第274話 細い指を絡めながら、どうしようもなく彼女は泣いた。
レイアは『闇夜一世』を発動させ、かつて竜の山を喰らい尽くした第四柱までの封印を解除した状態でも意識を保っていた。
自らの手をそっと伸ばすと射線上にあった襖に円形の穴が空き、逃走する
「普通、鬼ごっこならお前が俺を追うべきだぞ?」
「遠慮させて貰う! 余はこれでも慎重に物事を判断する
「あっそ。悪いが今回は降参って選択肢をお前に与えてやれないんだよ。シナノちゃんが目覚める前に喰らう」
「ーー化け物め!!」
マサミツはハッキリと理解した。いつもは『全吸収』という圧倒的な固有リミットスキルで邪魔な者を排除して己が、この時を持って『捕食者』から『餌』へ立場を落とされたという事実。
背後に迫る闇を避けるように、城の天守閣を破壊しながら逃げ続けた。
「……ふむ。試してみるか」
建物の木材が黒手に触れた瞬間に消失した光景を目の当たりにして、
自信はあった。女神が発する力がスキルの類であれば、吸収は可能だと判断したのだ。逃走をやめて背後に振り返ると右手を翳す。
「来い!」
だが、ちっぽけな自信は瞬時に打ち砕かれた。マサミツは見てしまったのだ。まるでこの時を待っていたと言わんばかりに、口元を三日月につり上げる女神の邪悪な微笑みを。
(〜〜〜〜ッ⁉︎)
一気に右腕を引き抜くが、肘から下は既に喰われていた。恐ろしいと思ったのは痛みが無かったからだ。
元々『右腕など無かった』とさえ思わせる程自然に消失した腕を見て、マサミツは喉を鳴らす。
逃げるならば上か、下か。そんな単純な判断を戸惑う程に焦燥した経験は生まれてこの方無い。
木造の階段を一気に飛び降りて階下へ降り続けると、突如眼下には闇が広がっていた。驚愕に目を見開きながら、真横の壁に腕を突き刺して落下を止めて難を逃れる。
(何だこれは⁉︎ 何をした女神⁉︎)
レイアはマサミツが下へ逃れると先読みし、足元から階下へ先回りするように黒手を伸ばしていた。罠をはる狩人の様に強かに、慎重に。
「お前は逃げられないよ。今回はチート全開だからね」
「……くそっ!!」
鬼王は腰に差していたシナノの父の
レイアは凄まじい剣速だと眼を見張るが、同時に軽く溜息を吐いた。
「やっぱりらしくない事をしてるかなぁ」
「それならやめちゃえば〜? そんな芋女ほっとけば良いじゃん」
「ナナは本当に酔ってると口が悪いな。しょうがないだろ? この国の有り様はこの数年で相当に変わっちゃてる。シナノちゃんの居場所は無いよ」
「マスターは偶に女の事を舐めすぎな気がするなぁ〜?」
「……俺も一応性別は女だけどな……どう言う事?」
「賭けても良いよ。女はマスターが思っている以上にタフなんだからね!」
主人格ナナに齎された宣言は、実となってレイアの視界に飛び込んだ。マサミツの刀を受けたのは
「あれ? シナノちゃん?」
「…………」
無言のまま、女武士は静かに首一回転して金髪を結った。その瞳から溢れる涙を拭い、青眼に静かな焔を燈す。
マサミツは二体一になるのを想定して、背後へ退いた。
「多分、色々と間違っているのかもしれない。拙者は未熟だから、後々この国のみんなに怨まれたり、故郷を失う羽目になるのかもしれない……」
「うん。多分そうだね」
(ござるをつけなくても話せるなら、その方が可愛いと思うんだけどな)
真面目な話の最中に並列思考で別の事を考えながら、レイアは真剣な眼差しをシナノへ向けた。
「でも! あの鬼だけは拙者が倒す!!」
薙刀を構えて、今にも突進しそうな覇気を放つ女武士を女神は冷淡に制す。
「いや盛り上がっても無理だって。速攻で力を吸収されて薙刀も奪われて終わるからダメ!」
「ーーーーなぁっ⁉︎ 拙者を侮辱する気か!」
「それ、本気で言ってんの?」
レイアは雰囲気を一変させ、問答無用で『黒手』をシナノへ突き付けた。触れれば例外では無く喰うとハッキリ殺意を込めている。
一気にシナノの表情は蒼褪めるが、震える足に無理矢理柄を叩きつけて鼓舞した。それこそ足が折れたのではないかと思わせる程の打撃音を響かせて。
「おいおい……何してんだよ?」
「レイア殿は、家族を殺された経験があるのでござるか?」
「この世界では無い」
元はある。否、全てはそれが原因だと分かっていた。『闇夜一世』の核である男の力を削ぐ為に作り出された存在。分身体の自分が家族を失った事があると答えて良いのか躊躇したのだ。
それでも何故だろうか。レイアは失った何かを思い出そうとするだけで、以前より胸を締め付ける感覚に押し潰されそうになる。
「ならばせめて、拙者の手で仇を討たせて欲しい!」
涙ぐみながら頼まれた願いを、無碍には出来ないと女神は天井を仰ぐ。閃いた代案はあったが、自身の集中力が保てるか賭けだったからだ。
「……勝負は一合で決めろ。俺の力でその薙刀を
「異論は無い!」
マサミツは離れた位置で武器を構えながら、内心では嘲笑している。一斉に掛かってくれば良いのにと、自らの記憶にあった『武士道』の知識から、シナノの行動を容易に把握出来たのだ。
「余を一撃で倒せるなどと、本気で考えているのか?」
「倒せる!」
シナノは闘気を巻き起こし、裂帛の気合いを放った。足裏を引き摺る程の威圧を受けて、鬼王は考えを改める。
「か弱い女子では無く、達人クラスまで力を高めたか。心から畏敬の念を抱こう姫よ」
「拙者もお主の知性や王としての資質には同様の念を抱いている。だが、父上を眠らせてやりたいのだ」
「余の血肉になり、
「それは人の死の正しき形ではござらん」
会話を続けながらも、場には徐々に互いの闘気が高まり緊張感が張り詰めていた。
レイアはシナノの背後で瞼を閉じ、『ゾーン』を起動して集中力を高めている。
(そろそろ良いか)
「シナノちゃん! こっちの準備は出来たぞ! 薙刀を上に翳せ!」
「ーーハァッ!!」
シナノの柄を握る手と刀身を喰らわぬ様に、ギリギリのコントロールを発揮して闇を纏った『オーディン』が完成した。
「来い!」
マサミツは対照的に気を静かに落ち着かせて納刀し、居合いの構えを取る。勝負は一撃を耐えれば終わるのだから。
「うおおおおおおおおおおおっ! 奥義『百花繚乱』!!」
「ーーーーシャッ!!」
神速の居合い斬りと上下振りされた刃が交差する。薙刀を打ち上げた瞬間、鬼王は勝ちを確信してもう一歩を踏み込んで間合いを詰めた。
(余の勝ちだ!)
「こんな恐ろしい武器、二度と振るいたくないものでござるな」
両断したと思ったシナノの胴体は無傷。一体何故だと鬼王が自らの剣先を見た直後、呟きと共に捻転した女武士の肉体から二撃目の刃が振り下ろされる。
ーーザンッ!!
真っ二つに首を刎ね飛ばされ、薄れる意識の中で
「お見事……」
「安らかに眠れ。父上……」
静かに床へ崩れ落ちるシナノの元へ向かいながら、レイアはリミットスキルを封じ込める。イメージとしては流れ込む力を逆に送り返す形で自らの肉体から闇を祓った。
「『
「正直驚いています。マスターの成長に神々も恐怖を抱いていそうですね」
「嫌だよ。神殺しとか面倒くさい。殺すのはただ一人、『
レイアは呆れた表情を浮かべていたが、視線に一瞬だけ殺気が篭る。だが、直ぐ様霧散すると背後からもたれ掛かる様にシナノを抱き締めた。
__________
「お疲れ様。良く頑張ったね」
「…………」
こんな感じに抱き締めれば、また怒りに任せて俺を殴ろうとするに違いない。決して良い匂いがするなとか、柔らかいとか、チッパイも悪くないとか、狐耳を着けて貰ったシナノちゃん人形が欲しいとか考えてる訳じゃ無いのだ。
ーーだって、俺は紳士だからね。
泣いている子がいたら、軽いセクハラと冗談を混じえて笑わせてあげるのだよ。
「良いんだよ? 思う存分振り抜けば良いさ」
「……良いの?」
「あぁ! 涙なんか風圧で拭い去れ!」
俺の手を解き、シナノちゃんはこっちを向いた。視線は落としたまま、ポタポタと涙を滴らせる。この子は顎を狙って来るから、そこには注意して受け止める覚悟を決めた。
「えっ?」
彼女は細い指を俺の指に絡め、腰下に下げると胸元に額を寄せる様にして顔を埋める。予想外の行動に思わず目を丸くしてしまった。
「ちょっとだけ……このまま、で……」
「あいあい。いくらでもどうぞ」
「うあぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
彼女がただ家族の無事を願い、故郷に戻る為に研鑽を続け、修練に明け暮れた歳月を思い浮かべると泣ける。
こんな終わり方以外の方法があったのかも知れない。でも、彼女は仇討ちを望んでそれを果たした。
泣いて、泣いて、泣き止んだら、彼女を『紅姫』に迎えようと思う。シルバもいるし、新しい家族が傷を徐々に癒すと思うから。
(一緒に温泉は入るけどね。女同士なんだから何も問題はありませんなぁ〜〜! 泡泡
俺が渾身の右ストレートを食らって、一瞬本当に意識が飛んだのはこの数秒後の話。
剣神ランガイに会ったら問答無用でボコボコにしてやろうと、決意を新たにした瞬間だった。
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