第三話 -6

 なんとか魔法使いの猛攻を避け続けていたアリアルドにも、限界が訪れた。

 暴風のように繰り出された重い拳を剣で受け止め、その威力のままにビルの側壁に叩きつけられてしまう。

 がはっ、という肺の押し潰される音。

 痛みに目を瞑ったのはほんの一瞬だったが、次に目を開けたときには彼女の首元へと魔法使いの野太い腕が伸びており、アリアの首は抵抗する暇も与えられず、魔法使いの掌によってビルの壁に縫い付けられてしまっていた。

『アリアっ!』

 無線機の向こうで美咲が叫ぶ。

 アリアは目を見開いて魔法使いの腕にすがりつくが、どれだけ渾身の力を込めようとも、その掌はピクリとも動かない。――当然だ。相手は戦艦を素手で撃ち抜くようなバケモノなのだ。

 その掌にもう少し力が込められれば、それで最期。

 アリアの顔色からみるみる血の気が引いていくのが、司令部のモニター越しにも確認できた。

『副隊、やべーよマジで!』

 美咲が声を荒げるが、超長距離砲の狙撃手である彼女には現状を打開する術はない。そこから撃っても、アリアに当たるだけだ。接近戦に割り込める方法は接近戦だけなのである。

 もっとも、司令部としてもこのような状況は想定外の事態だった。

 陸戦自の対魔法使い戦闘の基本は、遠距離から砲撃にて牽制し、近距離にてアリアルドが征伐すること。接近戦において無類の強さを誇るアリアが、接近戦で手も足も出ないなど、端から想定していないのである。

「対魔法使い戦闘における近接戦マニュアルなんて、IFWOのどこを探してもないってのに……」

 頭を壁にめり込ませ、必死で魔法使いの腕を掻き毟るアリアの姿に、獅子堂聖は苦虫を噛み潰すような表情で爪を噛んだ。

 ……ここで、アリアルドを失うわけにはいかない。

 彼女は日本の――いや、世界でも類を見ない特別な魔導士なのだ。

 彼女を失うのは世界の損失。世界のためにも、そして獅子堂聖自身のためにも……アリアは、なんとしても助けねばならない。

 では、どうする? どうすればアリアを……?

 聖の思考に焦りの染みが広がり始めた――そのとき。

 戸代恋子の高い声が、ヘッドホンを震わせた。



「恵くん? ちょっと、何やってるんですか!」

 恋子二曹の声が耳に残ったけど、俺はヘリコプタから手を離すのを止めなかった。

 三メートル程度の高さから地面へと着地する。着地の瞬間、足が悲鳴を上げたが、今更構っていられるか。

 ホバリングの風圧をその身に受けつつ立ち上がると、すぐさまネクロノミコンの銃口を敵の方角に向けた。

 眼下に広がる奈落は深い。ここは街の高台に設けられた公園だ。周囲には寂れた噴水と手狭なベンチしかなく、奈落とこっちを隔てる崖には、単管の手すりが渡されているだけの簡素さだ。

 ゆえに、狙撃には絶好のポイント。

 三百メートルほど視線の先には、アリアに手をかける魔法使いの姿がはっきりと見えている。俺は手すりの上にネクロノミコンの銃身を乗せ、光学照準機テレスコピックサイトの照準を覗き込んだ。

『吉良瀬川ッ! 勝手に動くな、私は命令してないぞ!』

 獅子堂司令の怒号が響いて、俺は一瞬、銃を支える腕が下がりそうになる……が、ぎゅっと左手に力を込め直し、トリガーを引き絞った。

 その瞬間、独特の機動音。

 大気が圧縮されていく。

 ネクロノミコンに燐光が集まり、碧のベルトが回転を始めた。

『吉良瀬川一等陸士ッ!』

 再度の鋭い声。しかし、俺は無視して意識を集中させ続けた。

 ……すいません獅子堂副隊、返事もしないで。

 だが、命令がなくたって、やってやらなきゃならない時がある。

 今にも殺されそうなあいつを見過ごせるほど、俺は冷血漢じゃないんだ。

 ……大丈夫。俺は一度、魔法使いを倒している。射撃訓練だって手を抜いたことはない。今までどれだけ努力してきたと思っているんだ。

 その結果が、このネクロノミコンという魔法使いを討てる力だろうが。

 この手の中に、あいつを討てる力があるっていうのに――

 俺が撃たなきゃ、一体誰が討てるって云うんだよ!

「その手を放しやがれ、この野郎ォッ!」

 トリガーから指を外したその瞬間、光輪は銃口へ一気に収束し――撃ち出された。



 凄まじい轟音と反動が身体を襲う。

 脚が地面を離れたと思ったら、後頭部から墜落した。発射の反動でひっくり返ったのか。なんて威力だ。これを毎回押さえ込んでいる美咲一尉は、ひょっとしなくてもバケモンなんじゃねえか?

 地べたに這い蹲りながらも、俺はなんとか身体を起き上がらせる。

 発砲の衝撃によって舞い上がった砂埃はまだ漂ってはいるが、視界が効かないほどではない。魔法使いの野郎、これを食らえばさすがに――、


 突然、眼の前に、今しがた撃ったはずの魔法使いが現れた。


「え」

 俺の口から飛び出した驚嘆の声は、その一言だけ。

 魔法使いは拳を大きく振りかぶる。

 空を一瞬にして飛び越えた男が俺に向けたものは、凶器の拳。

 馬鹿な、それじゃ俺が撃ったネクロの弾丸は……。

 俺の顔面めがけて振り下ろされる拳の速度に、俺は、瞬きをする時間も与えられない――

「アアアァッ!」

 甲高い声が聴こえたと思うと、次の瞬間、俺の身体はあらぬ方向へ弾き飛ばされた。

 五、六メートルは吹っ飛ばされただろうか。地面を転がり、砂利を擦る鋭い痛みが背中を走る。

 だが、俺の頭は豪腕に打ち砕かれてはいない。

 その代わり、俺の身体の上には、折り重なるようにしてアリアルドの柔らかな肢体が絡まっていた。

「アリアル……」

 呻くように声を上げたが、彼女に届いたかどうか。

 隊員服とスカートを泥だらけにして、彼女はすでに立ち上がっていた。

 翠光の途切れがちな剣を支えとして、彼女は俺に背中を向けて。

 荒い息を吐くその眼光は、鋭く魔法使いを貫きながら。

 彼女を助けようとした俺は、彼女に助けられていた。

『聖、アリアルドのバイタルが低下している。これ以上は無理だ。退避させろ』

 耳のレシーバに妹尾主任の声。だが、奴との距離は六メートル。時速百二十キロは秒速にして三十三メートルだ。

 奴が俺たちを嬲り殺すのに〇・二秒とかからない。

 せっかくアリアが俺を助けに飛び込んでくれたってのに、危機的状況はまったくもって変わっていないなんて――

 アリアの背中越しに、そんな絶望的な想いをめぐらせていた俺だったが、

 ――だが、そんな絶望の淵に飛び込んでくる物体があった。

 砲弾が、魔法使いを直撃する。

 それは戦車のものと思われる徹甲弾。

 完全なる奇襲にもかかわらず、魔法使いは恐るべき反応速度でそれに対応。飛来する砲弾をその豪腕を振るって叩き落し、それを三度繰り返す。

 だが、三発目だけは趣向が違った。魔法使いの拳にぶち当たって破裂した弾丸が撒き散らしたのは、白灰色の煙幕だ。

 石灰とアルミの粉で構成された煙幕が瞬く間に公園中を白く覆い尽くしたかと思うと、今度は砲弾とは比べ物にならないほどの巨大な影が後方より飛来し、俺たちと魔法使いの間を遮るように轟音を響かせて着地した。

 空から大地に降り立ったのは――戦車だった。

 四つの脚を持つ機動戦車。

 頭上に砲台を携えた戦車本体から突き出すそれは、太く短い脚が地面に突き出し、それらの一つ一つに大型の履帯が内蔵されている。ダックスフントやコーギーを髣髴とさせるその姿形は、お世辞にも機敏そうとは思えない。

 その自重は公園の地面を抉り返し、着地の衝撃で高台の支えとなる擁壁にひびを入れたというのに。

 ロマンスグレーに輝く装甲に、傷の一つも存在せず。

 前傾姿勢で屹立していたその体躯は、想像を絶する速さで魔法使いに突撃した。

「ッ?」

 突如として現れた鋼鉄の戦車に目を見開いた魔法使いだったが、それも一瞬。

 突撃してくる戦車を向かい打つべく魔法使いは拳を突き出すが、それよりも早く反応した戦車は、四つの架脚すべてのアブソーバを開放して空へと飛び上がった。――ってこの戦車、ジャンプしやがるのかよ!

 魔法使いの背後に着地するのと同時に、砲台が百八十度回転して、後頭部が前頭部に変わる。次いで、今度は左右の機銃の一斉正射。魔法使いは横に飛び退き、機銃もそれに合せて回転した。


『今のうちだ、さかきッ!』


 戦車のスピーカーが叫ぶ。否、それを操る操縦士か。聞き覚えのある声だ。

 気づくと、もう一台の同型の戦車が砂利を巻き上げながら滑走して近づき、本体上部のコックピットを開放した。

「二人とも、こちらに乗り込みなさい!」

 コックピットから頭を出した、フルフェイス・ヘルメットの隊員が叫ぶ。

 俺はアリアの手を引っ張って、四の五の考える前に走り出した。

 戦車に駆け寄り、その架脚に自身の脚をかけた瞬間、身を乗り出した隊員に腕を引っ張られて、アリアともども狭い戦車の中へ引きずり込まれた。

「バカ! どこ触ってんのよ!」

 唐突に振り上げられた膝蹴りが、俺の顔面を強打した。痛ぇよこんな緊急時に俺の手がどこに当たったかなんて知るか、と叫びたくなったが、えっと……今の声は、女?

「狭山隊長、榊機が二名を確保! 退避します!」

 いつの間にか操縦席に戻った隊員が、大声でそう叫びながら、足元のペダルを踏み潰した。途端に四つの履帯が高速で逆回転し、凄まじい勢いで後ろ向きに走り出す。

『よし、狭山隊後退! 他の隊は榊の機体を最優先で守れ。ポイント、3943』

『了解、ポイント3943! 平泉ひらいずみ隊前へ出ろ、弐七フタナナ式戦車の実力を見せてやれ!』

 狭い外部モニタに映る、幾つもの地を這う多脚戦車。

 皆が前進するのと入れ替わるように、俺たちを乗せた弐七式戦車は後退する。履帯が公園の敷石も園庭木もなぎ倒しながら一目散に走るものだから、戦車の中は異常なほどの揺れだ。

 俺は自分の体勢がどうなってんだか判らないまま、無意識のうちにアリアの頭をぎゅっと抱きしめ続けていた。

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