第292話 『人馬一体』

 

 ーーグルルルルルルルルルルルルッ!!


 口元から溢れる焔は、人間など軽々と燃やし尽くす程の熱量を秘めており、硬くて鋭い爪は、肉など一払いで抉り取る。

 火竜王アマルシアは古竜の一匹である事に誇りを抱いており、強く、故に優しかった。


 だからピエロ仮面の男シュバリサは帝国アロの至宝『人形繰りの魂パペットマイスター』を使用して、『味方の認識阻害』と『幼竜殺害』の暗示を掛けたのだ。


 火竜の瞳に宿るのは憎悪。そして悲哀だった。何故か抵抗もしない敵を鋭い牙で貫き、そのまま掌に握り潰すと骨を砕いた。


「残りの敵はあっちですよ〜?」

 アマルシアは道化が指差す方向を睨み付けると、真っ赤な翼をはためかせ、瞬く間に獲物であるシルミル軍の上空へと舞う。

 だが、『火竜の吐息ブレス』で雑魚を一気に滅ぼし尽くしてやろうと呼吸を溜めた瞬間、肉体は硬直した。


 ーーズアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!


(な、何が起こったのじゃあ⁉︎)

 火竜の視界の数メートル先を下方から眩い閃光が過ぎ去り、まるで柱の様に天と地を繋いだ。狂った精神状態でも一眼で理解する。

 直撃していれば、大ダメージを負っていただろうという純然たる事実。


「……離せですの」

「ーーーーッ⁉︎」

 突如小さく、だが重々しく呟かれた一言。アマルシアが驚愕に目を見開いて向けた竜爪の先には、圧倒的な闘気を放ちながら小さな牙を覗かせた幼女がいた。

 カチッと、何かのロックを外した音を聞いた直後に、火竜の右手の指先に激痛が迸る。


 幼女から撃ち込まれた一発の光弾。爪ごと指がへし折られた事を認識するまでの僅かな時間の隙間で、握っていた騎士は奪われた。

 そのまま肩に己の獲物を担ぎ、悠々と空中を下降している獣人の幼女の姿を見て、アマルシアの思考は更なる怒りに染まる。


『許さんぞ虫ケラがああああああああああああああああ〜〜!!』

「……うるさいですの」

 咆哮と共に発せられた念話を受けて、イザヨイは軽く首を鳴らした。気怠そうに溜息を吐くと、一旦ヘルデリックを空中に放り投げ、両肩口から再び『二丁神銃ロストスフィア』を抜き去る。


 紅い銃身。宝石の彩りを反射しながら煌々と神気を纏わせた、ーー神々の武器は美しかった。

 イザヨイは地面に向かって下降しながら身体を反転させると、女神とドワーフの巫女による能力制限を解除する。


「骨ボッキボキになれですの……」

 トリガーに指をかけて冷酷に宣告された一言の後に、極大の紅輝が天を貫く。火竜王は一連の動きを経験則から先読みして、炎球を放って対抗したが無意味。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎」

 一瞬で自らのブレスは散らされ、全身を呑み込まれると共に翼が捻じ切れる。手脚の骨から竜爪の先までが、文字通り『粉砕』された。

 全身を撃ち抜かれた即死レベルの激痛から、叫び声を上げる前にアマルシアは意識を閉じる。


 ーーそしてイザヨイの一撃は、繰り広げられていた戦闘を大地から観戦していた帝国アロの兵士達の顔から、ニヤけた余裕ある表情を抜け落ちさせた。

 同様にマジェリス、フォルネの両姫はアマルシアが死んだのでは、と真っ青になっている。


「ねぇ、僕達ってやっぱり来る意味あったかなぁ?」

「クラドはまだ良い。僕なんて何かあったらイザヨイ様を止めなきゃいけないんだぞ。無理だよね? あれって結構怒ってる時のレイア様そっくりじゃん。微笑が無いだけ余計に怖いじゃん」

「うん……瞬殺だろうね」

「だよね……どうしよう。影の中に逃げようかな」

 タロウとクラドが遠い目をしながら空を見上げていると、地上に降り立ったイザヨイは降下するヘルデリックを受け止め、愛おしそうに抱きしめる。


 ーーズウウウウウウウウンッ!!


 土煙を巻き起こして崩れ落ちた火竜はピクピクと肉体が痙攣しており、瀕死の状態だが生きていた。


「フォルネ! 一緒にヘルデリックの回復ですの!!」

「は、はい!!」

 叫びに近い命令を受け入れ、フォルネは走る。イザヨイは腰元のポーチから、女神とエルフが協力して絶賛実験中の『この世界じゃ高級だけど、安く作っちゃおうぜ回復薬』を取り出すと、ヘルデリックの肉体に振り撒いた。


「これって、私の治癒魔術必要ですか⁉︎」

「良いから急いで『ディヒール』ですの!!」

「はい!」

 先程の光景を見た後ではフォルネに反論の術はなく、見る見ると傷口が塞がっていく騎士団長に治癒魔術を重ね掛けする。


 ーーその効果は凄まじいの一言。ヘルデリックはまるで若返ったかと言わんばかりに、肌を艶々とさせながら、勢い良く目を開いた。


「なんだ……力が漲る」

「おはようですの! ヘルデリックは弱っちいから、イザヨイが助けに来たんですの!」

 起き上がった直後、踏ん反り返って両腕を組みながら胸を張るケモ耳幼女の姿を見上げた騎士団長は、込み上げる感動に涙を流した。


「わ、私の為に……イザヨイが来てくれるなんて……」

「えっへんですの! ペットの為に身体を張るのはご主人の務めだって、パパが言ってましたの!」

「私の事を、まだ馬だと思って下さるのですか⁉︎」

「当たり前ですの! 最近シルバにばっか乗ってたから、ヘルデリックの背中が恋しい季節? 年頃? ってやつですの!」

 その会話を聞いていたフォルネの眼前では、まるで騎士の忠誠を誓う様に、幼女の為により低く頭を垂れるシルミル騎士団長の姿があった。


(何でだろう。何かが間違っている気がしてならないわ……)


「ところで、あの雑魚達に虐められたんですの?」

「ハッハッハ! 恥ずかしながらずっとあっちにピエロ仮面の男が率いる本隊がいましてな。これが中々に手強い!」

「イザヨイでも勝てないくらい?」

 口元に人差し指を当てて、まるで『キュルン?』なんて効果音が響きそうな程に瞳を潤ませる幼女を抱き上げると、ヘルデリックの瞳にかつてない意志の炎が宿る。


「人馬一体! 我等に向かう所敵無しですぞ! イザヨイは思う存分に私の背中で力を奮って下され!!」

「わぁいっ! 敵の骨バッキバキですの〜!!」

 フォルネは一連の流れを聞いた上で、一人取り残されていた。


(何⁉︎ 何なのこの二人の会話⁉︎ 成り立っていない様で、二人の間では通じてるの⁉︎)


 ヘルデリックは筋肉を隆起させ、自らの鎧を剥ぎ取って敏捷性を更に高めるとまるで馬の様に吠えた。イザヨイはいそいそとポーチから手綱付きの轡を準備すると、口元に噛ませて満足気に頷く。


「ハイドオオオオオオオオオオオオッ!! ヘルデリックですの〜〜!!」

「ヒヒィィィィィィィィィィィン!!」

 シルミル軍団長は四つん這いになりつつも、背中の安定感を損なう事など無いように極限の集中力を見せた。

 丸太を乗せてあらゆる場所を駆け抜けた日々。その鍛錬の成果を発揮する時が来たのだ。

 イザヨイはよいしょっと背中に跨ると、一瞬だけ満足そうに頷いてヘルデリックの頭を撫でる。


「なんだあいつら? 馬鹿なんじゃねぇの?」

「頭がおかしいとしか思えんな」

「油断するな。火竜を倒したあの幼女の実力は本物だぞ」

「武器の性能だろう。こちらの数は一万近い。更には後続に本陣があるのだから、負ける要素など無いさ」

「あの獣人の幼女……捕縛したらちょっとは味見しても良いんじゃね?」

「隊長が倒れてる今なら、咎める者もいないだろ。俺はシルミルの姫を貰う」

 帝国アロの兵士達は、幼い頃から勝利こそが正義だと教え込まれていた。敗者に対するモラルなど一切無く、全てを奪って良いのだと純粋に信じている。


 かつてレイアはマリフィナ軍を殲滅した際に、その心の一端を覗き見て心底嫌気がさした。故に反省など必要ないと判断して、『天獄テンゴク』による女神の断罪を行ったのだ。


 そして今、イザヨイは『超感覚』による嗅覚と聴覚により、レイアと同様の想いを抱いている。


「気持ち悪いですの。ヘルデリック、イザヨイがやり過ぎたら止めて欲しいですの」

「御意。お好きな様に振る舞い下さい」

「……ありがとう」


 ーーヒイィィィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!


 突如、笑い声さえ聞こえるふざけた戦場に耳を劈く様な高音が鳴り響く。一体何だと兵士達が一斉に向けた視線の先では、獣人の幼女が先程火竜を撃ち抜いた時の閃光を、どんどん膨らませていた。


 二丁の銃口の先には直径三メートル近い極大の光球が出来ており、両隣に並んでいる。バチバチと音を立て、今にも当たって弾けてしまいそうな程に臨界点を迎えた『ソレ』は、幼女の無慈悲なる宣告と共に爆散した。


「パパ達にも内緒の『必殺』技ってヤツですの! 弾けろ『極大光煌球ノア・ブラストレイ』!」

 合図を待っていたかの様に神気で作られた双球は重なり合うと、周囲を激しく眩い光が包み込む。音は無く、兵士達が目元を塞いだと同時に、その身は高熱を発する閃光に焼かれた。


 何が起こったのかを理解する事が出来たのは、最後尾で偶然にも革靴の紐を結んでいた兵士ただ一人。顔を伏せ、上げるまでのほんの僅かな時間で自軍の兵士達は全滅しており、肉を焼く異臭だけが漂っている。


「ぎゃああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 堪らずに叫び声をあげ、腰を抜かして失禁しながらズルズルと後ずさるが、その額には銃口が突き付けられた。


「運が良いですの。ご褒美をあげますの」

「嫌だ、嫌だ嫌だあああああああああああああああ〜〜!!」

「……うるさいですの」

 それは兵士からすれば死の宣告に等しく、顎が震え過ぎてガチガチと音を立てながらひたすらに懇願する。イザヨイはウンウンと頷いており、ヘルデリックは凄惨な光景を目にしても満面の笑みを浮かべていた。


(至福の時とはこの事だな……)

『イザヨイと仲良くなる』という目的が、シルバに嫉妬するあまり、いつのまにか『イザヨイの馬になる』にすり替わっていた事にも気付かない男はブレないのだ。


「バァンッ!!」

 イザヨイはこれがご褒美だと言わんばかりに、口で発砲音を真似しただけなのだが、兵士はブクブクと泡を吐いて気絶していた。


「さて、こんな雑魚に用は無いですの。タロウ! 本番ですの!」

「はいはい。さっきから影に潜んでましたよ」

「ふむ。良いスキルを持ってるな少年。今度ご教授願いたい」

「リミットスキルなんで、覚えるのは無理だと思いますけど……」

「なぁに。人間努力して成せぬ事は無いのだ」

 呆れた視線を向けるタロウに、ヘルデリックは尊敬の念と共に野望を抱く。影に潜んでいられれば、いつでもイザヨイの側にいられるからだ。


「二人共話は後ですの。コヒナタママから、ピエロには気をつける様に言われてるんですの」

「はい。油断せずに行きましょう」

「……」

 ヘルデリックは無言のまま考えていた。何故自分は操られなかったのか、と。推察は大体固まっているが、実証してからだと顔を上げる。


 イザヨイは大きく深呼吸して気合いを入れた。『不殺』は兵士達のみ。ピエロに関してはリミッターを解除して、今後一切家族に手を出せない様にするつもりだからだ。


(ママ達を泣かせた罪。ーー死で贖えですの)

 沸々と込み上げる怒りが空気を震わせる。タロウは休暇が欲しい為にこんな場所へ来た事を、心底後悔していた。


「僕、生きて帰れたらメムルさんに告白するんだ……」

 勝手にフラグを立てるタロウを見つめながら、クラドは小さく頷いた。


(多分フラれるからやめた方が良いよ……)

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