第一話 -6(period)

『と、特科第三連隊被弾! アカンパニスタ隊、被害甚大!』

『弐七式戦車隊も、もう持ちません! 狭山さやま二佐、後退を!』

『ふざけるな! 後列が居ないんだぞ! ここで戦線を喰い破られたら、本当に日本は終わっちまう。各員、なんとしても食い下がるんだ!』

 共通無線の中では、隊員たちの悲壮な怒号が飛び交っている。

 司令部の中、正面の巨大モニターに表示された魔法使いの姿と、瓦解していく多摩川沿いの最終防衛ラインを見て、獅子堂聖は奥歯を噛み締めた。

「……くそ、駄目か。もうしばらく持たせるつもりだったが……」

 多摩川沿いの堤防は魔法のレーザーで根こそぎ焼き払われ、形成された幾筋もの新たな川が市街地を水浸しにしている。引き裂かれた住宅の残骸を塹壕代わりにして戦い続けている戦車隊も良く粘ってはいるが、周囲にはひっくり返った仲間の戦車やら墜落した戦闘機やらの残骸でいっぱいだ。人類同士の戦争だって、こうも分かりやすい敗北映像はあるまい。

 獅子堂は携帯電話を取り出して、掛け慣れた様子で通話ボタンを押した。

妹尾せのお主任、墜落した陸戦魔導士アリアルドの容態は?」

『応急治療はしたよ。一応は無事だ。だが……正直、もう限界だな。医療班の一員として、これ以上の出撃は容認できん』

「悪いけど、そんな甘っちょろいこと言ってられる状況じゃないのよね。アリアに伝えて。あと一回飛ばすから準備しろって」

 電話を切る。本心と異なる台詞を吐いたことにほんの少しだけ胸が痛んだが、そんな泣き言はすぐさま思考から消し去った。

 ――戦況はよりいっそう悪いほうへ転がっている。

 だからこそ、私自身が、甘っちょろいことを言ってられないのだ。

 獅子堂は表情を鉄仮面に戻しながら、耳の中のレシーバーに向けて声を放った。

「例の攻撃、行くわよ。アカンパニスタは予備兵力も全部出して。必要ならF35NライトニングⅡを参加させても構わない」

『もうとっくに出してますよ! 支援攻撃開始までおよそ十五秒!』

「結構。海戦自の対艦ミサイルは?」

『遅くなりました指令! 護衛艦つくば、発射準備完了です!』

「了解。では制圧攻撃開始。空戦自と攻撃合わせ」

『了解! 各員、攻撃開始!』

『攻撃合わせ! 3、2、1……90式艦対艦誘導弾、発射!』

 ほんの数秒の空白の刻の後。

 空中に浮かぶ魔法使いが、凄まじい爆発の嵐に巻き込まれた。

 空戦自の戦闘機群が一斉に放った空対空ミサイルと、海戦自のミサイル護衛艦が打ち上げた短距離誘導ミサイルが、同時に魔法使いへと炸裂したのだ。

 その炸薬量は、合わせて実に500キログラム。富士山でも大穴が開くほどの大火力である。

 魔法使いの魔法障壁がいかに堅牢と言われていたとしても、この攻撃で傷がつかないなど万に一つもありえない。たとえ障壁が破れずとも、魔法使いがヒトと同じ規格であるならば、その威力に少なからず身動きが取れなくなるはずである。

 ――あるはずなのだが。

 そういった楽観視をしたのは、あくまで一部の官僚と隊員のみで。

 爆煙の中から発せられたオレンジ色の光の束が、空の向こうの戦闘機群をなぎ払った光景を見て、この絶望がまだ続くことを多くの自衛隊員が自覚した。

「し……指令! 魔法使いの様子が!」

 隣のデスクのCO将校に呼びかけられて、獅子堂は顔を上げる。

 ノイズ交じりのモニタの中。東風により吹き飛ばされた粉塵の中から現れたのは予想通りの魔法使いの姿だが、その様子が僅かに違う。

 彼女を球体状に取り巻くオレンジ色の魔法障壁――その表面に複雑怪奇な幾何学模様が浮かんだかと思うと、次の瞬間には元の十数倍の大きさに膨らんだのだ。

 球体の表面には紅で円陣が無数に描かれ、ついには何もない中空にすら翼のような模様が浮かんで禍々しい脈動を始める。

 途端、司令部内のあらゆる観測計器が、異常値を知らせるブザーを鳴らした。

「も、目標、大規模立体魔法陣を形成! 魔法の詠唱に入りました! W3による予測規模……十二小節!」

「ウソ……あのチビっ子、十二小節なんて持ってるの? 東京を吹っ飛ばす気?」

 『小節』とは、大魔法の威力を表す詠唱言語量単位のことだ。

 数が大きければ大きいほど威力を増す。かつて北九州全土を焼き尽くした第四十号目標『天津鷹あまつだか』の大魔法は、二十八小節だった。

 一小節につき約四秒を費やし、十小節で街が一つ消える。

 小さな口から紡がれる呪文の言語は、自身を取り巻く魔法陣を凶悪に膨れ上げる栄養素だ。

 つまり、解き放たれればそれで最後。

 その規模は、地下百メートルの民間シェルタにまで及ぶ――!

「アリア、止めろぉっ!」

 獅子堂の声に呼応するように。

 最後の力を振り絞って、アリアが魔法使いに突進した。

 医療班のテントを突き破り、地上に砂塵の渦を残しながら、マッハにも至る速度で飛び上がる。その手には翠色に輝く一振りの剣。光の尾を引いて駆け上る――などと言うのは簡単だが、それがヒトの目に見えたのは一秒どころか刹那だろう。

 魔法使いは、球状の立体魔方陣の中央で詠唱に夢中だ。眼を瞑ったまま、胸の前で手を組んで動こうとしない。まさに絶好の好機――!

「アアアっ!」

 剣を突き立て、突進するアリアの身体。

 速度に任せた吶喊ならば、いかにボロボロの彼女でも魔法使いを貫ける。

 そうして、あと数メートルで切っ先が届く――というところで。

 魔法使いは、詠唱をぴたりと止めた。

「な……ッ?」

 アリアも、それを見守っていた司令部も、誰もが眼を見開いたに違いない。

 瞬時に立体魔方陣を霧散させた魔法使いは、戦車の砲弾もかくやというスピードで突っ込んできたアリアの剣を、手の中に凝縮させた魔法の光で受け止めて、


「あは。――引っかかったね?」


 ――そこで、アリアははじめて、それが魔法使いの誘いだったことに気が付いた。

 魔法使いが手を払う。瞬間、その手の中で爆発した光の散弾を全身に浴びたアリアは、突進したときと同じスピードで弾き飛ばされる。

 錐もみ状態で空を吹き飛んだアリアの身体は、近くの高層ビルの中腹に激突してそのフロアの窓ガラスをすべて星屑へと変えた。

「アリアっ!」

 獅子堂が叫ぶが、もう遅い。

 魔法使いは再び手のひらをアリアに向け、息も絶え絶えの彼女を屠るには必要十分な魔力の光を手の中に収束させる。

「これで、やっと……あの光を使うヤツを殺せるッ!」

 その少女然とした容姿には、不似合いなほど滾らせた怒りの表情。

 そうして魔法使いは、手の中に凝縮させた魔法の光を、容赦なく解き放ち――

「おまえなんかッ、いなくな――ッ」

 れ、と叫ぶ寸前。

 魔法使いの眼前に、空から鉄の箱が降ってきた。

「……へ?」

 魔法使いの眼と口が丸くなる。

 その鉄の箱には、四つのゴムで出来た車輪が付いていた。

 緑色の外装に、紺色の内装。一般にジープと呼ばれる運搬車両。

 運転席には扉がなく、その中には一人の男が乗っていて。

 そこから身を乗り出して魔法使いこちらへ突き付けられていたのは、

 眩いばかりの燐光を宙に振り撒く、吉良瀬川恵一郎のネクロノミコン――!


「食らっとけ、魔法使いッ!」


 かちん、というトリガーを離す音がして。

 東京の空は、太陽のような強烈な光と、大轟音に包まれた。


 ◇ ◇


 さすがに地上百メートルの高層ビルからジープごとダイビングして、命が助かるとは思っていなかった。

 眼を開けたらそこはもう三途の川か天国か閻魔様の裁判室だと確信していたわけで、つまりもう死んだよね? そろそろ眼を開けてもいいよね? まだ落下の途中だったら嫌だからね? などと誰に対して言ってるのかわからん世迷言を呟きながらいい加減眼を開いたら、

「……あれ?」

 俺の襟首は親猫が子猫を運ぶときの格好よろしく、陸戦魔導士ことアリアルド嬢に掴まれていた。

「助かった……のか?」

 俺は首を上に向ける。ゆるゆると空中落下を続ける陸戦魔導士は、きょとんとした顔のまま俺の顔を見下ろしていた。

『……はは。まさか、ビルにジープごと突っ込んで、エレベータで最上階まで登って飛び降りるとはね……さすがの私も、そこまでは予想していなかったわ』

 耳元のレシーバから呆れた獅子堂司令の声が聴こえる。まだここが現世である証拠だった。

「だって、仕方ないじゃないですか。敵は空を飛んでいるんだし、こっちだって空を飛ばなきゃ距離なんて詰めらんないですよ。真下から近づけないのなら、真上から近づくしかない」

『その着想から、どうしてジープで紐なしバンジーをしようって発想が生まれるのかね。まったく、最初から玉砕覚悟とはいえ、図抜けたバカがいたもんだわ』

 獅子堂司令が呆れた様子で言うが、その声には安堵のような色も混じっているように聞こえた。いやまあ、俺の勘違いかもしれないが。

「そうだ……魔法使いは?」

 俺は首根っこを掴まれたまま、周囲を睥睨する。

 右手に握りっぱなしのネクロノミコンは、すでにトリガーを引いた後だ。あの超至近距離で撃ったとはいえ、相手は常識ハズレの魔法使い。確実に斃せたかどうかは分からない。

 眼下の地面には瓦礫と化したビルの破片や戦車の残骸などが散乱しており、俺の飛行機と化してくれた軍用ジープも原型を留めないくらいぐちゃぐちゃになって墜落していた。……本当、アリアルドに拾って貰わなかったら、今頃俺もああなっていたのだろうな。

 そんな瓦礫の海を注意深く見回していると――いた、真下だ。

 コンクリートの瓦礫の上に仰向けに倒れている少女を発見する。

 途端、アリアルドの降下スピードが早くなる。自由落下から加速度落下へ。片手で握った巨大な両刃剣に再び翠の燐光が灯り、このままの落下速度で魔法使いを叩き斬るつもりなのは彼女の眼を見れば明らかだった。

 ぐんぐんと近づく魔法使いの首。確かに、眼を剥いたままぴくりとも動かない今の魔法使いならば、その命を絶つには絶好の機会だ。アリアルドは剣を大上段に構えると、その少女の首目掛けて一気に振り下ろす――

「って、待て! ちょっと待て!」

 俺はそこで、慌ててアリアルドの腕を掴んで引き止めた。

「ッ?」

 俺のその行為に驚いたのか、アリアルドの動きがぴたりとその場に静止する。

 永遠剣の切っ先も、魔法使いの眼前5センチ手前だ。間一髪だった。

『なッ……何しとんだ、吉良瀬川ぁコラァっ!」

 獅子堂司令の声が耳を劈く。声デカ過ぎだろう。

 俺はアリアルドから手を離し、難なく地面に着地。そうしてネクロノミコンを構えたまま魔法使いに駆け寄ると、その顔の前で手を振ってみたり、ほっぺたをつねってみたりして、最終的な診断結果を口にした。

「……目ェ剥いてる。気絶してますよ、この子」

『え……マジ?』

 獅子堂司令の素っ頓狂な声。

 アリアルドも降りてきて、魔法使いのそばでしゃがみこむと、まるで珍獣を見るようなまんまるの目つきでそいつの鼻をつまみ始める。なぜ鼻をつまむのかは分からなかったが、その魔法使いが完全に気絶しているのは明らかなようだった。

「生け捕りでも――俺の仕事は、ミッションコンプリートっすかね?」

 レシーバの向こうへそう語りかける。帰ってきたのは、疲労と忘我が半々の割合でまぜこぜになった、感嘆の息。

 

 こうして、俺の生涯初の魔法使い迎撃戦は、一応の幕を閉じたのだった。

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