第三話 -2

 北海道稚内市から北へ三七〇キロ地点の海上、いわゆるEEZライン――。

 海上戦略自衛隊大湊地方総監部所属護衛艦DD『おおぎり』以下六隻が、静かな波間に揺られていた。

 しばらくして、夜闇の中に、一条の光が見えてくる。

 それは、遠火の煌きと思われるほどの頼りない光。いくら近づいても大きくならない。だが、おおぎりの艦橋で作動を続ける動体物ソナーは、確実に近づいてくる高速物体を捉えていた。

 六隻に動きがある。

 レーダーの回転数と共に強まるサイレンの音。

 おおぎりの前方甲板に設置された巨大なスピーカが、大音声を発した。

『こちらは日本国所属、海上戦略自衛隊です。あなたは今、日本国領海に侵入しようとしています。ただちに停止し、身分を明らかにするか、当艦への着艦を求めます。繰り返します――』

 おおぎりが日本語のアナウンスを、暗い空へ向かって放送する。

 続いて他の艦隊も、英語、スペイン語、中国語、アラビア語、ロシア語と続けざまに同じ内容を投げかけて、それを三度繰り返した。IFWOの規定する国際協定『戦闘圏域間戦略協定』に基づく勧告だ。

 しかし、ソナーに映る目標に反応はない。真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

『停止、もしくは投降しない限り、こちらには攻撃する用意があります。繰り返します――』

 語り続けても、次第に近づく赤の光点に、六つの艦は主砲の砲身を持ち上げた。

 そうして、三時二十九分。

 空を往く空想上の猛威へ向かって――。

『――観測攻撃、開始ッ!』

 艦隊の全砲門が、火を吹いた。


  ◇  ◇


「おおぎり以下大湊迎撃艦隊、接敵。観測攻撃を開始しました」

「着弾確認。状態情報更新」

警戒管制観測機N・AWACSからのデータ来ました。解析に回します」

 情報収集担当である航空戦略自衛隊から、八十三号目標に関する観測データが次々に転送されてくる。

 海から飛来する魔法使いの能力を測るため、言語による発話勧告と威圧攻撃を行うのは海上戦略自衛隊の役目であり、その攻撃によるレスポンスを記録するのは、上空三千メートルを飛翔する観測機を操る航空戦略自衛隊の役目だ。

 雲の切れ目から見下ろして撮影された現場の映像は、リアルタイムでC130のモニターに映し出された。

「うっわ……すっげ……」

 艦砲射撃は百万の兵に勝る、と揶揄されるが、それが誇張でもなんでもないのが判る。

 その威力は、こんな上空から撮っているというのに、海が燃え上がるのが見て取れるほどだった。

「目標は?」

 副隊が、静かにレシーバへ問いかける。視線はモニタに釘付けたままだ。

 モニタの中の映像は、途方もない範囲が爆炎と粉塵で埋め尽くされており、その中から魔法使いの影を見つけることは不可能だろう。

 ……いや、正直なところ、これほどまでの無慈悲とも言える攻撃を受けて、如何な魔法使いといえども肉体の形が残っているとは思えないのだが――。

「――反応あります!」

 司令部の女性COがそう叫んだときだった。

 モニタの中、粉塵の中で何かが一瞬閃いたかと思うと。

 次の瞬間には、護衛艦おおぎりの艦体が「く」の字に曲がって、――爆散した。

『正面より被弾。おおぎり大破! 轟沈!』

 観測班の声がレシーバ越しに響く。

 あまりの速度で良く判らなかったが、それは、投擲された槍のような光の筋だった。

 艦橋前面より突き刺さったその一撃は、ありとあらゆる艦内設備を貫通して後方へ抜けたらしかった。穿たれた穴によりバランスを欠いた護衛艦は、その身を二つに折り、爆発を繰り返しながら水面の底へと沈み往く。全長百七十メートルの装甲護衛艦がひとたまりもないなんて――!

『目標、止まりません! 迎撃――』

 COが状況を読み上げる時間すらない。

 おおぎりを貫いた光の槍は、その矛先を次なる獲物へと定めて、吶喊を開始した。

『護衛艦あさぎ、かたばみ、たいせい……同じく被弾、撃沈!』

 後続の護衛艦が、次々と貫かれていく。まるで獲物を狩ることを楽しむ狩人のようだ。

 副隊はその光景を見届けた後、はっきりとした口調でマイクに話しかけた。

「観測攻撃終了を海戦自司令部へ打診。貴艦の尽力に感謝すると、言伝なさい」

『了解。アカンパニスタ艦隊の撤退を打診します』

『こちら海戦自司令部。観測戦略移管します。ワントップ・サー・ユーハブ』

「ウィーハブ・ワントップ。……鏑木かぶらぎ二曹、目標の姿は捉えられた?」

 副隊はすぐ近くのモニタに張り付いていた女性隊員に声をかける。彼女は短く返事をすると、正面のモニタに魔法使いの拡大画像を映し出した。リアルタイム映像では光の槍にしか見えなかった人の影も、現代の映像解析技術を用いれば静止画像化は容易いのだろう。

 そこに映っていたのは――赤い爆発の炎に照らされて、空に浮かぶ人の影。

 おそらく二十から三十代に見える、筋骨隆々の浅黒い体躯をした男の姿だった。

「これが……八十三号目標の姿ね」

「はい。形態は人型。素体は炭素。アクセプトによる分類は、FTと思われます」

「フィジカルタイプ――肉体強化種か」

 副隊は親指の爪を軽く噛む。そのまま続けて二曹に訊いた。

「鏑木二曹、ヤツが護衛艦を撃ち貫いた攻撃手段は何だ?」

「コブシです」

「コブシ?」

 思いがけない言葉に、訊き直したのは俺の声だ。二曹は頷いて、

「両手を握り締め、高速飛行ののちに身体ごと艦体に突入。その慣性力によって護衛艦を貫通したものと考えられます」

「魔法じゃなくて、素手で護衛艦を引き裂いたって言うのかよ……!」

 ぎょっとして唸ってしまう。それに答えたのは美咲一尉だった。

「いや、魔法も使ってるだろ。肉体強化の魔法をな。……魔法使いつったって、全部が全部、ビームぶっ放す奴らじゃねえんだよ」

 一尉の言葉に唖然とする。

 眼を白黒させる俺の前で、鏑木COからの報告は続いた。

「なお、八十三号目標に魔法障壁は確認できず。立体魔法陣を伴う箇所は、両腕周辺に限られるようです」

『魔法障壁を防衛力ではなく、攻撃力に利用するタイプだな。二〇四三年に一例ある』

 聞き覚えのある声が割り込んでくる。モニタの映像が切り替わると、妹尾主任の顔が現れた。

「遅いぞ妹尾。アノゥの準備はできたの?」

『ああ、今カメラの前に連れてくる』

 頷いた妹尾主任の映像が一度途切れ、代わりに現れたのは、あの研究所に捕らわれているはずの魔法使い――アノゥの顔だ。俺は少なからず眼を見開いた。

「アノゥ? 誰?」

 一尉と恋子さんが、俺の隣できょとんと顔を呆けさせている。この二人はまだ面通しをしたことがなかったのか。

 ……しかし、彼女を知る俺であっても、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

 作戦行動中の部隊回線にアノゥを登場させるなんて、獅子堂副隊長は一体何を考えているってんだ?

『なんだよぉ……まだ三時じゃん。眠いよう……』

 モニタに映ったアノゥは、眼を薄ぼんやりと開けた憮然顔だ。まぁ、真夜中に叩き起こされていればこういう景気の悪い顔になってしかるべきだろう。

 副隊は厳しい表情のまま、モニタの別枠に表示させた八十三号目標の静止画をアノゥに見せ付けた。

「真夜中に悪いわね。……アノゥ、この映像を見なさい。この男について、知っていることを教えて?」

 ……なるほど、そういうことか。

 俺はようやく、副隊の意図するところを見抜く。

 魔法使いのことは、魔法使いに訊くのが一番手っ取り早い。世界で初めて魔法使いを捕獲したメリットを十二分に生かすメソッドだ。これで敵の弱点でも彼女の口から語られれば、まさに対魔法使い戦争における革命だろう。

 そんな期待を胸にアノゥの言葉を待つ副隊。

 モニタを覗き込んだアノゥは、両手に魔法の光を纏いながら空に浮かぶ男性の映像をじっと見つめていたかと思うと、……やがて、首を斜め三十度に傾けて、

「……誰?」

 と、答えた。

「だ、誰ってことはないでしょう。貴女の仲間のはずでしょ?」

 焦りの色をにじませながら副隊が言うが、アノゥはますます眉間の皺を深くして、

「なかまぁ? このニイチャンが?」

「よく思い出しなさい。こいつに関して、貴女が知っていることなら何でもいいの。名前、年齢、出身、能力……おぼろげな記憶でも構わないから」

 仕方なく再びアノゥは静止画に向き直るが、すぐさま思考は放棄されて、

「ん~、やっぱ、見たことないってこんな人。少なくともアノゥの住んでた国にはいない人種だと思う。あんなデザインの服、アノゥの街じゃ絶対に売ってないし。第一肌の色だって違うじゃん」

「でも、同じ魔法使いだろう?」

「だーかーらーぁ! なんなんだよ魔法使いって! アノゥはそんな名前じゃないッつの!」

 通信が打ち切られた。

 副隊は苦い顔をする。その心情は、きっと俺も同じだった。

 魔法使いが、魔法使いのことを知らないなんて。

 百歩譲って八十二号目標アノゥと八十三号目標が他人同士だったとしても、一騎当千の能力である『魔法』について、アノゥが気にも留めないなんて、そんなことがあるのだろうか。

 世界に襲い掛かった魔法使いの数は、これで八十三体目なんだ。

 八十三回も偶然が重なるなんてコトは絶対にない。そこには何らかの意思や法則があると考えるほうが普通だろう。共通の目的もなく、この世界に襲い掛かっているとしたら――それでは自然災害と同じじゃないか。

 だが、彼らはヒトの姿を持っている。

 アノゥのように意思の疎通すらできる。

 だというのに――魔法使いは、魔法のことなんて知らない、という。

 魔法使いってのは――一体なんなんだ?

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