第262話 シルバの夢

 

 燃え盛る炎の中、私は森の中を逃げている。

 降り注ぐ無数の矢を避け、忌避感を露わにした憎悪を、惜しげも無く吐き出す人間達の姿。


「殺せ! あの魔獣の素材はSランクアイテムに使われるんだ!」

「絶対に逃すな! 賞金を貰えば村は一生安泰だぜ!」

「幸い奴は逃げるだけで攻撃してこねぇ! 姿形にビビるな! 美味しい獲物だぞ!」


 木々の感覚が徐々に狭まる。漸く森を抜けた先には高ランクの冒険者が魔術を詠唱して待ち構えていており、広範囲に渡って風と氷の魔術を浴びせられた。

 逃走するだけで、私から攻撃を仕掛ける事は無いと言うのに。


 ーーそんなに私が憎いか?

 ーーそんなに私が恐ろしいのか?


 追手を撒いた先に見えた湖のほとりで喉を潤すと、水面に浮かんだ自らの相貌を睨み付ける。

 銀毛が反射して全体が淡く輝いており、思わず目を細めた。異質なのは私だけでは無いと言うのに何故だ、と。


 暫くすると、風に揺れて発生した波紋によって反射した姿が滲みーー同時に激痛が迸る。

 振り向いた先には、ボロボロのマントを羽織った見窄らしい老人がいた。


「不意打ちですまんな。村の連中も、近隣の町から噂を聞きつけた冒険者も、じきにここへ来るじゃろう。その前に……ある一人の少女から受けた依頼を果たさせて貰うぞ」

 口調に込められた強い想い。そして、何より私の体毛と硬い皮膚を貫いた一撃を受けて悟った。


(今回はこの男に殺されて終わるのか……)

 得心がいった訳では無い、痛いのは誰だって嫌だ。意志ある魔獣であれば尚更のこと。

 それでも何故か老人の瞳は澄んでおり、どこか物悲しそうで抵抗する気が失せる。

 いつもだったらもっと早くに生を諦めただろうが、今回だけは嫌だった。そう、私は死にたく無かったのだ。


「本来ならこの様な些事に興味は無い。だが、昨晩儂の元へ訪れた一人の少女がな、泣きながら懇願しおったよ。『シルバを助けて』、とな」

「ーーーーガッ⁉︎」

 ゆっくりとこちらに歩いてくる男の口から語られた言葉、それは彼女しか知らない秘密。私に付けられた仮初めの名だった。

 思わず伏せた顔を上げて、喉元まで声が漏れ出る。


「やはりお主がそうか……儂にもあの少女にもお主は救えん。だが、あんな野蛮な人間達に好き勝手されるのは、あまりに不憫じゃと思うてな。シルバよ、死した後にお主の亡骸は儂が命を持って弔うと約束しよう。ここに死せ」

 過去、何度人間に騙され嘘を吐かれただろうか。だからこそ分かる。この老人は圧倒的な強者であり、そして偽りの無い覚悟を持って『死ね』と、宣告している。

 だが、それ以上に私は嬉しかった。最後にあの少女の話が聞けた。涙してくれた事を知れた。


 ーーもう、充分だろう。


『老人……私の銀毛を売って、そのお金をあの少女の依頼料にしろ。そして、この身体の好きな素材を元に、最後の願いを聞いて欲しい』

「あの少女からもう依頼料は頂いておる。お主からの依頼料としてならば受け取ろう。儂は冒険者じゃからな、願いではなく依頼せよ」

『あの少女のこれからの人生に幸福を与えて欲しい。それだけの金貨を渡せる価値が、私の素材にはあるのだろう?』

 お金は大事な物だと、あの子は良く私の背に乗りながら言っていた。家は農家を営んでいるが、年によっては天災や魔獣の被害に遭って、家族揃ってひもじい生活を送っているのだと聞いた。


 この命で恩返しを出来る使い途があるのならば、きっとこの冒険者は『依頼』を叶えてくれると信じたい。


「ホッホッホ! さすがの儂も魔獣から依頼を受けるのは長い人生を生きてて初めてじゃがなぁ……さて、どうしたものか。これは困ったのう」

『何か問題があるのか? それだけの力量を持った冒険者であれば、容易い依頼だと思うのだが』

 老人は暫し目を瞑って天を仰いだ後、先程までと変わらぬ澄んだ瞳を向けた。


「これは黙っていてくれと頼まれたのだが……あの少女の依頼料はな、『自らの生を儂に捧げる』という事じゃ。つまり、あの子の人生はこれから儂と共にあり、この槍の技を受け継いで貰う為に、血反吐を吐く修練を積んで貰う。そして子を産み、子孫代々まで受け継いでいく使命を持つ」

『そんな……それは幸せとは呼べない! 何故あの子が私の為に苦しまねばならないんだ!』

 銀毛を逆立てて威嚇を放つ私を、老人は片手で制した。それだけで放った殺気をまるで吸収したかの如く霧散させる。


「落ち着け、まずはお主に問う。何故、今回災厄指定Sランク魔獣フェンリルの所在は明らかになったと思う? お主は人に何か害を為したのか、姿を見せたか?」

『………いや』

「聡いお主ならば、これだけでもう理解せよ」

 その瞬間、確実に私の表情は蒼褪めていただろう。分かってしまった。何故、あの子が泣いていたのか、どうしてこの老人が、「少女も私を救えない」と漏らしたのか、ーーその意図を。


『まさか……あの子が私の存在を語ってしまったのか⁉︎』

「悪気は無かった。あの子はただ、可愛いペットを自慢したかっただけなのじゃよ。それが偶然冒険者の開いていた、高ランクの魔獣図鑑に書かれていたお主だったとしても、な」

『…………あの子は今、どうしてる?』

「いざとなった時にお主を誘き寄せる餌として、牢に閉じ込められておる。例え救い出せても、この村や近隣の町では暮らしていけまいて」

 その言葉を聞いた途端、全身の血の気が引き、身体ごと地面に崩れ落ちた。全ては私のせいだ。

 それなのにあの少女は悔いて、涙して、この老人に自らの生を捧げたのだ。


「話はここまでじゃ。あまり時間をかけ過ぎる訳にはいかぬ。選択せよシルバ。ーー逃げるか、死すかを!」

『あらためて、先程の依頼を変更したい。これからのあの子の人生において『飢えない生活』を、私の素材を金に変え、与えて上げて欲しい』

「……どこまでも優しき主従よな。いや、この場合『友』と呼ぶべきか。この老い先短い命に誓ってその依頼承った!」

『ありがとう、誇り高き冒険者よ』


 ーーザンッ!!


 私は首を刎ねられたのだろう。ただ、視界が暗くなり、遠退く意識の中で聞いたのだ。


「お主は何度も記憶を有したままに生まれ変わると聞く。儂の孫、更に続いていく血族の末代まで『シルバ』という名を聞かせ与えよう。もし、いつかその名を名乗る銀狼フェンリルの噂を聞いた時には、必ずやこの『魔槍オーディン』を携えた『友』が会いに行くと誓う」


 これはもう、何代も前の私の話。今となっては懐かしき思い出だ……


 __________


『……また、この夢を見たか……』

 シルバの頬を一筋の涙が伝う。横で自らの銀毛を布団がわりにしてイビキをかいているチビリーを布団へ戻すと、ゆっくりと立ち上がり城の庭へ出て朝靄の晴れぬ中、空を見上げた。


『いつか、会えるのだろうか。またあの子に』

「会えるさ。お前と俺が出会えた様に……運命ってやつは案外、偶然や必然なんて言葉に勝る程に重い」

 誰に聞かせる訳でもなく呟いた念話を捉えた存在が、金色の羽根を舞わせながら空から降りて来る。

 シルバは一瞬だけびくりと身体を震わせた後、安堵の笑みを溢した。


『驚かせないで欲しいな。我が主人よ』

「ははっ! なんか今日は不思議な夢を見て早く目覚めちゃったんだよ。久しぶりに背に乗せてくれないか? 散歩は主人の特権だぞ?」

『勿論構わないさ。……後で毛繕いをお願いしても良いなら……』

「おうおう任せろ! ついでに昼飯にみんなが喜びそうなAランク位の魔獣の肉も狩って来ようぜ? 場所ダンジョンは何処が良いかな?」

『こんな時の為に冒険者ギルドがあるのだろう? ギルマスのマーリックを叩き起こせば良い』

「流石は俺のペット! 考え方が素敵だね。さて、行こうか」

 無邪気な微笑み向けるレイアを背に乗せると、シルバはスキル『神速』を全開で発動し、城下町の屋根を駆けた。


(いつか、必ずや約束を果たしてくれるであろう『友』の為に、私は『シルバ』を名乗り続けよう。愛おしき女神が側にいてくれる限り)

 そんなペットの潔い決意を微塵も感じる事無く、背中に乗った主人レイアは銀毛を撫でながら銀狼フェンリルに見えぬ様に顔を埋めて視線を泳がせる。


(夢に出てきた魔槍使いって……一昨日ミナリスが報告してきた四神の霊山に現れた変な女の血族じゃね? 絶対に関わりたくない……俺の直感がこれはフラグだと警鐘を鳴らしているが、必ず回避して見せる!)


 自分で言った運命フラグとやらに翻弄されつつ、シルバとレイアの長い散歩が始まった。

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