石をパンに変えるのだけは。あれは一体どういう力なんだ……」

「それができるから神なんでしょうね」

「うーむ、我輩も精進しなくては。他の宗教の神に差をつけられてしまう」


 向上心もあるのか。本当に勤勉だな、邪神……。


「この世界での布教は諦める。今夜、異世界に帰って力を磨くつもりだ」

「そうですか……」

「ところで、まだ話したいことがあるぞ」

「なんでしょう?」

「お前の性格についてだ」

「はぁ……」

「入界審査のときから気になっていたが、貴様はやはり表情がなさすぎる。貴様以外の人間はそれなりにだが表情が変化したぞ! 教団の勧誘をすると、笑った顔でごまかしたり、困った顔で断ったりしたのだ」

「そうかもしれませんね」

「審査のとき、貴様の無表情で、我輩のプライドは少々傷ついたぞ」

「少々どころか、ズタズタなまでに傷ついているように見えましたけど……」

「言うな! 笑ったり、驚いたりする表情すらしないのか、貴様は!」

「笑ったり、驚いたり……ですか……」

「貴様! 今、ちょっとここで笑ってみろ!」

「……」

「それ、歯を見せてるだけではないか!」


 昔、ゲート施設で本格的に活動する前のこと。

 新米審査官は富士山麓の研修施設に泊まり、接した人へ良い印象を与えるために表情の訓練を受けた。当時の訓練で、僕だけ笑顔が作れず居残りとなり、講師を泣かせた記憶がある。


「もう7年くらい笑った記憶はありませんね」

「逆に、7年前は何に笑ったんだ……」

「……忘れましたね」

「はぁ……もう手に負えないレベルかもしれんな」


 邪神は席を立った。


「では、我輩は帰る! なんかもう……布教もうまくいかなかったし、貴様を見てて悲しくなってきたし……」

「……ビール、ごちそうさまです」

「うむ……さらばだ」


 邪神は店を出て行った。今は浮遊している状態で。


 邪神……思っていたよりも謙虚なヤツだったな……。


 そこへ先輩が入れ替わるように入店する。


「なんだ、あいつは? 宙に浮いてたぞ?」

「確かに浮いた存在ではありましたね」

「お前、あいつを知ってるのか?」

「さっきまでここでビール飲んでました」

「ふぅん……」

「ところで、先輩」

「どうした?」

「僕の笑った顔って見たことあります?」

「ない」

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