第二話 -10(period)
午後三時。
遅い朝食を終えた美咲一尉と恋子二曹は、ぶらぶらと食後の散歩がてら、のんびり運動場の光景に眼を細めた。
鉄塔を中心に描かれたトラックを、全速力で走り回る自衛隊員達の姿が見える。駐屯地では日常茶飯事の光景だ。さして面白くもない。
美咲一尉はあくびをかみ殺しながら呟いた。
「若者どもは元気だねぇ。狭い日本、そんなに急いでどこへ行くやら」
「……マコちゃん、それ死語。オッサン臭いよ。それに、私たちより年上の人も大勢いるし」
「いーんだよ。ほら、あそこで突っ走ってるガキを見てみろ」
美咲一尉が顎をしゃくってみせる。十数名で走る集団を追い抜いて、それでもなお腕を振り上げ、がむしゃらに足を前に出す一人の隊員の姿を眼で追いながら、美咲一尉は口端を吊り上げて嘲笑した。
「本気すぎんだろアイツ。バカみたいに猛ダッシュしやがって、暑苦しいったらありゃしねえ。もしウチの小隊に来たら、吉良瀬バカと並んで雑用係決定だな」
「ホントだねえ。っていうか、あれ、ケイくんだけど」
「ああ、じゃあ、納得――って、はああァ?」
美咲一尉の二度見は、それはもう見事なものだった。
◇ ◇
美咲一尉と恋子さんの呼ぶ声に気づいたのは、トラックを五周ほど回ったところだった。
「あれ……俺に、何か用事ですか?」
減速させながら近づいていく。速度を落とすと、とたんに全身から熱い汗が噴き出した。全速力なんて久しぶりだったから、新陳代謝のコントロールが巧くいっていないようだ。
「お、おまえ……何やってんの?」
訝しげな顔でそう言う美咲一尉。俺は額の汗をシャツの袖で拭いながら、溜まった息を吐き出した。
「走ってます」
「いや、見ればわかるし。そうじゃなくて、なんで特専の連中と一緒に走ってるんだって訊いてんの」
「美咲一尉、言いましたよね。何をやってもいいのが魔導小隊員の特権だって」
「……まあ」
口をへの字に結ぶ一尉。俺は顔を上げ、目一杯に息を吸い込みながら、
「なら、俺は走ります。身体を鍛えさせてもらいます。いざ戦場に出て、身体が動かなかったら誰も守れませんから」
「なんだよ……もしかして、アタシへのあてつけか?」
一尉が顔を引きつらせながら苦笑する。皮肉には皮肉で返すのがオレ流だが、このときばかりは素直な言葉が口に出た。
「俺が自衛官になった一番の理由は、誰かを助けることなんで」
「誰か? 誰かって?」
恋子さんが首を傾けたので、俺はにっと笑って答えた。
「俺自身も含めた、俺の眼に映る、全ての人たちですよ」
◇ ◇
再び走り込みに戻っていった吉良瀬川恵一郎の背中を、真琴と恋子は唖然として見送っていた。
「……あいつ、あんな熱血キャラだったっけ?」
「うーん、キレちゃうと見境なくなるタイプですかねぇ」
「いいんじゃない? 生活態度の悪いおまえらより、あいつの方がずっと健全だろ」
「うお、副隊! いつの間に?」
振り返った真琴が思わず飛び退く。
真琴の背後から心臓に悪い声を出した獅子堂聖は、運動場の中心で悠然と部下達を見守っている狭山二佐と、懸命に走り続ける恵一郎を交互に見比べ、含み笑いを洩らしながら呟いた。
「単純バカが、鍛錬バカの言葉を真に受けたか。随分と影響されやすいことで。……でも、そういう単純なヤツのほうが、もしかしたら、あんたの善き理解者になってくれるのかもね。――ねぇ、アリア?」
え、とサボり魔二人が声にならない声を出す。
ひょこん、と聖の陰から顔を出したのは、ブレザー姿の陸戦魔導士だ。
夢見るような茫洋とした双眸が食い入るように見つめるその先は、自衛隊員たちの園で走り回る、吉良瀬川恵一郎の姿だった。
「アリア、面白そうだったら参加しても良いぞ。妹尾には私から言ってやるから」
しばしの黙考後、こくん、と首肯するアリアルド。
驚く二人を尻目に、アリアルドは夢遊病者のような足取りで、ふらふらと集団へと近づいて行くのだった。
「って、おい副隊! アリアにあんなこと言っていいのかよ? あいつは――」
「あら。参加したければ、してもいいのよ美咲一尉? 鍛錬は自衛隊員の基本ですものね」
うぐ、と反論に一尉が詰まる。これだけ冷やかしておいて、いまさら参加したら良い笑いモノだ。渋い顔のまま硬直する真琴を、恋子がくっくっ、と含み笑いを漏らした。
――そのとき。
駐屯地中に、緊急を告げるサイレンが鳴り響いた。
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