第二話 -8

 さて、こんな日々にもだいぶ慣れてきた四月の終わりだが、やはり気がかりなのはアリアルド一尉の処遇についてである。

 彼女の駐屯地出現率は獅子堂副隊に付随している。

 どうやら副隊が気まぐれに駐屯地へ連れてきているようで、何回か黒塗りのベンツに一緒に乗り込んでいる姿を見かけた。というか、運転手つきの私用車が迎えに来るっていうのは、獅子堂聖という人物は一体何者なんだと思う。

 となれば、アリアルドはいつも副隊と一緒に行動しているのかと思いきや、実情はまったくの逆だ。

 少なくとも、俺がアリアルドを見かけるときは、決まって彼女は独りだった。

 元々が集まりの悪い魔導小隊だ。小隊室にいるときも独りだし、外で邂逅するときも決まって独り。別段誰かから避けられているというわけではなく、どちらかというと、自ら人目を避けているような、そんな寂しげな場所に佇んでいることが多かった。

 唯一、よく一緒に居るのがサイクロというのは、それ自体もなんだか寂しいんじゃないかと常日頃思うところだ。

 まだ小隊に馴染んでいない(馴染ませてもらえない)新人の身分としては、彼女ともっとコミュニケーションを取ってみたいところだが、掃除洗濯おつかい運転手と、なんだかんだと手間のかかる雑用がちくちくと俺のスケジュールを圧迫し、おまけに自己鍛錬も続けている現状では、完全に乱数的な出現率を誇るアリアルドに手隙の時間を合せることはなかなか難しかった。

 ……もっとも、彼女が孤独で居ることに「寂しい」と感じているかどうかは、俺の完全なる妄想なので、本人にとってはいい迷惑なのかもしれないが。

 そうなると、逆説的に寂しさを感じているのは、ひょっとしたら俺のほうなのかもしれない――。

 そんな益体も無いことを、俺は小隊室のゴミを集積所へ運びながら考えていた。

「今日も今日とてゴミ掃除かよ……理想と現実のギャップは激しい……」

 というか俺、もう完全に小隊の小間使いと化してる。

 ひつじ雲が点在する青い空の下、駐屯地中のゴミ袋が大量に積まれている集積所の光景を前にして、

「俺は掃除のオバチャンかってーの!」

 燃えるゴミと燃えないゴミをきちんと仕分けした習志野市指定ゴミ袋を思いっきり集積所の最奥にブン投げてヤサグれた。二十歳超えてたらここでヤンキー座りしてシケモクの一本でも吹かすところだ。

 こうなったら食堂行ってちょっと早い三時のブレイクタイムとばかりにコーヒー牛乳ガブ飲みしてやる。一兵卒としては最大級のご法度だ。これくらいやってもバチは当たらんだろう。

 ……と、そんな野心を胸中に抱えつつ、中庭を歩く昼下がり。

 食堂への最短ルートを目指してずんずんと歩みを進める俺の足は、しかし、中庭を抜けて運動場へと差し掛かったところで、硬直した。

「――7、8、9、10、交代!」

「1、2、3、4、5――」

 まるで、猛獣の群れのようだと思った。

 習志野駐屯地内で最も広い面積を誇る第一運動場。陸上競技用の四百メートルトラックも兼ねるその広場では、実に数十名もの自衛隊員が理路整然と整列し、一心不乱に腕立て伏せを行っていた。

 数十名の隊員が一斉に数を数え上げ、数拍の乱れもなく地面に突っ張った手足を折り曲げ続ける光景は、それだけで迫力ものだ。

 しかし、特筆すべきは、士官と思しき階級章を襟元に付けた隊員までが、兵卒と同じ符丁で腕立て伏せを行っていたことだ。

 よく見れば、たくさんの男性に混じって女性の姿もある。士官も一人や二人じゃないようだ。服装もそれぞれ違うし、おそらくは様々な兵科の隊員たちが集まっているのだろう。

 おそらくは、士官も下士官も、兵卒も司令官も男も女なく。

 彼らはただひとつの意思として、全員で訓練をしているのだろうと、理解した。

「この駐屯地に、こんなすごい部隊があったのかよ……」

 さすがに、この光景には度肝を抜かれた。

 この人数だとおそらくは中隊クラスではないかと思うが、訓練といえば小隊単位で行うのが普通なのだ。自衛隊員といえど、何から何まで一枚岩と言うわけではない。特に腕立て伏せのような地味な訓練は、訓練生でもない限り懸命に行われること自体が稀だというのに――。

 これだけの人数が集まって、ひとつの意思の元に身体を動かしている光景は、それだけで言葉にできない感動を覚える。俺は、しばらく食い入るように見てしまっていた。

「――なんだ貴様、腕立て伏せがそんなに珍しいか?」

 突然かけられた背後からの野太い声に、俺は思わず振り返る。

 そこに立っていたのは、俺よりも頭ひとつ分背の高い、がっしりとした体躯の大男だ。白いシャツに迷彩柄のズボンを履き、シャツは大量の汗で筋骨隆々の胸板に張り付いている。おそらくは腕立て伏せをしていた隊員のひとりなのだろう。

 しかし、そんな格好でも、彼がどういう役職の人間なのかは本能で分かる。

 俺は瞬時に一歩後がり、久しぶりな気がする敬礼をした。

「いえ、失礼いたしましたっ!」

「……ん、貴様、顔は見たことがあるが、ウチの中隊じゃないな。どこの所属だ?」

 ずいっと顔を近づけて、俺の顔を覗き込んでくる。

 歳は四十代前半といったところか。短く刈り込んだ髪。意志の強い眼光。年季の入った迷彩服は、筋肉で隆起している。この気迫で分隊長はないだろう。小隊長……下手したら、中隊長を務めていても可笑しくない。それくらい、その身から溢れんばかりの迫力は、歴戦の勇士であることを物語っていた。

「は! 特務部魔導小隊所属、吉良瀬川恵一郎一等陸士であります!」

 いつかの日々を思い出して、声を大にして名乗る。おそらく一等陸尉、いや三等陸佐と思われる上官に対する恐怖心は、まだ薄れてはいなかったようだ。

「魔導小隊、だと……?」

 その単語を呟いた途端、上官の目つきが変わった。強い眼光が、一層の光を放ち始める。

 ……ヤバイ、そういや魔導小隊ってトップシークレットなんだっけ。むやみやたらに名前を出してはいけないと誰かに言われた気がするが、じゃあ駐屯地内だとどうなんだろう。確認した気もするが、ああ畜生、混乱して思い出せねえ。

 上官の迫力に圧され、足の震えがそろそろ大地を割るのではと思い始めるほどの震度を計測したとき、

「……おまえだな、魔導小隊のルーキーってのは!」

 鬼も裸足で逃げ出すような会心の笑みを顔に貼り付けて、上官殿は俺の肩を叩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る