第一話 -4
ジープに飛び乗り、ロータリーを駆け抜けるとほぼ同時に、多摩ニュータウンの一角は音を立てて崩壊した。大剣で分断された魔法使いのレーザービームはV字型に広がり、周囲のマンションのことごとくを巻き添えにしたらしかった。
「うわああ! あたしのF2ST!」
どどーん、とダイナマイト解体みたいに沈みゆくマンションを後方に見ながら、後部座席に乗った美咲一尉が泣きそうな声で叫んでいる。後で知ったことだが、F2STというのがあの銃――ネクロノミコンの通称らしい。
「いまさら遅いですよ。銃より命の方が大事でしょ。ねー、サイクロ?」
助手席でロボ犬を膝の上に乗せた恋子二曹が、そいつの頭を撫でながら後ろに声を投げている。美咲一尉はがばっと座席の間から手を差し込んで、二曹の頭のシニヨンを引っ張り上げた。
「他人事だと思って簡単に抜かしてんじゃねーぞ?」
「痛たたッ! 引っ張んないでくださいよぅ! いいでしょ、ヴィサピロウ部分は回収できたんだから。バレルや付属品なんて運んでたら、それこそあのビルと一緒にぺちゃんこです!」
ちなみに、ライフルの本体構造部(ヴィザピロウと呼ぶらしい)を解体して運び出した自衛隊員は、他の隊員たちと一緒に別の車で出発していた。彼らの役目は一尉の護衛らしく、住宅街を抜けて調布方面へ走る俺たちのジープの後ろを走り続けている。
車内の喧騒とは別に、俺はステアリングを握りながら、ずっと空の影を追い駆けていた。
空では高速の二つの光が、交錯と反発を繰り返しながら飛翔している。肉眼でもはっきりと見える距離だ。二者の影が道路を横切るたび、俺は空を見上げる首を忙しなく動かした。
……実はまだ、俺の頭は、これが現実なのか夢なのか、判断しかねていたんだ。
アリアと呼ばれた少女の動きは、異常だった。
戦闘機に勝るとも劣らないスピードで突撃し、細腕には不相応なほど分厚い剣を振り回す。正直なところ、鮮やかな剣捌きとは呼べないだろう。だがその太刀筋は、剣自体の見た目の重さ、そして彼女自身の必死な形相と相まって、一撃一撃が乾坤一擲を思わせる力強さに満ちていた。
林立するビルの合間を縫って飛翔する魔法使いは、何とかアリアから距離を取ろうと流星のような光の筋を残して空を廻るが、ジェット機のような勢いで迫るアリアの速度と、二人を取り囲むように展開したF22戦闘機部隊の群れ、そして地上に配備された無数の10式戦車が上手く立ち回るせいで、その包囲網から逃げ出せないでいるようだった。
陸戦魔導士を用いた対魔法使い戦闘はヒット・アンド・アウェイだ。
アリアの突進がかわされると、タイミング良く地上と空中の同時一斉砲火が展開される。魔法使いの動きが止まったら、着弾煙にまぎれて再び剣を振り下ろす。そんな方法で、徐々に追い詰めていくのである。
――などと、口では簡単に言えるものの、実際の
魔法使いは無軌道に光のビームを放って回るし、戦闘機のミサイルと戦車の徹甲弾は雨あられのように四方八方から飛来する。その一発一発が簡単に人の命を奪ってのける致死量なのだ。火炎に
弾幕に晒され、灰塵を被り、それでもなお咆哮を上げて突っ込んでいく大きな剣と少女の身体。
そんな光景が、俺は不自然に思えて仕方がなかった。
「な……なんで、あんな子が、あんな無茶なことやらされてるんだ……?」
「あの剣――
俺の呟きを聞き取った美咲一尉が、真面目な顔になって俺と同じ場所を見つめた。
「魔法使いは、魔法で自分自身を守ってる。奴を包んでいるオレンジ色の球体、見えるだろ? あれが魔法障壁ってシロモノでさ、それが死ぬほど頑丈で、戦車の大砲やロケット弾程度じゃびくともしない。それを突破するために年間防衛予算の半分を投じて作られたのが、ネクロとあの剣だって話だぜ」
「で、でも、あんな子がその剣を振り回す必要ないじゃないですか。男の隊員だって……」
「知らねえよ。でも、あの剣の光輪を展開できるのは、ごく一部の『魔力』を持つ人間だけだ。だから、魔法使いと同等の力を持つ兵士――魔導士って呼ばれてる」
「魔力? それじゃ、あの子も魔法使いってことじゃ……!」
剣戟を当て損ねたアリアの袈裟斬りが、背の高いビルに激突した。
その瞬間、轟音と粉塵を上げて、ビルが斜めにずれる。
――剣の長さはせいぜい二メートル弱。いくら巨大な剣だとは言え、コンクリートビルに与えられる影響なんて、窓ガラスを一枚割る程度が関の山だというのに。
剣から発せられた緑色の光輝は、その常識の範疇を超えて。
袈裟懸けとまったく同じ角度に、自分の何万倍もある質量を、その一振りで両断のである。
「……な、信じられないだろ?」
俺が口をぱくぱくさせたのを見て、美咲一尉は呆れたように手の平を上に向けた。
「あんなんだけど、魔導士は人間だよ。ビルを両断するのも空を飛ぶのも、剣に内蔵された
空を睨みつけたまま、美咲一尉が唇を噛む。次の言葉を、恋子二曹が哀しそうに引き継いだ。
「仕方がないですよ。対魔法使い戦闘において、唯一魔法障壁を切り崩せるのが、魔法弾を撃てるネクロノミコンと、永遠剣を操る……魔導士だけなんですから」
銀に光る刀身と、透き通った碧色が、大空に弧を描く残像に、俺は僅かな痛みを覚えた。
なんだか、ちょっと――いや、かなり気に食わないシチュエーションじゃねえか。
空を仰ぐと、十分に距離を取った魔法使いが、掌の光弾を幾度も彼女に放っているのが見える。それ一発一発が必殺なのは周知の事実だ。そんな一撃死の灼熱を、彼女はなんとか剣で弾いているのが現状だった。
「お……おいおい、なんかヤバくねーか? あいつ、動きが悪いぞ」
「本調子じゃないんですよ。脳震盪のダメージを、薬で無理やり覚醒させているから……」
二曹の言葉が耳に痛い。怪我にムチ打って死線に投じさせている人間兵器が、あまつさえ俺より年下の女の子なんて、男としても人間としても気持ちの良いモンじゃなかった。
どんなに強い武器を持っていたって、あの子は女の子なんだ。
そんな子が決死の覚悟で戦っているのを、ただただ傍観しているだけなんて――。
「……んなワケにいくか、ってんだよ」
俺の歯が、ぎり、と鳴るのを自覚する。
口から突いて出たその言葉は、自衛隊員としての誇りからなのか、それとも――あのとき、あんな細い身体を抱き止めてしまったから、こんな無茶を思いついちまったのか。
俺は、足元に置きっぱなしになっていたアタッシュケースに手を伸ばす。片手でボードに引き上げ、蓋を開いて、そこに収まっていた馬鹿デカい拳銃――ネクロノミコンを手に取った。
「あぁッ!? おまえ、なんでネクロ持ってんだよ?」
一尉が後ろで驚嘆の声を上げるが無視する。
グリップをしっかりと握り締めると、僅かな低音のノイズ音。弾が入っているかどうか、チェンバーの中を確かめたいが、片手はハンドル操作で塞がっていた。
――ああ、もういいや面倒くせえ! 撃ってみれば判ることだ!
俺は左手でステアリングを固定し、開けた窓ガラスから右半身を乗り出して、ネクロノミコンを天空に向けた。
「「え?」」
という、一つ隣の駅へ行くつもりで乗った電車が実は特急で降りるべき駅を通り過ぎたときのような間抜けな感嘆詞が約二名分聴こえた気がしたが、俺はそれに気付くよりも早く。
空に輝くオレンジ色の光へ向けて。
ネクロノミコンのトリガーを――引き絞った!
「…………、あれ?」
弾丸が出ない。
「美咲一尉、弾が出ないんですけど……」
と、思わず頭を車内に引っ込め、トリガーから指を離した、その瞬間。
「わ、馬鹿! トリガーを離――!」
弾が出た。
……ジープの進行方向、真正面に向かって。
刹那。発射の衝撃波で、ジープが五輪の体操選手もかくやという見事な角度でバク転した。
「嘘だろおおおぉっ?」
あぁー、久しぶりに走馬灯見た。
一瞬だけ身体が天使みたいに軽くなったかと思ったが、次の瞬間にジープは屋根から地面へ綺麗に墜落。べこん! という音と共に窓はすべて砕け散り、外の光景は天地が逆転した。
シートベルトに宙吊りになったまま、重力で逆立った髪を払いもせず、一尉が一言。
「――離すな、と。ネクロ貰うときに聴いていなかったのか、貴様」
「…………というか、使い方の説明すら受けていませんでした」
「少なくとも、衝撃波がスゴイってことくらいは、あたしの見て知ってたよな」
忘れてました。
あぁ、一尉の眼が怒りに燃えていらっしゃる。死んだかも俺。
「二人とも! 早くジープから出てっ!」
緊迫した様子で二曹が叫ぶ。理由を聴く前に身体が動くのは、日々の訓練の賜物だろう。
這いずるように三人と一匹が窓から飛び出した瞬間、空から降ってきた高出力の光の束によってジープは瞬く間に溶け、そして爆発した。
ギリギリのところで爆発を逃れ、その衝撃波で地面に這い蹲りながら、黒煙の中から空を見る。
もう眼と鼻の先。俺に片手を突き出して浮かんでいるのは、魔法使いの少女だった。
「今のネクロの光で感づかれたんだ!」
二曹が叫ぶ。彼女にとって必殺の間合だ。だというのに、俺は別のところに気を取られた。
魔法使いを……彼女の顔をこんなに近くで見たのは始めてだった。
綺麗な顔立ちをしている。眼は大きく快活そうで、童顔に浮かぶ怒ったような表情も愛らしい。容姿においては、少なくとも人間と変わるところは何一つ見受けられない。
それなのに、への字に曲げられた小さな唇が紡いだ言葉は、
「――あんなアブナい光を使う奴なら、殺さなきゃ」
淀みのない残忍な日本語とともに、彼女の掌に魔法の光が収束した。
逃げて、とか、避けろ、とか声が聴こえた気がするが、もう遅い。
今度こそ死んだか、俺は――
――と覚悟を決めた瞬間、俺の身体がふわりと浮いた。
いや、ふわりなんて優しい感じじゃないな。真横から低空ですっ飛んできた疾風の腕に身体を抱え上げられ、そのままの速度で大空へと舞い上がったのだ。
「うわあっ! ちょ!」
地面が一気に遠ざかる。突然の浮遊感に狼狽する。
重力から見放された俺の身体は、あっという間に地上に取り残された二人が豆粒に見えるほどの高さへ。
俺を左腕一本で抱え上げた疾風の正体は、右手に剣を握ったアリアルド一尉だった。
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