第三話 -3

『――全部隊、配置完了』

『十キロ圏内の住民避難率、九六・一パーセント』

『陸治自による誘導、問題なし』

『空領自二班の哨戒継続中。空戦自四四隊によるバックアップも準備OKとのことです』

『八十三号目標、二戸市上空を通過。作戦開始地点まで、あと五分二十秒』



 岩手県八幡平市北方に広がる七時雨山ななしぐれやまは、もうすぐ夜明けを迎えるところだった。

 標高一〇六〇メートルの山肌は、高山植物に彩られ、非常になだらか。南側は大樹が少ないため見通しも良く、足の弱い壱六イチロク式戦車と自走久砲を配置するには絶好のポジションである。

 即興で設けられた無数の塹壕には、一般隊員約九百人。戦車隊は二百人、砲撃手百五十人、空撃戦闘員百名。その他通信員、斥候員、設営、施設、工作など、後衛隊員は二千名以上。

 空はまだ薄暗いが、見えないほどではない。東からようやく差し込んできた太陽の光に、裾野に展開する砲撃群がはっきりと浮かび上がっていた。

「もうすぐ、始まる……」

 俺は唾を飲み込んだ。

 声に出す必要などないのに、思わず声を出さずにはいられない。

 上空二千メートルの地点に浮かぶヘリコプター。C130から離れて再配置された俺とアリアルド一尉は、特専の工作班が駆るヘリコプターの後部座席で身体を丸めながら、薄く冷たい空気に支配された世界の中を飛翔していた。

 その窓から望む地上の眺望は、まさしく嵐の前の静けさだ。

 ……正直言って、足の震えが収まらない。

 いくら唾を飲んでも、口の中がカラカラになっちまう。

 まだ敵の影すら見えていないってのに……我ながら、緊張しすぎだぜ。

 小隊のみんなと離れ、自分のポジションについたことで、不安になっているのだろうか。

 俺はゆっくりと横を向き、唯一共にいることを許されたアリアルドを盗み見た。

 それはきっと、いつもはあんなに子供っぽい魔導士が、今は立派に職務を果たそうとする戦士の眼に変わっていることを確認して、自分を奮い立たせようとした行為だったのだが――。


 アリアルドは、震えていた。


「え……?」

 床に直接座り込み、長大な両手剣を両腕で抱きしめたまま、震えている。

 その行為は、まるで剣をぬいぐるみか何かに見立てて、これから襲い来るであろう戦闘と死の恐怖に抗おうとしているかのようだ。

 眼を虚ろに細め、俯いたまま震える姿が、あまりにも幼い少女を髣髴とさせたものだから。

「大丈夫……ですか、アリアルド一尉」

 俺は、思わず彼女に手を差し伸べていた。

 アリアルドは小動物のような目をこちらに一瞬向け、差し出された俺の右手をしっかりと握ったかと思うと、そのままぐいっと自分の抱く胸の内へ滑り込ませてしまう。

 俺は驚いて、手を引っこ抜こうと力を込め……ようと思ったけど。

 ――女の手って、なんでこんなにも冷たいんだろうな。

 その冷たさと、弱々しい彼女の鼓動に、

「……大丈夫っすよ、簡単に勝てますって」

 彼女の柔らかな手に導かれるまま、俺は滑らかな剣の峰にそっと掌を置いた。


『――諸君、一分前だ。準備せよ』


 耳に取り付けたヘッドホン・レシーバから、獅子堂司令の声が響いてくる。

 俺は空いている片手を腰に当て、特製のホルスターに収まったネクロノミコンの感触を確かめた。

『いいか。貴様らの弾薬の一発一発は、日本国民一億人の血税で賄われている。我々は国民を守る盾を、国民から預けられた。それを忘れるな。仲間のために戦え、国民のために死ね』

 お決まりの台詞。

 モニタを見守る視線にも力が入る。

 急遽、レシーバに回線が割り込んだ。

『――こちら斥候班。第八十三号目標、目視確認!』

 その報告を聞いたのち、

 一拍、獅子堂司令は間を置いて――、


『攻撃――開始ッ!』


 空を劈く大爆音が連続して響いて、七時雨山の上空は赤い炎で包まれた。

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