第258話 時をかける幼女 6

 

 領主コーグストは、予め新米冒険者の口封じを執事に一任していた。

 最もあってはならないのが、『聖女の嘆き』を自らが有している事を国に知られる事だ。


 各国の『至宝』と相反する忌むべきアイテムとして、その存在と製造方法を知る者はごく僅かであり、事が露見すれば死罪は免れない。


 今回ランクの高い冒険者へ依頼を出さなかったのは、特殊なスキルを会得しているものに感知させない目論見もあった。

『牙王』を利用した理由は高額すぎる値段を踏み倒す為であり、思いもよらぬ邪魔に寄ってその思惑は崩れたのだが、この手に『聖女の嘆き』は握られている。

(何も焦る必要は無いのだよ。あとはこの者達を始末して、大国シンで新たな地位を築けばいい)


 眼前には、美味しそうに料理を頬張る少年冒険者の姿。

 領主は、全てが予定通り上手く運んでいると勘違いしていたのだ。


 背後に控えていた、執事の額から流れる脂汗に気付かぬままに。


 __________


「う、あ、ゔぁあっ」

「苦しい……」

「二人共、一体どうしたの⁉︎」

 セレットは倒れた仲間に駆け寄ると、その表情から直ぐ様毒を盛られた事に気付いた。治癒魔術で解毒を施そうとした瞬間、屋敷内を二つの影が同時に動く。


 ーーガシィッ!


「ーーッ!」

「セレットから離れるんですの!」

 イザヨイはずっとこの機会を伺っていた。時間を巻き戻す前にセレットが刺された事実を打ち消せば助けられるかもしれない、と。


 だが、コーグストの命令により数多くの暗殺をこなしてきた執事は、危機感知能力に優れていたのだ。『何者かに見られている』、その懸念は最初から抱いていた。

『牙王』は自らがリーダーの腕を見込んで依頼した強者であり、『三つ星』の様な新米に倒される筈もないと第三者の存在を予測し、それは今まさに的中する。


(やれやれ……この様な可愛らしい幼女の、何と化け物染みた事か……)

 セレットの首元に短剣を突き付け、執事は低く身構えた獣人の幼女を凝視した。ホルダーの隙間から覗く宝石の数々、衣装を凝らした装備。Sランクの価値を有して尚、それに呑まれていない実力レベル


(一体どんな無茶な鍛錬をすれば、ここまでの力を得られるのだ……)

 執事は表情に表す事なく必死に考え続けた。幼女の瞳が閉じられていてもわかる。人質を離した瞬間、主人ごと我々は終わるだろう、と。

 視線を流した先には『牙王』討伐の為の私兵が、呻き声一つ上げる事無く気絶していあ。


「ご主人様、提案があります」

「…………何だ」

「もう階下を見れば分かりますよね? あの者達を、我々に気付かれぬ様に一瞬で倒したのはこの者です」

 領主は認めたくない現実を直視して、生唾を呑み込んだ。背中をダラダラと流れる汗が止まらない。ーー恐怖。

 全てを覆す程の強者。それがこんなに可愛らしい存在だというのが、余計に恐ろしかったのだ。


「アイテムを、使いますよ……?」

「……ぐ、むむむぅぅぅ〜〜! 吾輩の計画があぁ〜〜!!」

 だが、口惜しそうに親指の爪を噛みながらも、領主は否定しなかった。執事は安堵すると、セレットの首元に回した腕に力を込めて絞めあげる。


「クカッ、ヒャッ!」

「ーーセレット⁉︎」

「動けば、このまま娘を殺す!」

 男は短剣の刃を添え、いつでも動脈を斬り裂ける体勢のままイザヨイを制した。ピタリと動きが止まったのを見計らった後に、言葉を続ける。


「少しずつこちらへ来て、両膝をつけ。一瞬でも抵抗する素振りを見せれば、この娘の首が落ちるぞ」

「……分かりましたの」

 イザヨイは素直に指示に従い、エントランスの中心で両手を後頭部で組んだ後に、膝を折った。


「ご主人様。お願い致します」

「こんな事で貴重な『聖女の嘆き』を使う羽目になろうとは……ただでは済まさんぞ小娘が……」

 領主が小箱から取り出したのは、真っ黒な水が入った小瓶だった。

 震える手をそのままに、蓋を抜くとイザヨイに目掛けて振り掛ける。


「ガッ! ふ、フゥゥッ!」

(やめてイザヨイ! うちなんか、どうなっても良いから!)

 セレットは必死に叫ぼうと押さえつけられた腕を解こうと力を込めるが、ビクともせずに喉元を絞めあげられていた。


「ーーーーーーッ⁉︎」

 幼女の小さき身体を這いずり回る感覚と共に、全身に激痛が迸る。呻きながら地面に悶える姿を見て、『三つ星』の冒険者は悔しさから涙を溢れさせた。


 用は済んだと言わんばかりにセレットは放り捨てられ、執事は一瞬でイザヨイの髪を掴むと腹に拳を捻じ込ませる。


「ーーガハッ!」

「そのアイテムはな、ステータスもスキルも封じる効果があるのだ。効いてくれて助かったよ」

 幼女は口元から血を滲ませながら、朦朧とした意識の中に沈む。だが、無力化された力を振り絞ると、倒れたセレットを見つめながら微笑んだのだ。

 時間を巻き戻す前に嗅いだ鼻に付く臭いから、『聖女の嘆き』の特性はある程度予想がついていた為、自分に意識を向ければ必ず相手は使用するだろうと狙いを定めていた。


(ここまではいいですの。でも、もう力が入らない……)

 短剣に刺される対象を移した事までは良かったが、『聖女の嘆き』の醜悪さと激痛に苛まれて、気を失いそうになる。


「た、たすけ、て。パパ……」

「……助けは来ないし、これ以上好き勝手にはさせませんよ」

「殺すなよ。吾輩の計画を滅茶苦茶にした償いを受けさせるのだから」

「了解致しました」


 ーーザシュッ!!


「ーーーーッ⁉︎」

 在ろう事か、イザヨイの脚を封じようと太腿を狙って放たれた短剣は、庇いながら恩人を押し退けた少女セレットの肩口を刺し貫いた。

 同時に、動きを合わせながら懐に忍ばせていた下級回復薬で僅かに回復させた身体を引き摺り、クリアリスとタイラが執事の足首に噛み付く。


 少年少女の必死の抵抗を受けても、執事の表情は変わらない。

「煩わしいですよ!」

 ーー刹那の瞬間。

 ほんの少し。たった少し。二秒にも満たない程の時間の隙間の後、執事は固まった。


「ナナ。『久遠』発動、『空間固定』、複数対象を指定。『ディヒール』」

「了解しましたマスター。イザヨイは以前のビナスと同じ状態に陥っています」

 女神は輝く銀髪を右手で靡かせ、金色の両眼をゆっくり動かすと、娘を含めて『悟り』で状況を把握する。


『久遠』を応用して、上級治癒魔術ディヒールを『三つ星』のメンバーとイザヨイに複数掛けすると、怒りを堪えながら執事と領主の元へ歩み始めた。


 ーーコツッ! コツッ! コツンッ!


 それは、二人の男からすれば、死神の鎌を喉元に突きつけられているかの如き幻覚を見せる。

「我々は終わりですね。地獄でもお仕えさせて頂きますよ」

「……宜しく頼む」

 執事は主人の潔い様に目を見開いて驚き、それも当然かと感じさせる程、絶大な圧力プレッシャーを放つ女神に膝をついてコウベを垂れた。


「ここでお前達を殺す事は容易いが、それではイザヨイの行った事が無駄になる可能性がある。ジェーミット王に引き渡すから、法による裁きを受けな」

「た、助けてくれるのか⁉︎」

 僅かにでも命が助かるかもしれないという希望を聞いてしまった。執事は項垂れているが、領主の瞳に色が戻る。


「あぁ、俺の娘を苦しめてくれた罰を与えてからだけどな」

「「〜〜〜〜ッ!!!?」」

 レイアは二人の男の首根っこを掴むと、『女神の翼』を広げて最高速で上空に舞い上がった。呼吸が出来ない程の速さの中で、『まさかっ⁉︎』っと執事は恐怖から首を振る。

 領主は一体何が起こっているのか、事態さえ把握出来ずにいた。


「お前らのせいで、またマリータリーまで行かなきゃだろ? うちの可愛い娘を泣かたのは重罪だ、良い声で鳴けよ〜?」

((それは最早、意味が違う!!))

 遥か上空から命綱無しで落とされるのだと予測していたが、現実は遥かに過酷だった。


「おらああああああああああああああっ!! ぶっ飛べぇ〜〜っ!」

「「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」」

『真下』に落とされるのでは無い、『真横』に思い切り放られるのだ。風圧で身体が裂けそうになる程の勢いそのままに地面へ落ちそうになると、女神に再び拾い上げられる。


「さて、人間って絶望すると髪が白くなるって話あるじゃん? この世界でもそうなのか試してやるさ!」

 レイアの宣告を聞くまでも無く、領主と執事は泡を吹いて気を失っていた。


 __________


 その後、『三つ星』のメンバーは介抱され、追い付いてきたピスカへと引き渡される。

『紅姫』が来ていると噂を聞きつけたジェーミットから、謝罪と共にこの度の事件の経緯を聞き、関係者は全て捕縛される運びとなった。


 イザヨイはセレットと再びレグルスでの再会を約束した後、エルフの国マリータリーへ向かう途中レイアに問い掛ける。


「ねぇ、パパ? 勝手に飛び出してごめんなさいですの……でも、セレットも救えたし、思ったより世界は優しかったですの!」

「……そうだね。説教は家に帰ってからだけど、イザヨイが無事で良かったよ」

 女神はそのまま口を噤んだ。時空神コーネルテリアとの話には続きがある。


『その子を例え今救い出せても、一度確定した死の運命は変わらないし!』


 今日を逃れても、明日か、数日後か、数ヶ月後か、数年後か、セレットは不慮の事故で死ぬだろう。その時に初めてイザヨイは人の死を受け入れる事になるのだから。


 そして、それこそが『紅姫』の家族達が出した結論だった。

 誰もが死なない世界なんて価値が無いのと同じだと二人の女神は考えている。そんな都合の良い世界に転生したのならば、かつて幾度となく溢れ落とした命に説明がつかないからだ。


(『闇夜一世オワラセルセカイ』が奪い、喰らった命は何処へ向かったのかな)

 締め付ける胸の合間には、嬉しそうに頭をコロコロと遊ばせる娘の姿があった。


 こうして、イザヨイの初めての冒険は幕を閉じる。レイアの胸中に、想像以上の痛みを残したままに……


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