第310話 『White lie』 2

 

 この手が届く範囲なら、『守ってみせる』と約束した。


 女神の肉体というだけでチートな存在なのに、いつしか分不相応な想いは抱かないと殻に閉じ籠った俺の心を解き放ってくれたのはセイナちゃんだ。


 家族は基本的に俺に甘い。『肯定』が当たり前で『否定』はない。


 アズラですら自分自身の未熟さに充てられて、俺を叱ることは少なくなった。背中を追いかけるなんて言われても、悲しだけなのにね。


 ーー彼女セイナは光だ。それはきっと俺だけじゃなく、道化シュバリサにとっても。


 あの子の笑顔には嘘がない。

 あの子の願いには利己がない。

 あの子の行動には欲がない。


 でも、そんな完璧な人間ではない事を知った上で思う。

 当たり前の事を当たり前に出来なかったから『歪』に育ってしまったんだ、と。


 俺が手を伸ばして、伸ばして、伸ばして、伸ばして、伸ばしきって届いた先はーー


 __________


「ーーーーグッ!!」

「うらああああああああああああああっ!!」

 右手首を斬り落とし、朱雀の神炎でピエロの肉体を灼く。振り下ろされた小太刀を蹴り上げると同時に踵を落として仮面を割った。


 三日月を描くような口元を表現した喜悦の仮面が半分に割れて、コトンっと音を立てて地面に落ちる。


 目に飛び込んだのは漆黒の瞳。白目を塗りつぶされて闇に堕ちたと想像に容易い程の黒。だが、会話など不要。


 ーーガギイィィィィィィィィィィン!!!!


 左腕を両断しようと振り下ろした『深淵アビスの魔剣』の斬撃を受け流し、逸らし、更には俺の斬り上げを利用して重たい剣戟を跳ね返して来る程の膂力。そして、それを成し得る技術。


(こいつ……やっぱり実力を隠してやがった)


 凡そ、『悪魔デモニス』と制約か契約の縛りを受けていたのだろう。明らかに桁違いな程動きが違う。

 先程斬り飛ばした右手首は既に再生しており、まるでザンシロウを相手にしているかの様な手応えを感じた。


 ただ一つ違うのは、血反吐を吐く様な研鑽を道化こいつが積んでいるという事実。


「初めて屋敷で出会った時とは大違いだな! なんであの時に俺を仕留めなかったんだ?」

 俺が思い起こすのは最初の邂逅。この実力があれば、当時の俺を殺すことは簡単に出来た筈だという疑念。


「私は、俺は今契約を破っているんですよ。貴方達人間的に言うなら、『生命力』を削っている状態とでも言うんでしょうかねぇ」

「……珍しいな。お前が本当の事を言うだなんて」

『女神の眼』は常に発動していたが、こいつ相手にはいつも何処か靄が掛かっていた。でも、今はそれがない。即ち嘘を言っていない。


「最後くらい良いでしょう? どうせ貴女も死ぬんですからねぇ〜〜!」

「お前もしかして……『闇夜一世オワラセルセカイ』が視えてるのか?」

 見え麗しい俺が化け物なんて呼ばれる謂れはそれしかないと気付いた直後、思わず口から漏れた。


 道化は無表情のまま小太刀を振り続け、隙をみてはクナイを死角から投擲しつつ瘴気を肉体から溢れ出す。


「私の契約した五大悪魔のリミットスキルは『忌避の魔眼』と言いましてね。最初から視えていましたよ。ーー化け物オマエが今まで食らった魂の蠢く様がねぇっ!!」

「〜〜〜〜ッ⁉︎」

 俺は防御しつつも流行る心臓の乱れを抑えきれず、身体が一瞬硬直してしまった。その際に鎧の隙間を縫う様にしてピエロの一閃が脇を裂く。


「ーーグハッ!!」

「過ちを突きつけられて心が動揺する。罪を指摘されて肉体が硬直する。何が『女神』ですか⁉︎ お前なぞに誰も救えはしない! エルムアの里の民は死に、無垢な少女は犯され、勇者が大切に想っていたシルミルのメイドも死んですよ!!」

 地面に膝をついた俺の背中を激痛が襲う。次の瞬間には顔面を蹴り上げられ、胸元を掴まれながら拳が幾度も振り下ろされた。


 ーーなんでだろう。力が抜ける。


「だま、れ……」

「化け物が夢を見るな! この世界に女神はセイナ一人で良いんですよ!! 血に塗れたお前に救える命なんてないんです! ーー私が全て殺してやりますからねぇ!!」

 何でだろうね。こいつの言ってることが滅茶苦茶だって頭では理解出来てるんだけど、どっか自分でも納得しちゃう所があって手が出ない。


「大切にしている家族も、この後レブニールに殺されるんですよ!!」

 ーーブツンッ!!

 あぁ、俺の頭の中で何かがキレた音がした。

 振り下ろされた道化の拳を受け止め、握り締めて潰す。何を勘違いしてたんだろうと思考が働き、冷静になれた。


「……お前さぁ、何様?」

「ーーーーッ⁉︎」

 俺は道化を引き離す様に体を捻転しつつ、露わになった左顔面に剣の柄を叩き込んだ。メキメキと音を立てて頬骨が砕け、苦痛に喘ぐ姿を見下ろす。


「俺は確かにクズかもしれんけどね、お前には言われたくねぇな〜〜? これが同族嫌悪ってやつか? さっき言ってた人達も、お前がいなきゃ死ななかっただろう? なんで俺のせいにしてんだよ」

 エアショットで憎々しげに俺を睨みつけるピエロの背中をくの字に折り、両足を切断した後に一度背後へ飛び退いた。


(ナビナナがいないとやっぱり俺は駄目だなぁ……)


 俺の精神は脆い。何か天秤の様な図か、正解を指し示されていなければすぐに揺れてしまう。若干自分自身に呆れつつ、それでも改めて立ち上がろうとしていた敵を見つめた。


「セイナちゃんは俺が助ける!」

「……都合のいい夢を見せるのはやめて貰いたいですねぇ。迷惑です」

「お前に何が出来るんだよ!」

「『女神』擬きには出来ないことが出来ますよ? その為に私は『悪魔』なんて醜悪な存在に堕ちたのですから」

 仄暗い表情で俺を見下ろす男に、迷いや躊躇いなどといった人間的な感情を求めるのは不可能だと悟った。


 ーー待ってて。セイナちゃん。


次元魔術ワールドポケット』から『巨人殺しの大剣レイグラヴィス』を取り出すと、女神の翼の形状を変化させて握る。


 ナビナナがいない以上『天照アマテラス』が使えない為、現状の俺が用いる近距離での最大攻撃で斬り裂くしかないと判断した。


「死ね!」

「……」


 ーーザンッ!!


 一斉に振り下ろした斬撃を、何故かピエロは避ける事もせず、寧ろ迎合するかの様に受け止めて四肢をバラバラにした。

 首を刎ねて致命傷だというのにも関わらず、どこか達成感を帯びた表情を浮かべている。


「……私の『勝ち』ですよ。化け物」

「もう、喋るな」

 俺はこれ以上心を乱される事を嫌い、『朱雀の神剣』の切っ先をストンと顔面に落とし、再生出来ないように肉を灼く。これで終わりだと思えない程にあっさりしすぎて、拍子抜けしたくらいだ。


 燃え盛った死体が灰になるまで見つめた後、背後に違和感を感じて振り返った。それと同時に地震が起こったかのように城全体が激しく揺れ始める。


 ーーズズズズズズウウウウウウウウウウウウウウウウウンッ!!


 ボロボロと崩れ落ちる帝国アロの城の中で、俺はセイナちゃんの気配が徐々にこちらへ近づいて来るのを感じていた。

 まるで高速で移動しているかの様に。


『奈々!! 一体何が起こってるんだ⁉︎』

『ごめんなさい。自分の目で見て判断して欲しいの。ただ一つだけ言えるのは、もう彼女を彼女だと思ってはいけないって事だけ』

 念話で離れた場所にいる奈々へ問うと、意味深な答えしか返ってこなかった。


 揺れる地面の先から破壊音が響き、こちらへ近づいてくる『何か』に対して嫌な予感しかしない。


「〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎」

 それは一瞬だった。俺は不意を突かれ、せり上がった地面から伸びた緑色の手に掴まれると力のままに放り投げられる。

 ガンガンと音を立てて城壁を突き破り、空中に投げ出された先で翼を広げて静止した。


 攻撃を受けたのは理解しているが、踏ん張りが効かない程の圧力に驚きつつ、元いた場所に視線を送る。


「なん、だ、アレ?」

(嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ)

 俺の脳内が痺れる様に混乱しているのが分かる。レブニールより遥かに大きい七メートル程の巨躯。手にしているのは輝きからして『神の鉱石ルーミア』を使用した俺の身長の二倍はありそうな大剣。


 あの怪物の構成が、分かりたくもないのに分かってしまう。


 Sランク魔獣の頭。この国の王バッシュハルの脳。伝説の巨人の肉体。悪魔の精神。そして、それを繋ぎ合わせている鍵であるコア。俺を殺す為だけの生物兵器。そしてーー


 ーー肉体の中心部には、穏やかな表情のまま両手を組んで祈りを捧げている聖女セイナの姿があった。


「嘘だああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 俺は絶叫する。そして絶望する。


 漸く奈々が顔を背けた意味を理解した。でも、知りたくなんてなかったよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る