第一話 -3

 多摩市までの所要一時間で状況を整理しておこう。戦況はこうだ。


 ――二〇五〇年三月二十九日、午前一時二十分。

 オーストラリア北部で魔法使い・国連呼称【八十二号】が発生。

 同日午前八時〇〇分、迎撃に乗り出した豪州艦隊を半日で壊滅させ、八十二号は北上を開始。インドネシア、パプアニューギニア、フィリピン沖を順次通過し、四月三日には日本の排他的経済水域EEZに侵入。和歌山県紀伊半島沖に接近した。

 日本国海上戦略自衛隊は国連軍と共に湾岸線に第一次防衛線を形成。本州上陸を阻み続けるも、翌四日には防衛線を突破され、静岡県御前崎市に上陸を許す。戦線を陸上戦略自衛隊に移管。

 翌日五日、八十二号はなおも北東へ侵攻。国際魔法使い観測機構W3ワースリー(World Witch Watchers)より正式に進撃予想地点が東京都新宿区であると発表され、静岡・富士間に第二次防衛線を形成。対魔法使い専門部隊である特務部特専師団、および魔導小隊が出動し、迎撃戦を繰り返すも翌日には防衛線崩壊。一時退却を断行する。

 そして、翌々日の早朝。前日に伊勢原・平塚間に設けられた第三次防衛線はご覧のとおり。

 四月八日午前十時二十分、最後の防衛線は多摩・川崎間最終ラインに移行する――。


『――魔法弾飛散、弾道確認! 地上の奴ら、たまには空を見上げて注意しろッ!』

 恋子二曹から貰って装着したヘッドホンの奥で、野太い男の声が響いた。

 どどん、という大爆発が南東から沸き起こり、衝撃波に車体が軋む。ハンドルはそのままに視線だけそちらへ向けると、すでに座間市も火の海に包まれていた。

 なんてことだ、このままじゃ……簡単に多摩市まで到達されちまうぞ?

「あ、見えた! あのビルです、美咲一尉のいる場所っ!」

 正面を指差して二曹が叫んだ。

 それは天に聳え立つ三十数階建ての高層マンション。周囲に幾つも同じ形の巨塔が居並ぶ中のひとつで、多摩ニュータウンこと市街地のど真ん中だった。

「あ、あんなとこにいるんですか?」

「大丈夫、市民は全員避難してます。そのロータリーから中へ。急いで!」

 回答になっていない回答に誤魔化されながら、俺はジープを高層マンションのロータリーへと滑り込ませる。

 建物の玄関前で急停止し、勢いよくジープから飛び降りた二曹の背中を追ってエントランスへ。ロビーまで一気に突っ切っていくと、エレベータの前に三人の完全武装した陸戦自隊員が待ち構えていた。彼らに向かって二曹が叫ぶ。

「魔導小隊所属、戸代二曹です。美咲一尉の潜伏ポイントまで誘導お願い!」

 は! と三人が敬礼を返して、エレベータのボタンを押した。すぐに扉を開いたエレベータに、俺と二曹はそのうちの一人と共に乗り込み、ごうごうと音を立てて上昇する感覚に任せた。

 俺は付き添いの隊員の武装を横目で見る。この隊員……肩に担いでいるのは、対人用の自動小銃アサルトライフルMP5だ。相手は魔法使いのはずなのに……、その生々しさにきな臭さを感じる。

「敵は、魔法使いだけじゃないってコトですよ」

 俺の不審そうな視線に気付いたのだろうか。少し困ったような顔で、二曹が口を開いた。

「魔法使いだけじゃない……って?」

「政治的な話ですけどね。日本が魔法使いに滅ぼされたほうが都合いいなー、って思っている国がないわけじゃないんですよ。それに右翼とか左翼とか、いろいろありますし。用心に越したことはないですから」

 あまりにも生々しい話が童顔の先輩の口から飛び出てきて、俺は少し唾を飲み込んだ。

 チン、という短いベルが鳴って、エレベータが地上二十階に到着する。

 広い廊下を真っ直ぐ進み、最奥のドアの前には、またもや一名の自衛隊員。二曹は敬礼もそこそこにドアを開き、ここまで案内してくれた隊員を置き去りにしながら部屋の中へと踏み込むと、そこは家具も何もない、本当にがらんとした1LDKの一室だった。

 そしてその、さらに最奥。リビングの壁の一面を切り取ったかのように大きく開け放った掃き出し窓の前で。

 自分の身の丈ほどもある長大な狙撃銃を構えた華奢な身体つきの自衛隊員が、カーペットの上で腹ばいになり、窓の向こうに広がる戦火の市街地へとその銃口を向けていた。

「マコちゃん、おまたせ!」

「やっと来やがったな、おせーよ恋子! 弾持ってきたんだろうなっ!」

 その隊員が、身体はそのままで首だけ振り向く。短い髪にベレーみたいな軍帽をナナメに乗せ、首にヘッドホンを引っ掛けた女性だった。

 歳は二曹と同じくらい……と思うが、やはり俺より年下のような相貌であることは違いない。窓の前の床面に固定したスナイパーライフルのグリップを小脇に挟み、さらにライフルに付属した革のベルトを自分の肩に巻きつけることで何とか体制を維持しているらしい。その太いライフルと彼女の華奢な腕の細さとの対比に、まるで夢でも見ているような錯覚がした。

「ん……恋子、なんだコイツ、どこのガキだ? こんなトコに素人連れてくるんじゃねえよ」

 俺の存在に気付いたらしい狙撃隊員が、ぎろりと睨みつけてくる。大和撫子にしてはなんたる目つきの悪さである。

 いや、双眸は女性らしい大きさと輝きに満ちているので、にっこり笑えば美人か美少女かという按配だろうが、今はともかくただひたすらにガン飛ばされているだけなのでどうしようもなかった。怖いとも言う。

 弾丸の入ったプラケースをライフルの隣に置いた恋子二曹は、困ったように苦笑しながら、

「朝、聖副隊が言ってたでしょ? 今日から小隊に配属された、新人クンです」

 え! とオーバーなリアクションを返した美咲一尉。引き金にかけていた指を俺に向けて、

「前線でバリバリのオッサンが入るんじゃなかったのか?」

 俺のどこをどう見て前線でバリバリのオッサンなのだろうか。

 恋子二曹は振り返り、わざとらしく人差し指を口元に当てながら、

「えっとー、新人クンって確かー、……二十八歳だよね?」

「……十八歳です」

 はあぁぁあー、と肺の中の空気をすべて吐き出すような壮大なため息をついた美咲一尉は、諦めた様子でスナイパーライフルに向き直った。

「あーもうダメだ。一気にやる気失くした。とっとと魔法使い殺して飲みに行くべ」

 酷い言われようである。

 一尉は慣れた手つきでケースから弾丸を取り出す。先ほど車内でも見た、黒塗りのカートリッジだ。スナイパーライフルの上部にあるチェンバーを手前にスライドさせると、その中から自動でカードリーダに似た構造の接続コネクタがせり上がってきた。

 そこに、美咲一尉はカートリッジを挿入する。LEDが灯り、あとはオート。出現手順の逆再生のようにコネクタは銃器の奥に飲み込まれ、チェンバーが戻り、電動で装填が完了した。

 次の瞬間、モーターが回転するような音がスナイパーライフルから発せられる。

 それはまるで息吹の如く。機動音を聴いた美咲一尉は楽しそうな笑みを浮かべて、口の端を吊り上げた。

「来た来た。これこれ、この音を待っていたんだよ」

 弾丸を取り込んだ途端に息衝き始める銃なんて……こんなのが『銃』なのかよ。

 今更だが、こんなスナイパーライフルは見たことがなかった。

 全長で一・五メートルはあるだろう。銃口に近いところに小さい三脚、トリガーガードの前に大きい三脚。バレルの長さだけでも一メートルはくだらない。

 残りの五十センチは女性が抱えるには危険と思えるくらい大きな本体構造で、おそらく電動式の射出機構と思われる。狙撃銃と言うより対物狙撃砲アンチマテリアルライフルに近いその図体を、一尉は抱きしめるようにして支えていた。

 では、なぜ俺がその銃を対物用ではなく、スナイパーだと一見で見抜いたかというと。

 その姿が、大きさこそ違うが、ショットガンとマグナムを足して二で割って超合金ロボの装甲を取り付けたような、そんな仰々しくも怪しさの漂うあの銃に酷似しているからだった。

『――美咲、弾丸の補充は完了した?』

 耳の穴の中に押し込んでおいたレシーバから響いた声に鼓膜が震える。獅子堂司令の声だ。

 首に下げていたヘッドホンをしっかりと耳元に掛け直した美咲一尉は、ライフルの上部に取り付けられたスコープを覗き込みながら、

「ああ、OK。装填完了。すぐにでも狙撃行動に入れる」

 身体をぐっと床に沈ませて、銃に身を寄せ、トリガーに指を掛けた。

 和やかだった雰囲気は刹那で凍る。

 彼女のその姿は、俺みたいな何も知らない一兵卒にも、彼女がどれほどの狙撃手なのかを理解させるほどだ。

 急激に張り巡らされた緊張の糸が、部屋の中に静寂を呼び込んでくる。耳の中のスピーカだけが、煩い戦場の炸裂音を伝達していた。

『――こちら狭山大隊。目標を作戦地点予備範囲内まで誘導した。狙撃手、目視できるか?』

 レシーバから声。今度は厳つい男性のものだ。俺は顔を上げ窓の外に視線を彷徨わせたが、遠くビルの向こう、小指の先にも満たない小さなオレンジ色の粒が忙しなく動いていることしか判らない。

 美咲一尉はライフルを構えた体制のまま、小さく唇だけを動かした。

「こちら魔導狙撃手。弾幕の煙とスモッグに隠れて目視できない。座標送れ」

『了解、ワン公宛てに座標データを送る。狙撃のタイミングを教えてくれ』

「了解、気象条件が整い次第、十秒前に通知する。うちのペットの声、聞き漏らすなよ」

 僅かな苦笑がして、通信は切れた。

「あの、美咲一尉……こんなときになんなんですが」

「あ? なんだよ、ぺーぺー」

 顔を一ミリも動かさずに答える美咲一尉。ぺーぺーって俺か。まあそれは良いとして。

 もちろんその銃のことも気になるが、それ以上に気になるモノが、実はもう一つ存在していた。

「あの……あそこで座ってる、えっと……イヌ? みたいな物体なんですが」

 俺が指差した先にちょこんと鎮座するのは、窓の外を凝視したまま微動だにしない小動物の姿だ。

 体長は約五十センチほど。頭のてっぺんから後ろ足の先までもこもことした栗色の体毛に覆われており、一見すればトイプードルと遜色ない外見ではある……のだが、

「ああ、サイクロのことか? 気にすんな。あたしのペットみたいなやつだから」

「いえ、その……尻尾が、というか、しっぽっぽいモノが……」

 本来、ふさふさの尻尾であるべき場所の部分から延びた黒いケーブルが、ライフルの外部コネクタに接続されている状況を見てしまって、なんと言うか、切ない気分になってしまったのだ。

 そんな俺の心中を察したのか、二曹が小声で教えてくれた。

「小隊で採用している自律性観測ナビゲータなの。サイクロイドが正式名称なんだけど……」

「簡単に言うと、ロボ犬」

 さすが美咲一尉、分かりやすいにもほどがある解説だった。

 つまるところの、狙撃手に随伴する観測手の役割を、このロボット犬が行っていると言うわけだ。だが、こんなやけに見た目の生々しい犬型観測手を連れてスナイピングなんて、これじゃまるでタチの悪い冗談――、

「――見えた!」

 俺の茫洋とした思考は美咲一尉の鋭い一言によって、急激に現実へと引き戻された。

「サイクロ、カウントダウンだ。空気抵抗による弾道の歪曲補正はおまえに任せる。指揮所HQに通知しろ」

 人間の言葉が分かるのか、見た目は完全にリアルワン公のサイクロが、僅かに頷いた。

「ヴィザピロウ展開開始。射出工程シークエンスに入る」

 ――そう一尉が呟いた、次の瞬間だった。

 急にモーター音が高くなったと思ったら、銃身が緑色の眩い光を放ち始めたのだ。

 光が収束して現れたのは、三つの光輪。

 蛍光灯のような円を描く発光体が、まるで銃身を律するように取り巻いて回転を始める。

 そこから発せられるのは、禍々しいほどに強い光。部屋中の色彩をエメラルドグリーンに染め替えるほどの光量で、圧力さえ感じる光輪の輝きに、俺は光に質量があるのかと錯覚するほどだ。

 はじめはゆっくりと廻っていた光輪も、たった数秒で加速度的な回転数にまで到達する。一尉は歯を食いしばり、顎を引いて、銃身から発せられる圧倒的な圧力に耐えながらもスコープを覗き込んでいた。

 こんな兵器、見たことも聴いたこともない――!

「ネクロノミコン臨界! 射出準備完了!」

 回転音に負けぬよう、一尉が大声でヘッドホンのマイクに伝える。その一言が、無線の向こうの自衛隊各員を一気に騒ぎ立たせた。

『ネクロノミコン臨界確認! 繰り返す、ネクロノミコン臨界確認!』

『影響法線上に現存する航空機は直ちに退避せよ! 急げ!』

『B6分隊退避! 分隊退避だ! ビルの陰に入ったって無駄だぞ、生き延びたけりゃ伏せやがれッ!』

 耳のレシーバでは、通信網の大合唱。

 緑色の光は次第に強さを増し、光の回転は怒涛の風圧を呼び覚まし、肉声は意味を持たなくなった。

 だから俺は、「伏せて!」と叫ぶ恋子二曹の声も、耳に届かなかったに違いなかった。

『カウント! 3、2、1――ッ!』

 かちん、というトリガーの音だけが、やけに鮮明で。


 大爆音と共に、とんでもない質量の光弾が銃口から放たれた瞬間を、俺は爆風に吹っ飛ばされながら目撃した。


 瞬く間に空を切り裂き、数キロ先の橙色の光へと伸びるネクロの光弾。拳銃から放たれた弾が眼で見えなくても、銃弾よりも早く飛ぶ音速飛行機は肉眼で見えるのと理屈は同じだ。

 ねじ切るようにして空を突き進む閃光は、瞬く間に魔法使いへと到達し、

 そして――。


 橙色の光を、貫通した。


ったかっ?」

 埃舞う中、一尉がスコープから顔を上げて彼方を見る。誰もがそう思ったに違いない。俺も叩きつけられた床から身体を起こし、その爪痕を確認しようと眼を凝らした……のだが。

 俺は、はっきりとこの眼で見てしまった。


 ビルとビルの合間に浮かぶ、小さくて幼い、少女オレンジの姿を――!


『は……外れた! B6分隊からHQへ! ネクロの魔法弾は外れましたッ! 魔法使いの野郎、あの光を、よ……避けやがったぁっ!』

 レシーバが、現場の自衛隊員の絶叫を伝播させた。

 通信を皮切りに、魔法使いの影がぐんぐんと大きくなる。眼の錯覚でないとするならば――。

『も、目標前進! 目標前進! 方角は北北東、多摩・日野方面! 狙撃ポイントへ向かっていますっ!』

『なんだこれ……とんでもない速度だッ! 観測できない――』

『美咲、狙われているわ! 総員退避ッ!』

 獅子堂司令の声が耳の中に響くが、それを聞いたときには、もう遅かった。

 数キロという離隔距離を一瞬のうちに飛翔して、橙色の光は俺たちの眼前――ビルの窓から十数メートルの位置にまで到達していたのだ。

 ここまで近づかれてしまえば、橙色をした球状の膜の中に浮かぶ少女の面影は、はっきりと視認できる。

 それは、数刻前に見た彼女とまったく同じ。長い髪を左右に束ねた、十二、三歳の少女の姿。

 しかし、それが普通の少女でないことは、もう十分すぎるほど理解している。

 炎と噴煙で赤く染まった空を背景に、こちらを怜悧な眼で見下ろす彼女が、このまま穏便に俺たちを逃がしてくれる可能性は1パーセントもない――。

「に……逃げるぞ……ッ!」

 伏せていた一尉が急いで立ち上がろうとするが、それがあまりにも滑稽な行為であることは明らかだった。

 ――奴は戦闘機をも一瞬で消し炭に変える化け物だ。今から一秒以内に部屋から出てエレベータに乗って一階まで降りろと言うつもりか? 鉄より柔らかい肉の塊が、どうやってあの光速から逃げろって言うんだよ!

 そんな慨嘆を叫ぶより早く。

 可憐な少女の姿をした魔法使いは、赤い瞳で俺たちのほうを睨んで。

 無慈悲に、――まるで目障りな蟲でも払うかの如く。

 強烈な光を纏った右腕を、俺たちにめがけて振り下ろした。

 さっきまで緑色に染まっていた部屋が、今度は橙色の光に打ち消される。

 視界すべてを埋め尽くす光の本流。凄まじい光と音が、俺たちの真上を通り過ぎていく。ビルの耐震鉄筋コンクリートなんて紙みたいなもんだ。部屋の天井から上が根こそぎ吹き飛んで、あらゆる有形無形が塵と化す。

 魔法使いは上段から袈裟懸けに薙ぎった。だから、天井が溶ければ次に溶けるのは俺の番だ。

 そこに至る時間は本当に一瞬。だから、きっと痛みもなく蒸発するのだろう。

 痛くないのは良いことかもしれないけれど――。

 にしても、嗚呼、畜生。こんなトコで終わりってマジかよ。まさか、転任して十時間も経たないうちに殺されるなんて――、

 

 ――と、続けようと思っていたのだが。

 次なる大音量の後、目の前で、その橙色の光は二分して飛散した。

 光にくらんでいた眼を二、三度瞬かせて、周囲を見る。天井どころか周囲の壁すら瓦礫と化した部屋。無事なのはカーペットが敷かれた床だけで、ここを天国と呼ぶには些か殺伐としすぎている。

 ……何の奇跡が起こったのかと、思った。

 奇跡の正体は、俺と、美咲一尉と、恋子二曹が見つめる先。

 数瞬前までは窓であったはずの瓦礫の上に、一人の人間が立っている。

 赤みを帯びた銀の長髪。鶯色の迷彩服に身を包み、ニーソの膝までを隠す薄手のスカート。

 両のかいなが包む中には、身の丈よりも長く分厚い、鍔のない両刃の剣。

 こちらに背を向け、文字通り魔法使いの光を”斬った”らしい、その大剣を、魔法使いが浮かぶ空に向かって構えるその麗姿は。

 まさしくあのとき――空から降ってきた、一等陸尉の眠り姫だった。

「アリア、ナイスタイミンっ!」

 一尉の声に、彼女が僅かに振り返る。凛としたその横顔に、かつてのか弱そうな面影は微塵もない。

 彼女は顔を前に戻し、一度、その手の大剣を片手で振った。

 同時に、緑色の光を放ち始める彼女の大剣。光はやがて一筋の輪に収束する。その光の姿形は、一尉の銃のそれと良く似ていて。

 まるで剣の鍔代わりだと云わんばかりに、眠り姫の手元に収束した光のリングは、周囲を震わせるような唸り声と共に激しく回転を始めた。

 彼女は、ぐ、と膝を曲げて上体を下げる。

 その視線は、十数メートル先の彼方。不倶戴天の小さな悪魔。

 空を仰いだ彼女は、床以外の何もかもが消し飛んだ部屋に、一陣の風が迷い込むのと同時に。

 宙へ――その身を躍らせた。

「な! ここ、二十階っ!」

 咄嗟にそんな素っ頓狂な声を上げた俺は馬鹿だ。

 だって、彼女はそのまま――まるで風を掴むようにして、空を一瞬で駆け昇ったのだから。

「と、飛んだっ?」

 俺は思わずベランダに飛び出す。彼女はロケット砲のような速度で魔法使いに肉迫し、大振りな太刀を下方から斬り上げた。

「ひっ!」という短い叫びは魔法使いの声だろうか。

 空中で反転し、ぎりぎりのところで斬撃をかわした魔法使いは、凄まじい速度で後方へと退避した。

 それを、我らが眠り姫は追い駆ける。剣を軸として浮かぶ光のリングが、緑色の軌跡を空に描く。すでにその表情は窺えないほど遠いけど……漠然と、鬼神のようだと俺は思った。

 と、そのとき――直下型地震のような衝撃が、俺たちの足元を揺るがした。

「み、美咲一尉っ! 今の衝撃で、ビルが崩れます!」

 部屋の入り口から、慌てた隊員の声が響く。恋子二曹が眼を丸くして声を荒げた。

「ええっ? アリアルドが防いでくれたんじゃなかったのッ!?」

 それを聞いた一尉はサイクロイドを抱え上げながら、

「馬鹿レンコ! 剣で斬ったからって、攻撃のベクトルがそっくり消えるはずねーだろが! 上と左右が吹っ飛んでんだから、下も吹っ飛ぶ寸前なんだよ!」

「スイマセンねお馬鹿で! キラセくんも早く! ここは陸戦魔導士に任せて!」

 皆が次々と廊下へと飛び出していく。地響きの鳴る中、俺はもう一度だけ振り返った。

 空を飛び交う二つの影。片方は橙色に輝き、もう一つは緑色に輝く二筋の光。

 アリアルドと呼ばれた眠り姫。彼女が――、

「あの子が、陸戦魔導士――!」

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