第三話 -9

 俺の親父も、自衛隊員だったらしい。

 らしい、というのは、物心付いたときから一度もその人に逢ったことがなかったからで、彼が作戦行動中に死亡するまで、ついぞ俺の眼で彼の姿を見ることは適わなかった。

 死した作戦の名は、福岡解放作戦。――俗に言う『天津鷹あまつだか戦争』である。

 天津鷹とは、五年前に日本へ初めて侵略を行った魔法使いの呼称だ。

 死者五三〇人、重軽傷者三千人。

 北九州全土を焼き尽くし、一時は福岡を占領すらしていた、死の象徴。

 五年経った今でも、旧福岡市を中心とする半径百キロ圏内は、人の住めない大地と化している。

 親父は、天津鷹の業火によって焼き尽くされたと言う話だった。

 ――魔法使いは、親父の仇だと言えるかもしれない。

 遺体は残らなかったので、自宅に帰ってきたのは遺品だけ。なんでも写真嫌いだったらしく、適当な遺影が見付からなくて、中学の卒業写真を使ってしまったと、母さんは葬式の席で笑っていたっけ。破天荒な母親だったから、親戚中から不謹慎だと睨まれたものだ。

 そんなこんながあって、母親も長距離トラックの運転手なんて不定期な仕事をしていたせいか――まぁ、なんつーか、俺もいわゆる不良みたいなことを中学当時からやってしまっていたのであった。

 今思えば、どうしてそんな風になってしまったのか不思議でならない。

 気に入らない奴は片っ端から殴ったし、気に食わないことには従わなかった。

 腑抜けた学校と親のいない家……俺を嗜める大人が近くにいなかったことが、その最たる理由ではないかと今では思える。

 だが、そんな燻っていた俺を、徹底的に叩きのめす出来事があった。


 ……今でも良く覚えている。

 中三の夏。

 親父の葬式から一年が過ぎた夕方のことだ。

 突っかかってきた頭の悪そうな不良どもと派手に一戦を交え、警察にとっ捕まって、補導室でパイプ椅子に座らされているところを、母さんが迎えに来たのだった。

 俺が相手を一方的に痛めつけた、と警官から聴いたらしく、母さんは俺に、なぜそんなことをしたのかと詰問した。

「天国の父さんが見たら悲しむぞ」とかなんとか、今後も使われそうな言い回しで。面倒くさいことこの上ない。

 俺はさっさと済ませようと適当に、

「親父も、馬鹿な死に方をしたよな。家に一度も帰らずに訓練して、努力して、その結果が野垂れ死になんて……面白くもなんともねえよ。恥ずかしいったらありゃしない」

 そう軽く答えて――俺は、思いっきり母さんに殴り飛ばされて昏倒した。

 並みの男よりも強い鉄拳。

 俺が驚いていると、母さんは、俺の肩を掴んで大声で言った。

「あんたに、あんたの父親を蔑む資格があるのか」と。

 俺は、そのとき始めて、母が泣いているところを見た。

「あんたの父親は、顔も名前もわからない誰かのために戦って死んだ。何一つ自分に残さず、ただ純粋に、誰かを守って死んだんだ。あんたは何を守っている? 誰を守れる?」

 葬式のときでも笑っていた母親は、しかし、このときになって初めて、

「そんな父親が恥ずかしいなんて、命全てに対する冒涜だ」

 母が、父の死を、世界で一番悲しんでいるのだと知った。


 数日後、戦地で行われた一周忌慰霊式に参列したとき、俺は始めて自衛隊というものを見た。

 地平線の彼方まで広がる、何もない焼け焦げた大地と、青々と広がる大空に。

 何千という数の戦車、装甲車、航空機が居並ぶ光景を。

 総理大臣が読み上げる戦没者の中に、父の名を聴いたとき、俺ははじめて親父の功績を思い知らされた。

 ――同時に、俺がどれだけ矮小で取るに足らない人間なのかも。

 こんな親父の息子が俺なんて、恥ずかしいのは――他の誰でもない、俺自身だ。

 そのとき、決意した。

 俺が親父の後を継ぐと。

 勲章も何もない、下士官止まりの父だったけれど、命を賭して俺たちの国を守った英雄だ。

 英雄に見合う努力を怠ってはならない。

 親父が守ったこの地を、大切な人々がいるこの国を、親父に代わって守らなくてはならない。

 なぜなら、俺は英雄の息子だから――。


 ◇  ◇


「……そうだ。そうだったよな、親父」

 赤い黎明の中。そんな昔のことを思い出して、俺はガラにもなく自嘲した。

 隣では、くりくりと大きな眼をしたアリアルドが、俺を見上げている。

 誰かのために戦いたい。「英雄」なんて一端の兵卒が名乗れるほどお気楽なものではないが、それでも俺の心の中では、俺の人生を変えたあの人こそが英雄だった。

 英雄の後を継ぐ。

 その志は、今でも俺を突き動かす原動力になっている。

 強いとか弱いとか、もうそんなことは関係ない。勝つも負けるも、本当はないんだ。

 ただ、誰かを守れるのなら。

 たとえ顔も名前も知らない相手でも、俺は自らの命よりも先に、その誰かを助けるだろう。

「ごめんな、アリア……本当に、ごめん」

 それは、言葉だけでは償い切れない言葉。

 それでもアリアは、こくん、と。俺にしかわからないような小さな頷きで、答えてくれた。

「……やっぱ、へんなやつだ」

 苦笑しつつ、俺は欄干に体重を乗せる。

 今度こそ、誰かのために戦おうと、俺は迫り来る朝日に誓った。

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