第二話 -1

「……へぇ、これが彼女のバイタルグラフ? 人間とまったくもって同じじゃない」

「ああ。CT、血液細胞、遺伝子検査――ありとあらゆる角度から調べた結果、魔法使いの身体構成は、その九十八パーセント以上がヒトと同系だということが証明された。レイクラード博士の素子理論は看破されたわけだ。英国学会の慌てようが目に浮かぶよ、くっくっくっ……」

 自衛隊服の上から白衣を羽織った妹尾せのお女史が、鋭角なフレームの眼鏡を中指で抑えながらニヤリと笑う。その微笑は、マッドサイエンティスト的なこの人の性格が非常に良く判る改心の笑みで、俺は心の中でげんなりした。


 ――あの戦闘から三日後。

 俺が退院と同時に訪れたのは、東京と千葉の境にある陸上戦略自衛隊総合研究部第六研究課とかいう、舌を噛みそうな名前の研究所の一角だった。

 車窓から見えた施設の姿は、なるほど税金で建てられただけはある立派なガラス張りのコンクリートビルで、中ではお役所仕事の公務員がエアコン全開で眠くなりそうな空気を漂わせているのだろうと予期するに相応しい外観であったが、別口から地下に潜るとその様相は一変した。

 深海を思わせる藍色の内壁。病院然とした無機質な空気が漂う室内に、否が応にも不気味さを感じてしまう。間取りや採光が広く取ってあるのが唯一の救いで、各部屋を隔てるパーティションが半透明なアクリル張りでなかったら、閉所恐怖症の方が卒倒するのは必至であろう。

 そのさらに最深部――『管制室』と呼ばれる無数のモニタが居並ぶ大規模なモニタリングルームで引き合わされたのが、ここで研究員を務めているという妹尾巳来みき研究主任だった。


「――でも、これじゃ肝心の『魔法』に関する器官が見当たらないじゃない?」

 ぺしん、と丸めた資料を手の平で弾ませながら口を開いたのは、病み上がりの俺に車の運転をさせてここまで連れてきた直属の上司・獅子堂聖一等陸佐だ。

 雑多な雑貨が雑草のように床を占領している室内で、唯一物の少ないデスクに寄りかかった彼女は、窓際に立つ妹尾主任を一瞥する。

 すると妹尾主任は爛々と眼を輝かせて、いかにも研究者らしくドーパミンを爆発させた。

「そう! そこなんだよ今回の肝は。いわゆるイカの墨袋に当たるような、ある種の『魔法貯蔵袋』的な器官が体内に存在すると今まで推測されていた説が、これで完全に否定されたわけだ。いやあ、やはり生きた標本は情報量が違うな。新人クン、君の功績は我が国の宝だよ!」

 ぐっ、と親指を俺に突き出されても、俺に一体どんなリアクションを求めているのやら。

 俺が曖昧な表情で返事を曖昧にしていると、妹尾主任は腕を組みつつ、

「何だよ、ノリが悪いな。魔法使いの生け捕りに成功したのは、人類史上これが初めてなんだぞ。もっと胸を張りたまえ。……あぁ、それとも――」

 楽しそうな笑みを口の端に貼り付け、その視線を背後の窓へと向けた。

「やはり、彼女が気になるのかね?」

 妹尾女史が睨んだ窓の向こう。管制室に隣接して設えられたその部屋は、ホールと呼んでも差し支えなさそうなほど天井の高いスペースで、さらにその中央には、椎の木が丸ごと一本収まりそうなほど巨大な円柱状のシリンダーが屹立していた。

 そして、その透明な円柱状の監獄の中には、年端も行かない哀れな子羊が一匹、薄衣一枚という格好で閉じ込められており――、


「コラあぁ! なんだ魔法袋って! アノゥをイカタコと同じ扱いすんなー!」


 こちらの会話を聞いていたらしい、あのときの魔法使い的少女が、ムキーと大声を上げて抗議していた。

「つーか、メチャクチャ元気じゃんか……」

 俺は半ば呆れながら、改めてシリンダーの中の少女を注視する。

 あのとき――俺がぶっ放したネクロノミコンの弾丸は、幸いと言うべきか何と言うべきか、この魔法使いには当たらなかったらしかった。

 さすがに空飛ぶジープから銃を撃った経験はなかったためか、ネクロノミコンの弾丸は彼女の頭上数センチを掠めて空の彼方へと消え去ったらしい。

 あんな超至近距離から撃っておいて外すなんてお恥ずかしい限りだが、とにかく、撃たれたと思い込んだ魔法使いもまた、3・2・1で撃ち合う西部劇ごっこよろしくその場にバタリと倒れ、そしてあの日の最後のシーンに戻るというわけだ。

 その後、気絶した彼女が収容されたのが、この研究機関である。

 総合研究部第六研究課研究所――通称『六課研』と呼ばれるここが魔法に関する研究を行っていることは有名な話で、生け捕りした魔法使いを隔離しておくにはうってつけの場所であることは間違いないのだが、特に今回の魔法使いは並み居る軍事力をことごとく叩き潰してきたという実績から、他の引き取り手がこぞって手を下ろしてしまったという事情も背景にある。……簡単に言うと、魔法使いコワイから六課研で引き取ってよ、というヤツであった。

 さて、生け捕りされた未確認生物である彼女だが、六課研の対応は比較的温厚で、どこぞのオカルトよろしく解剖実験なんてものは現段階まで行われておらず、血液検査やらレントゲンやら、まるで人間ドックにでも来ているのかと思いたくなる通常の検査がメインで進められているようで、今はこの巨大な鳥篭の中でデータ採取兼保護観察中、といった扱いらしかった。

 閉じ込められていることに不当さを感じているのか、緩やかなカーブを描く透明な壁に張り付いてこちらを睨み返している魔法使いだが、外見がそこらの幼女とまったく変わりないので正直全然怖くない。「がるるー」と歯軋りを見せていても、あの日の迫力はどこいったんだという按配である。

 留め具で左右に分けた金色の長髪は、戦闘時とまったく遜色ない艶やかさ。表情も戦闘時の険が取れているくらいで人間のそれと変わりはない。

 現在は検査に差し障りないよう、薄手の純白ワンピース一枚という格好をさせられているためか、彼女の幼さがより一層際立って、本当に人間以外の何物にも見えなかった。

「……魔法使い相手に、あんな薄っぺらいガラスケースみたいな壁で大丈夫なんですか?」

 俺が訊くと、妹尾主任は、ン、とわずかに頷いて、

「案ずるな。1トン/mm3に耐え得る柔軟性耐力壁だ。おまけに――」

「……しっかし、こんなちっこいのが魔法使いなんてね。ネタにもなんないわ」

「うるさい! ちっこい言うなババア!」

 ババア呼ばわりされた獅子堂一佐は、笑顔のまま、お手元のリモコンスイッチをぽちっとな。すると、

「痛たたた! ビリビリする痛い! ごめん、ゴメンナサイ、スイマセンってば!」

 憐れ魔女っ子、全身を震わせながらの小躍りを始めた。

「――このように、反旗を翻そうとすると自動で作動する、低周波空伝電圧機が備え付けてある」

「今、一佐がボタン押したように見えましたけどね」

 というか、どこの芸人の罰ゲームだよ。

「あ、それと……アノゥ、って言うのは?」

 先ほどの魔法使いの言葉を思い出して、俺は妹尾主任に訊ねる。主任はぺらぺらと手元の手帳を捲りながら、

「彼女の名前だそうだ。『アノゥ・ケープラウンド』と言うのがフルネームらしい」

「ケープラウンド? 聞かない苗字ね。西欧圏っぽい響きだけど……あんた、ヨーロッパかどこかの出身なの?」

 獅子堂一佐が魔女っ子に問いかけるが、アノゥという名の少女はぷいとそっぽを向いた。

「知らねー。つーか、よーろっぱって何よ。意味わかんないこと抜かすなオバさん」

 獅子堂一佐のコメカミがビキリと青筋立ちましたよ? なんだこのチャレンジャーな幼女は。

「……こちらでも聞き取り調査をしたが、ちょっとこの子の言い分は意味不明だな」

 話にならなそうな二人を置いて、妹尾主任が口を開いた。

「この子の話では、出身は苗字と同じ『ケープラウンド』という名の街らしいが、地球上にはどの言語でも存在しない地名だ。いや、それどころか彼女は、地球上の地名をまったく知らない。一般的な固有名詞も同様で、今まで知育の存在しない場所で生活していたのかと当初は考えたのだが……」

「こいつ、日本語喋ってるじゃない」

 そう。彼女の一番の違和感は、それだった。

 白人と東洋人の中間のような容貌の唇から紡がれる言語は、英会話教室で習ったような付け焼刃ではない流暢さがある。長年、同じ言語を使い続けた確たる証拠だった。

「こいつ、つまりは日本人だってことなの?」

「私もそう思い、日本地図を見せたら……彼女、生まれた場所として北海道を指しやがった」

 三人で魔法使いの少女を見る。ぶすったれた顔のままアノゥは、

「違うってば、そこはケープラウンドだろ? 何だよ、ほっかいどーって。にほんじんとか、にほん語とか……アノゥの故郷に勝手な名前を付けるなよ、野蛮人どもが」

「や……野蛮人だと?」

 一佐がぎょっとする。アノゥは侮蔑のような、からかうような流し目を俺たちに向けた。

「だってそうだろ? 魔法も使えない、無機物を駆る野蛮人ども。鉄の車やら火を噴く筒やら、見たことのない道具でアノゥの国を乗っ取ったみたいだけど、そんな蛮族に捕まったくらいで、アノゥは家に帰るコトを諦めたりしないからね!」

 威勢の良い、澄んだ声で言い切るアノゥ。獅子堂一佐は、困惑したように妹尾主任を見た。

「鉄の車やら、火を噴く筒……だって」

「戦車や銃のことを言っているんだろう。しかも、彼女が侵攻していた理由を察するに……」

 家に帰るコトを諦めない――ということは。

「まさかおまえ……北海道こきょうに帰ろうとして、俺たちに向かってきたのか?」

「当たり前じゃん。誰が好き好んで野蛮人の巣なんかに飛び込んでいくもんか」

……これには、さすがの俺も驚かされた。

「つまり、なんらかの理由でオーストラリアに現界した彼女は、故郷へ帰るために、蛮族たる私達の攻撃を退けながら北進していた、というわけだ。東京が単なる通過点だったとはね……W3の情報も当てにならないな」

 妹尾主任が自嘲気味に笑う。

 獅子堂一佐も頭を掻きながら、しみったれた顔を作った。

「……何故、魔法使いは人間を襲うのか。魔法使いの発生以後、十年以上解明されていなかったその理由が、ついに明らかになるのかと思ってここまでやって来たはずだったんだけどなぁ。……しょぼい結果で、超がっかり」

「おい……そのヒトをハズレクジみたいな眼で見るの、ヤメロ」

 俺は、改めてその少女の姿をガラス越しに見る。

 ……本当に、どこにでも居そうな普通の女の子だ。こんな娘が、全世界で脅威とされている魔法使いの一人とはどうしても思えない。

 目的も不明。何処からやってきて、何処へ帰るのか。

 その正体。出生。なぜヒトを襲うのか。

 何もかも不明ながら――こうして唯一、はっきりとしたことがある。

 それは、少なくともこの少女は、俺たちと会話ができる、意志を持った普通の人間だということだった。

「お話中、失礼します。妹尾主任、陸上治安自衛隊の幕僚長がお見えになっていますが……」

 離れたところから研究員らしき職員が近づいてきて、妹尾主任にそう伝えた。主任は参ったという顔をする。

霧島きりしま幕僚長か。そう言えば、魔法使いを視察に来るという話だったな……」

「霧島? あの財界のコネで成り上がったボンボンか。私が相手しようか?」

 と、眉を顰めながら言う獅子堂一佐。妹尾主任は首を横に振った。

「いや、いい。聖はあのボンボンと犬猿だろう? 税金の金食い虫・陸戦自りくせんじの顔であるお前と、国民の味方の陸治自りくちじの代表たる幕僚長……公共の場でなくとも、お前らの喧嘩を周囲の職員に見せるのはまずいだろうさ」

 反論しようとする獅子堂一佐を遮って、妹尾主任は白衣の裾を翻した。

「ま、ここは私に任せておけ。これは第六研究課主任研究長兼、陸戦自総監部救護班長三等陸佐たる私のシゴトだ」

 扉の奥に消えていく妹尾主任を見送って、獅子堂一佐はちょっとご機嫌ナナメだった。

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