第三話 -8

 東に昇った太陽は、まだ赤かった。

 空は紫で、雲は黒い。東の向こうなんて、ようやく白く霞んできた程度だ。

 さっきの戦闘から、まだ一時間も経っていないなんて――移り変わる空を眺めて、ようやく現実感が湧いてくる。

 眼下の市街を東西に切り分ける二本の高架鉄橋は、一台の車も通っていないが、未だ街灯の光で彩られている。周囲の家々には明かりはないのに、まるで海底に沈んだ街のようだった。

「……まだ、寒いな」

 C130の降り立った航空演習場が、高台にあったからだろうか。

 仮設テントから外に出ると、四月も終わりという陽気の割には、身を切るような冷たい風が吹いていた。

 背後では集合した特専師団と獅子堂司令達が、仮設テントの中で打ち合わせ中だ。

 周囲には戦車が居並び、哨戒兵が銃を構え、空には偵察機が飛び交っている。

 物々しいほどの厳戒態勢。

 なんだか居場所がない気がして、俺はこうして高台の端に設けられていた、観光客用の簡素な展望台まで脚を運んだのだった。

 そこで出会ったのが、この光景。

 海底に沈んだ黎明の街。

 あと一年早く生まれていたなら、親父のように、煙草をふかしていたんだろう。手すりに寄りかかって景色を見下ろすことしかできないんじゃ、格好も何もあったもんじゃない。

 そのとき、ザッ、という雑草を踏む足音が聞こえて、俺は何気に振り返る。

 振り返って、思わず呆気に取られた。

 全身を、陽光で紅く染め上げたアリアルドが、そこに佇んでいたからだ。

 朝の光を含んだ銀髪は、舞い上がる風で炎のように踊っている。ぶかぶかの防寒着に袖を通し、プリーツスカートが揺れる姿は、見た目以上に幼く見えて、神秘的だった。

 ――だから、一瞬のフラッシュバックが脳裏を過ぎる。

 高台の公園で、俺を庇う彼女の姿。

 巨大な剣を地に突き立てて、荒い息を吐く彼女の背中が。

 俺は陸に放り出された金魚のように口を開いたが、声は出てこなかった。……何を言おうとしたんだ俺は。

 そうこうしているうちにアリアはすぐ隣まで歩みを続け、俺の真似とばかりに欄干に腕を乗せたので、自然と俺も風景へと視線を戻した。

 俺たちは、そのまましばらく何も話さなかった。

 相変わらず、彼女は何も喋らない。

 いつも一緒の剣も置いてきたのか。まるで人形か何かのように、ただひたすらそこに立ち続け、ぼうっと街を眺めている。

 その眼には何の感情はなく、瞬き以外は身動ぎもしない。

 ただ、己が守るべき、人のいない街を見下ろしている。

 ――己が命を投げ出してでも、守らなくてはならない存在を、ただ一心に見つめていた。

 気が付くと、俺の脚が震えていた。

 自分の弱さにほとほと呆れ返る。なんだ……今更になって、俺は俺の罪に気づいたのか。

 否定できない。

 俺は、彼女に向けて、銃を撃ったんだ。

 あの時、俺はアリアを見ていたんじゃない。彼女を助けるなんて、単なる詭弁だ。そういうやり易い理由を建前にして、俺は俺を後押ししていたんだ。

 本当は、俺は、魔法使いを倒したかった。

 アノゥのときのように、俺一人でもなんとかできると、驕っていたんだ。

「うわ……俺って、もの凄く恥ずかしい人間だ」

 膝を折る。額を冷たい鉄の手すりにこすり付けて、頭を垂れた。

 ……悔しい。

 自分が悪いのに、誰が悪いわけでもないのに、無性に悔しくなる。

 だから、断罪してくれていい。

 アリアには、その権利がある。

 それなのに――俺の俯く頭の上に、雪のような、柔らかな感触が覆い被さった。

 頭を上げる。

 アリアは、俺の頭に手を置いている。

 優しく慈しむように眼を細め、己の腕を上下に動かす。

 まるで、泣き止まぬ子供をあやすように。

 やがて空が水色に明けるまで、何度も何度も、彼女は俺の頭をなで続けていた。

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