第二話 -7
「へぇー、あんたも苦労してんのねぇー」
「……完っ全に棒読みですよ、副隊」
俺がぶすったれた顔で文句を言うと、獅子堂副隊長は笑いながら俺の肩に手を回した。
「いいんだよ少年。若いうちの苦労は買ってでも、って言うだろ?」
「それが必要な苦労であれば、いくらでも購入してやるところなんですけどね」
総合研究部第六研究課研究所、通称六課研へ通じる地下へのエレベータの中で、俺は盛大にため息を吐き出した。
――習志野駐屯地に籍を置いて早二週間。
正直な話、日々に劇的な変化はなかった。
俺のような一兵卒の例を引き合いに出して申し訳ないが、自衛隊員、特に戦略自衛隊員の職務と言うのは主に二つで、日々の基礎鍛錬と、日々の実技訓練が任務である。
総務や会計などの事務職ならば別なのだろうが、戦闘行為を主軸としている以上、それ以外に活動する範囲というのは有事のとき以外にはありえない。治安自衛隊なら民生協力や災害派遣なども活動領域内だが、戦略自衛隊は動かないことが最高の平和の証であるとも言える。ここらへんが、「国民の味方・陸自治と税金の無駄遣い・陸戦自」と揶揄される所以だった。
日々が退屈であると言うわけではないけれど、もっとこう……なんつーか、国民のみんなに認められるような、誰かを助けるような仕事に飢えているのは、正直な今の気持ちではある。
そんなことを副隊に洩らしたところ、
「じゃあ、習志野駐屯地中のトイレ掃除、お願いね。みんな嬉しがるわよ」
とヤブヘビっぽいことになって、今は演習場合わせ二十七の便所掃除を終えた午後だった。
「そういえば、ここで暮らしているんですよね、アリアルド一尉って」
エレベータから降り、いつもの管制室へ向かう途中に、思いついたコトを訊いてみることにした。
副隊は「そーだけど、何?」と小首を傾げつつ、廊下の突き当りで待っていた重厚そうな扉のタッチパネルに、己の右の人差し指を押し付けた。
「なぜ自衛隊舎に住まわせないんですか? やはり秘密漏洩とかの関係ですか?」
「うーん……もちろん、秘密漏洩の意図もあるけど。一番の理由は、彼女の保護だね」
「保護?」
「恐れて近寄らないだけならまだしも、興味本位で近づかれるわけにはいかないの。あの子の置かれている立場、判るだろう?」
一瞬、この前の恋子二曹の話が脳裏をよぎる。
「それに、あの子はいろいろ『調整』しなきゃならないしね。精神的に不安定なときもあるし、とにかく普通の娘とは違うんだから。陸自に魔導士はあの子しかいない以上、可哀想かもだけど、敵がいる限りは我慢して貰う外にない」
調整、か。……なんだか、イヤな響きだぜ。
アリアルドの無垢な表情を思い出して、俺は眉間に皺を集めることしかできない。
管制室の扉を開いたところで副隊は振り返り、少しだけ面白そうな顔をした。
「あんたが昼飯だけじゃなく、全部の面倒見てくれるってんなら、別に構わないんだけどな?」
「そういうわけにも……って! 副隊、なんで知ってるんすか!?」
「――おう、なーにを話し込んでいるのかね? 我らが司令と期待の星」
管制室の中から声。大げさに両手を広げて、白衣姿の妹尾女史が俺達を出迎えた。
「いんや、別にぃ。……妹尾、例の解析結果、出たんでしょう? さっそく見せて頂戴」
「心得た。とりあえず対象の塩基配列から解説入れようか。ああ、その前に――」
何事か、妹尾女史が副隊に目配せする。あ、そうだった、と何かに気付いた副隊は振り返り、
「吉良瀬川。あんたは魔法使いの様子を見に行ってなさい。十分ぐらいで済むから、ね」
どうやら、俺には分不相応な話があるらしい。
判りました、と答えると、二人は管制室の別の出入り口から最奥へ歩いていった。
……仕方がない。ここにいても、他の研究員の邪魔だろう。俺は管制室脇のステップから階段を下り、円筒状鳥篭の周辺をすっぽりと包む、回廊へとその足を延ばすことにした。
回廊は、管制室から見るのとはまた違う迫力を感じさせた。
正確には、大広間の中央にガラスケージを設置して、その余ったスペースが回廊になった、といった風体の連絡路だった。管制室の床より二、三メートルほど低いせいか、見上げる形になる鳥篭は迫力がある。高さは二階の吹き抜けに相当するくらいか。彼女が自由に動ける範囲も二十畳程度があり、ちゃんと奥にはスモークで隠されたトイレや洗面所なども完備されているようだ。隊舎の俺の部屋よりずっといい暮らしをしてるんじゃないか、ここの主は。
「あー、またきやがったのか、オマエ」
不機嫌そうな声が曲壁を通して伝わってくる。奥の扉から現れたのは、この鳥篭に囲われている主、魔法使いことアノゥ・ケープラウンドだった。
「よう、元気そうだな」
「元気じゃないっつーの。毎日わけわかんねー機械座らされて、ストレス爆発一歩手前」
アノゥはこちらに近寄ってきて、俺の眼の前ですとんと腰を下ろした。相変わらずの無垢のワンピース姿。金砂のような長髪の艶も健在だ。白い肌のきめは細かく、こいつが本当に捕虜なのかそろそろ怪しく思えてきた。
それに、横柄な態度も相変わらずだ。無警戒に俺の眼の前で足を投げ出す彼女に苦笑しつつ、俺もその場に腰を下ろした。管制室の窓越しではないので、随分と距離が近い。手を伸ばせば彼女に触れられそうなほどだった。
「でもまあ、いちおー、いろんなことが判ったから冷静になれた」
魔法使い――アノゥは正面から俺の顔を見つめながら、少しだけ寂しそうにそんなことを言って来る。俺は意図を汲み取れず、鸚鵡返しに訊くしかできない。
「いろんなこと?」
「ここは、アノゥの暮らしていた世界じゃないんだよね」
……おそらく、その考察は正しいだろう。
魔法使いは『現界』という現象によって発生する。突如として地球上のどこかに現れる『魔法陣』を通って、この世界に『出現』するのだ。
魔法使いが異世界人であるという学説は、現代では最もポピュラーなものだった。
「だから、ケープラウンドの街も、ゴスペルアイアンの国もないんだ。つまり――ここは地球っていう名の異世界。アノゥの世界と似てるけど違う、アノゥの知らない土地なんだ」
「アノゥ……」
なんだか陰鬱な気持ちになってしまう。こんな小さな子が、たったひとりでここにこうして捕まっているという現状に。
いくら相手が魔法使いとはいえ、不幸なことだと思える。
俺はなんと言って良いか判らず、適当なことを口に出してしまうのだった。
「……元居た世界には、親兄弟とかいたのか?」
「母さまがね。父さまは随分前に死んじゃったから……アノゥの家族は、母さま一人」
彼女の視線が中空を見遣る。まるで、昔を思い出すような遠い眼だった。
「母さま、心配してないかなぁ……。アノゥがいなくても、ちゃんとゴハン食べてるかな」
「大丈夫なんじゃないか? アノゥみたいな煩いのがいなくなって、むしろ清々してるかも」
「あはは、そうかも……って、そんなわけあるか!」
おお、異世界にもノリツッコミという概念があるとは。俺は妙に感慨深い思いに捕らわれた。
「おまえ……今、アノゥのこと、名前で呼ばなかったか?」
急激にアノゥのトーンが落ちる。何事かと思い、俺は笑うのをやめて彼女に向き直った。
「ああ、呼んだけど。それがどうかしたか?」
あっけに取られたような顔をする。今度は一体なんだ、俺が何かしたというのだろうか。
「何だ、名前で呼ばれるの駄目なのか? 嫌なら善処するが」
「いや、そーじゃなくて。だって……ここにいる奴ら、みんな『魔法使い』とか『八十二号』とか、アノゥのこと、名前で呼ぶやつなんていなかったから……」
俺から眼を逸らして、なんだかバツが悪そうに言う。なるほど、確かに研究員とはそんなモンなのかもしれないな。
だが、そんなことは俺には何の関係もない。
「おまえの名前はアノゥ・ケープラウンドなんだろ? なら、アノゥって呼ぶのは当然じゃねえか。それとも、名前で呼ばれるのは嫌なのか?」
「いやっ、そんなコトはないけど……」
もにょもにょと口を動かし、いろいろと逡巡している風だったアノゥは、何かの意を決したようで、ガラスの壁に片手を突きながら、俺に訴えかけるような眼を向けた。
「おまえ、アノゥのこと怖くないの? アノゥは……おまえ達の言うところの、魔法使い……ってヤツなんでしょ?」
「そりゃ、そうだな。もう殺し合いをするのも二度と御免だ。でも、今は怖いとは感じないな」
「どうして?」
「だってアノゥは、俺たち人間と対して変わらないだろ?」
「……え?」
「こうやって話ができて、相手の気持ちを気遣うことができて。……これで怪物だなんて決め付けてるようじゃ、そいつの目は節穴だぜ」
しばし唖然と口を開けて呆けていたアノゥだったが、すぐに顔を両手で覆って笑い出した。……む、一体何が可笑しいのだろうか。なんだか馬鹿にされているように思えて気分が悪い。
「……あんた、名前は? アノゥの名前知ってるんだから、名乗り返すのはマナーよね」
ようやく笑い声を静めたアノゥが訊いてくる。
俺は立ち上がりながら、ぶっきらぼうに答えた。
「吉良瀬川恵一郎だ」
「キラ、セ……? キラが名前だよね? 随分と長ったらしい苗字だなあ」
そろそろ名前でイジられるのにも飽きてきたところだ。俺は盛大なため息を吐き出した。
「ケイイチロウ・キラセガワ。長いと思うならケイでいい」
「ケイ……うん、ケイね」
アノゥは喜色満面の表情を作って、何度もケイケイと口の中で繰り返していた。
何がそんなに嬉しいのだろうか、俺には皆目検討もつかない。まったく幼女の考えは理解不能である。
『おんやぁ? 知らぬ間に、ずいぶんと仲が良くなったみたいじゃない、お二人さん?』
突然のスピーカの大音量。
声の出所へ向き直ると、管制室の大きな窓の袂に獅子堂副隊と妹尾主任のニヤニヤとした趣味の悪い笑みが浮かんでいた。盗み見かよ、趣味悪過ぎるぞ。
『喜べ期待の星。キミと話している最中、彼女の脳波で今までは確認できなかったオモシロ反応が検知されたぞ。またひとつ有益な研究材料を頂いた。感謝するよ』
「な、何勝手にアノゥの頭ン中見てんだよー! 見るな見るな!」
必死に頭を両腕で覆うアノゥだが、多分そんなことしても無駄だと思った。センサーだし。
『あ、ちなみに私の名前は獅子堂聖だから。聖姉さまって呼びなさいね、アノゥちゃん』
「はーい、わかったよオバサン」
……ぽちっとな。
「痛たたたた! 電圧強い電圧強い! 何考えてんだこのサド野郎ォ!」
どうやら口の悪さは先天的なものらしい。
それでも、こうやって打ち解けられるところを見ると、やはり彼女も人間と同じなのだろう、と漠然と思うのだった。
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