第1章 3-1

 麦藁帽子ごしに照りつける太陽の光が痛いほどだった。


 時刻はまだ朝の九時。しかし、気温は既に三十度を超えているのではないだ

ろうか。


 小さな剪定バサミで、次々とナスの実を切り落としていく。

 程よく雨も降り、陽射しもある今年の夏はどの野菜も元気がよかった。

 キュウリも、トマトも、ピーマンも、トウモロコシも青々とした葉を茂らせて、大ぶりの実をつけて気持ちがいい位だ。


 もちろん、ただ天候が良いせいだけじゃない。

 爺ちゃんはとてもまめな性格だから、丁寧に畑の世話をする。雑草取りに水遣り、無駄な枝落としに適度な追肥。

 殆ど無農薬で育てた野菜は、いつも婆ちゃん自慢の食卓の具材になる。


 特に出荷するために作っているわけではなかったが、俺にとって、この六十坪余りの畑でできた野菜以上のご馳走はなかった。

 高校に行けば、たまには近隣のファーストフード店で食事をする時もある。そんな時は、フライドポテトくらいしか食べる気にはなれなかった。

 舌に残る調味料の味が気持ち悪く、どうしても食事には思えないのだ。


 持ってきた竹かごに取ったナスを並べた。長ナスに米ナス。今日は、天ぷらかもしれないな……。そんなことを考えていた。


 農作業は、決して嫌いじゃなかった。むしろ、好きと言えるかもしれない。もしこの村の空気が外へと広がっていて、何にも気兼ねせずに作物と向かい合うことができるなら。


 それならば、こうやって畑の世話をして生きるのも悪くない。


 でも、なぜだろうか。美しい水に緑、そよぐ風。環境はこれほどに開いているのに、蜘蛛の網に掛かったように重苦しく、動くことができないかのように感じるのは。


 如月さんの俯いた顔が思い浮かんだ。


『楽しい人には、楽しいのよね』――その通りだと思う。

 こんな息苦しさは、感じない人間にはまったく無縁のものだと思う。狭い、

何もない。そんな単純な理由で外へ出て行ける奴らをどれくらい羨ましく思うか……。

 彼女なら、何処かでわかってくれる気がしていた。


「おい、雪。手が止まっとるぞ」

 はっと気が付いてしゃがんだまま上を向くと、半袖の下着に作業用の灰色のズボンを履いた老人が、大きな麦藁帽子の影を落として俺を見下ろしていた。


「あ、悪い。爺ちゃん」

「そろそろ引き上げるか? だいぶ暑なってきたしな」


 眉と髪が灰色になっている他は、鉄のように焼けた黒い肌が逞しい祖父は、腰に手を当てて真っ青な空を見上げた。


「今日は、天ぷらでもするかい?」

「そだな」

 四角い顔に微かな笑みを浮かべると、祖父は頷いた。俺は竹籠を持ち上げると、滲み始めた汗を拭った。


 遠くに見える山の稜線から、道を挟んですぐとなりの小さな林まで。相変わらず泣き続けるセミの声に、『ツクツク…』と声が混じったような気がした。


「お……」

 祖父が小さく呟く。やはり空耳ではなかったみたいだ。


 八月も半ばに入ったんだなぁ。かい間聞こえたツクツクボウシの鳴き声と共に俺は思っていた。

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